天才の魔獣・秀才の魔獣 4
4.
「アリシア様、起きて下さい」
翌朝早朝、あたしはリンゼータに起こされた。
「おはようございますアリシア様」
「うん……おはよう……」
リンゼータは城に軟禁されていた時とは打って変わった晴れやかな笑顔だった。
「顔を洗うことはできませんが、これで顔を拭いて下さい」
と濡れタオルを出してくれた。
水は貴重だから顔を洗えない。
でも最低限の身だしなみはいるものね!
「この水はどうしたのかしら?」
「昨日逃げ出す時に水筒持って出ました」
用意がいいわね……この娘はこの娘なりに、あきらめていなかったのね。
「さ、皆さん起きて下さい! 朝食の準備が出来ました!」
「うん……」
「ふにゃ……リンゼータ後5分……」
寝心地は悪いからフィスもすぐに起きたものの、リュースはこの窮屈な姿勢をものともせずに起きてこない。
いくら疲れているとは言え、図太い神経しているわね……
トランクを積んでテーブルクロスを掛け、広げたナプキンの上に堅焼きパン、チーズ、干果実を綺麗に並べ、白磁のコップには香茶が湯気を立てている。
「凄いわね」
正直、逃亡中の身で取れる朝食ではないわ!
馬車から這い出たリュースは、眠そうにしながら不満を並べる。
「馬車の中で食べれば時間が節約でき――」
そんなこと出来るスペースないでしょうが! この皇子は考えなしに物を言うから……
「いや、少しは体を動かさないと痛くて堪らないよ」
肩をコキコキ鳴らしてフィルもチーズを摘まんだ。
「うん、旨い」
「あたしももらうわ」
立ったままってのが行儀悪いけれども、出された簡単な朝食を胃に収め、香茶を飲むと、漸く人心地ついた。
考えてみれば、昨日昼から何も食べていなかったわ。
「昼頃にはレスティアと合流するよ。安心だねアリシア」
それは心強いわ。
今の状況って、リュースが思っている程楽観視できない。
リンゼータを奪還する為に、騎士団が本気で動員される危険は寧ろ高い。
泣き虫薔薇騎士隊の言う通り、グリーンフィールド王国と戦争になることを考えれば、騎士団を百人単位で送り込む方がまだ安いのだから。
朝食が終わると、フィスは眠るアクベスバ2の背を摩った。
「どうだ、調子は? おい!?」
アクベスバ2はムックリ起き上がると、アクベスバに近づいた。
「おい、アクベスバ2」
フィスの声の調子が変わった。
「大変だ、皇子! ちょっと来てくれませんか!?」
「どったの?」
リュースはテコテコとフィスに近づいた。
「皇子」
あたしはフィスの動きが、夢の中の出来事のように見えた。
振り返り様――
フィスの左手は、自分の左腰の短剣を逆手に引き抜く。
一度振り上げリュースの左脇腹を刺す。
刺したまま右に真横に斬り裂く。
吹き出す鮮血。
広がる鉄錆の臭い。
美声を紡ぐ唇から驚愕と苦痛の呻きが漏れる。
今……今、何が起きたの!?
「ご主人さま!?」
鮮血を迸らせ、リュースが仰向けに転倒する。
「フェルディナント皇子!?」
フィス!?
どうして!?
「何をするの!?」
あたしの質問にも平然としている。
その間に、アクベスバ2がアクベスバの頭の一つを噛み砕き、前足の強化された爪で腹を貫き、ベア・ハッグでそのまま締め上げた。
フィスは腹を押さえて蹲るリュースの頭を、踏み潰す勢いで踏みつける。
「くっ……ガ・ミス」
リュースは、腰に差したままの魔導杖に触れて混沌体を召喚し、傷口を覆った。
あれなら一先ず出血は凌げる。
でも戦える状態じゃないわ。
「さて、このままトドメを刺してもいいのですが」
「やめて下さい! どうしてご主人さまを刺したのです!」
「勿論邪魔だからですよ。それでは一緒に来てもらいましょうか、エル王女」
「こんな事をしなくても一緒に行ったわ! フェルディナント皇子が一緒なら困るって、言ってくれれば考慮したわよ!」
あたしの声にフィスは鼻で笑い飛ばした。
「何を誤解しているのです。ガル・ファージアなんかに行きませんよ」
じゃあどこなの!?
「王女をどこに連れて行く魂胆なの!」
「グリーンフィールド王国ですよ。別に取って食われはしません。妃として迎えてくれますよ」
グリーンフィールドへ!?
コイツそんなことを画策していたの!?
「エル王女は、グリーンフィールド王国の直系です。言う事を素直に聞くなら、向こうでも大事にしてくれますよ。良かったですね」
良くないわ!
フィスは哄笑しながら右手を差し出した。
「さあ来なさい。それとも皇子諸共ここで死にますか」
折角ここまで逃げて来たのに、こんな所で終れない!
