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裏切り 9

     9.

 脱獄が失敗して翌日の朝、あたしは魔導研究所を訪れた。


 レーネは皇帝陛下に告げ口出来なかったようで、何のお咎めもなかった。


 下手な告げ口は、自分の任務の至らなさを暴露することになる。


 朝に自宅から直接行ったので、『護衛』名目のレーネの監視はなし。


 行った先は医務室。


 意識は戻ったお父さまはずっとここで療養中の身。


 寝たきりだけども別にお見舞いする気なんて寸毫もない。


 来たのは恨み言を言う為だ。


 寝かされたベッドの周りには、最新型の治療魔導器が幾つも積み上がっている。


 研究所が少しでも治療の助けになるように持ってきているのね。


 もちろん親切心だけではないでしょう。


 リンゼータがグリーンフィールド王国の女王になれば、お父さまの功績は大きい。


 当然莫大な褒賞が約束されている。


 そうなればそのオコボレに与りたいと思っての側面もあるのだろう。


 これを見ていると尚更嫌な気分になるわ。


「お父さま」


 あたしの呼びかけに、無言で目が動いてこちらを見る。


「昨日リンゼータを脱獄させようとしたわ」


 この告白には流石に驚きを隠せなかった。


「でも失敗だった。途中で見つかって大失敗」


 表情を窺うと、ホッとしていた。


 腹立たしい! 腹立たしいわ!


「良かったわね! リンゼータに逃げられなくて! 皇帝陛下からさぞかし多くの褒美をもらえるでしょうね! 娘の友達を売って得たんだもの! 大事に使ってよね!」


 悔しくて涙が出た。


 悲しくて声が震えた。


 辛くて息が苦しかった。


 どうしてリンゼータを売ったのよ!


 さっきから――いえ今まで無言だったお父さまが初めて口をきいた。


「ぼくが――ぼくが金や地位が欲しくてリンゼータのことを皇帝陛下に注進したと思っているのかい?」


「当然でしょ! ボスコーン侯爵から口止め料、皇帝陛下から報奨金。爵位も貰えるかもね! ガディ家は一財産築きましたとさ――娘の友達を売ってね!」


 お父さまは暫く沈黙し――


「……もしコリーネが生きていたら、リンゼータと同じくらいだったろうな」


 コリーネ……あたしの四つ年下だった妹。


 生まれてたった半年で死んじゃった、薄幸な娘。


 娘の死が相当なショックで、お母さまはその半月後に息を引き取り、お父さまは20歳も老け込んだ。 


「フェルディナント皇子が家にも来るようになり、リンゼータも一緒についてきた。それを見ているうちに、亡くなった娘が帰ってきたような気分になったよ」


 あたしも!


 あたしもリンゼータは妹のように思っていたわ!


「そう思っているなら、どうして皇帝陛下にわざわざ教えたのよ! リンゼータはお城に閉じ込められているのよ! 毎日泣いていたわ! どうしてあんないい娘が! 黙っていてさえいれば!」


「だが殺されない」


 え?


「グリーンフィールド王国だって手を拱いて王国を取られないぞ。リンゼータ君が生きていれば王国を取られる。防ぐには、拉致か殺害することだ」


「でも、だからって――ボスコーンだって秘密だろうし――」


「ボスコーン侯爵は、グリーンフィールド王国の旧バルア王国貴族の多くに、積極的に接近していた」


「だったらどうなの?」


「計画が杜撰過ぎるんだ」


「計画って、何の計画?」


「エル王女に、グリーンフィールド王家を継がせる計画だ」


「どこが杜撰なの? 元々簡単なことではないでしょう!?」


「ボスコーン侯爵はグリーンフィールド王国での利権を第一に考えていた」


 そんな奴よね。


「グリーンフィールド王国内の旧バルア貴族の何人にも声を掛けている。相手も思惑はあるだろうし、派閥もあるから話を通すのは一人二人でないと秘密の保持は難しいのに、何人にもリンゼータ君の秘密を知らせている」


 ええっ!?


 そんなことしたの!?


 妖怪真っ白デブその1と大差ないじゃないの!?


「相手もそこから話を広げるだろうし、派閥が違えば敵になる。秘密は容易に漏洩する。研究所にクロウ伯爵やマルム子爵の花束や宝石が届いたのもその為だ」


 お父さまは大きな溜息をついた。


「グリーンフィールド王国から秘密が漏れて、帝国貴族にまで広まってしまっている」


 あのプレゼントはその為だったの!?


 ひどいわ。リンゼータを巻き込むのに、穴だらけの計画じゃない!


「リンゼータ君……今はエル王女だったな……に王国を取らせないためには、殺してしまうのが一番だ。賞金を懸けて暗殺者に命を狙わせる。国を取られることを考えたら安いものだ。そうなったらどうやってエル王女を守る? フェルディナント皇子の自宅で守り切れるか? 魔狼二匹で四六時中生涯守り切れるか?」


 ……無理よ。


「そんなことは絶対無理!」


 あたしは城に閉じ込められたことを怒る余り、それによって身の安全が保障されることまでは、とても頭が回らなかった。


「だから守ってもらえる唯一の方法が、皇帝陛下にお縋りするしかない。そう考えた。金貨や地位が欲しかったんじゃない。あんな金貨、捨ててしまっていい」


「そうだったの……」


 お金が欲しかったのではなかったのね。


「だったらどうして、初めにあたしに相談してくれなかったの」


「エル王女を売ったように見えるのは仕方ないことだ。だがアリシアが一枚噛めば、エル王女はアリシアにも裏切られたと悲しむ。裏切り者はぼく一人でいい」


「お父さま、事情を知らずに酷い事を言ってしまったわ。本当に……」


「いいんだ