「アクベスバ2、来なさい」
フィスの静かな命令で、アクベスバ2は弱ったアクベスバを投げ出し、ノソリとやってくる。
どうする!?
今のリプクレスではアクベスバ2に勝てそうにない。
あたし一人でフィスを倒す!?
……だめ、リュース助けてリンゼータを守りながらフィスを倒すなんて――
でもやるしかない!
あたしはリンゼータを背後に庇い、魔導杖を引き抜いた。
家に寄る暇がなかったのが悔やまれる。
家には戦杖もショートソードも準備してあったのに……
カールかカレンでもいてくれたら――やられた!
ワザとだわ……リュースに吹き込んで、ワザとカールとカレンを魔導研に置き去りにした!
リュースの戦力にしないために!
「くっ……」
「ほお、僕とやり合う気か」
フィスは左手で握った短剣を逆手のままで向け、右手では腰から戦杖を引き抜いた。
左手――さっきリュースを刺したあの動き!?
「まさか! アガベルケスを殺したの!?」
「おや、なぜ解りました? そう言えば、手口を分析したのはこの皇子でしたか」
コイツ……まさか、両利き?
元々左利きを矯正し、右手でも大体のことが出来るようになっていたのかしら!?
リュースは、フィスの足下で魔導杖を握った。
ダメ!
あんな状態で攻撃魔法放ったら、反動と余波で折角傷口を覆った混沌体が吹き飛ぶ!
下手をすると自分のお腹まで焼く!
「死に急ぎますか!」
フィスの方が目聡かった。
リュースの右手を蹴飛ばし、魔導杖を遠くまで弾き飛ばす。
「余計なことして。だからついて来るなって言ったのですよ。この娘さえ手に入れば別に何もしなかったものを」
フィスは、起き上がることのできないリュースの傷口を爪先で蹴りつける。
「やめて下さい! ご主人さまは大怪我をしているんです!」
「フン、自分の推理通りの手口で刺された感想はどうです? 大正解ではないですか」
「そんなにフェルディナント・ペデルーンを憎んでいたの!?」
確かに迷惑はしょっちゅうだったわ……でも……
「真面目に研究する全魔導師の敵ですよ。自分ではロクに説明もできない、奇怪なモノを後出しで次々出して、人の功績を打ち消して、お前何様です!」
「自分の能力が負けていることを素直に認められなくて、逆ギレって訳!?」
「何とでもほざいて下さい!」
あたしは魔導杖を向けた。
魔導杖は戦杖のように戦闘用の魔法を連発できない。
それだけの強度がない。
あたしが使える最大の攻撃魔法のファイアボールなら2発が限度。
魔力だけなら7・8発撃てるだけ持っているけど、あたしの魔力が尽きるより魔導杖が持たない。
でもフィスの戦杖なら魔力が尽きるまで撃てる。
あたしは2発しかないファイアボールでフィスを倒さなくてはならない!
一発でも当てれば、あたしの勝ちだ。ただし、そう簡単には当てられない。
ファイアボールではなく、ファイアボルトかファイアショットなら威力が劣る分魔力消費も少ないから、杖の損傷の少ない……と思う。
でも自信がない。
あたしは魔導兵ではなくて研究者だ。
魔法戦は上級魔導学校の講義の一環の模擬戦しかないし、本来戦杖で行う攻撃魔法を魔導杖で行おうとしている時点で、圧倒的に不利だ。
戦杖は魔力の消費を抑えたり破壊力を増幅したり、誘導性能を上げる魔導器。
戦闘用にそれだけの機構が内蔵してある。
魔導杖には戦闘に関わる機構はない。
そもそも戦杖は魔力が尽きた時に、武器として敵と叩き合える強度があるのに、魔導杖はそこまで丈夫じゃない。
フィスは戦杖をスッと下ろし――リュースに向けた。
「エル王女、来て下さい! でなければ皇子はこの場で死にますよ!」
「リンゼータ、行くな……」
リンゼータは涙で濡れた目をリュースとフィスに行き来させて――
「……行きます。ですからご主人さまを助けて下さい」
「初めからそう言えばいいんですよ。良かっですね皇子。物わかりのいい王女で」
フィスは唾を吐いてアクベスバ2に跨り、リンゼータの髪を掴んで引き寄せて自分の前に乗せ、さっき朝食を囲んだ疑似テーブルから自分のトランクを引き抜いて魔獣の尻の上に乗せる。
戦杖からファイアボルトを打ち出し、馬車の車輪の一つを破壊する。
「それでは王女は貰って行きますよ!」
フィスは高笑いをしながらアクベスバ2を走らせて行った。
「どこまで用心深いのよ……」
憎々しげに去り行く後ろを睨み付け、あたしは涙が止まらなかった。
馬車を使わなかったのは解る。
中にリンゼータを入れてしまえば、途中で逃げられても気づけないし、御者台の隣に乗せて行けば第2形体になれないから腹を刺されるかもしれない。
それを警戒してか。
馬車の車輪が壊されては追跡できない。馬だけは無事でも、あたしも馬は乗りこなせない。
仮に追いついたとして、勝つ手がない。
それにリュースの傷も――
「頼む、アリシア、おれのことはいい! リンゼータを! おれの大切な妹を助けてくれ! 泣いている暇なんかないぞ!」
「リュース、お腹が裂けているのよ! 放っておいたら、あなた死ぬわ!」
「この程度の傷なら自分で縫える! 混沌体で出血だって止まった。アリシアにはどの道ここにいてもすることはない!」
「でも……」
あたしはリュースも放置して行けなかった。
それに追いついてもフィスに勝てる手が思いつかない。
「おれのことは大丈夫だ! 行ってくれ!」
リュースが『大丈夫』と言うのなら、本当に大丈夫でしょう。
「わかったわ。リンゼータは必ず助けるから、あなたも絶対死ぬんじゃないわよ! あなたでも、自分が死んだらリンゼータはどれだけ悲しむか解るでしょ!」
「おれだって死にたくはないぞ! でもリンゼータがいなくなるのだって嫌だ!」
あたしは混沌体を召喚し、リュースの傷口をより完全に覆った。
「これで暫くは持つはずよ。リンゼータはあたしが助けるわ」
今度こそ。
もう挫けないわ!
「頼んだぞ!」
あたしはアクベスバを見た。
これを直すしかない!
「損傷は主頭部……完全に大破……腹の傷が内蔵にまで達しているようだし、骨も折れている……本当、念入りね。交換する暇はないし、交換するスペアパーツはないし……応急処置で誤魔化して、潰す気なら一回くらいなら戦えるかな」
アクベスバ2の性能は脅威。
不利だわ――正直、相討ちで精一杯……
いえ、相討ちだったら十分じゃない!
相討ちならリンゼータは解放される!
リンゼータさえ助けることができるなら!
彼女が無事なら、あたしの勝ちよ!
やるわ!
あの恥知らずの裏切り者と、刺し違えてやるわ!
「アリシア、リプクレスを使え!」
「え!?」
あたしは耳を疑った。
リプクレスは頭部を二つ失い、右前脚も尾も大ダメージ。損傷はアクベスバよりよほど重篤なのに!?
「リュース、リプクレスは――」
「大丈夫だ!」
傷口を押さえながら、皇子は太鼓判を押した。
どうしよう!?
アクベスバは辛うじて使えるけども、リプクレスはどう見ても無理でしょ!?
「リプクレスは大破して――」
「大丈夫だ!」
「傷で頭おかしくなってない? アクベスバからパーツを取って交換するの?」
「違う! そんな必要はない! 治る! リプクレスなら、あいつに勝てる! アクベスバ2ではリプクレスには勝てない! もう少しなんだ! もう少しで終わる! だからリプクレスを使え!」
相変わらず大事なことはサッパリ解らない……どうしようかしら!?
リプクレスの損傷はアクベスバよりよほど重篤なのに!
「本当に大丈夫よね?」
「間違いない!」
あたしは意を決した。
「リュース、言われた通りリプクレスを使うわよ!」
あたしはリプクレスに視線を向け、唯一残ったスズメバチ頭を見据える。確かにこっちは内臓は無事、だから頭部や脚部を交換すれば、何とかなるとの思いが脳裏を過ぎったが――
「これでリンゼータを助けられなかったら、絶対許さないからね!」
「リプクレスが本来の力で、アクベスバ2に負けるはずがない!」
あたしにはとても信じられない。でも――
「今回だけは信じてあげるわ!」
バカで非常識なリュース。
でも一途で、リンゼータの幸せを我が事のように願っていた。
あたしが諦めてしまったリンゼータ救出を、見事やってのけた最高の皇子。
こんな所で死ぬんじゃないわよ!
リュースは苦しげな息の中、ラウンドシールドとロングソードとハルバートを召喚する。
「これを、持っていけ、リプクレスの本来の装備だ」
「あたしは剣も槍も使えないわ!?」
「使える! だから持って行け! いや、使うかどうかはその時選べばいいが、そのハルバートは戦杖でもある!」
確かにそれなら魔導杖よりマシだわね……
リプクレスを改めて見ると、どう見てもアクベスバ2に勝てるようには見えない。頭部は二つも機能不全に陥っているし、尾も前脚も繭に包まれている。
「これでダメだったら、一生許さないからね!」
リプクレスに跨りながらあたしは叫んだ。
「リプクレス、第2形体。アクベスバ2を追って!」
「警告・第2形体・変形不能」
しゃべった!?
おしゃべりキツネの技術がもう生かされている!?
「移動・支障・なし」
大丈夫かな……
「追跡・開始」
頼みの綱の第2形体が使えない?
とても不安。
今日があたしの命日になるかも……




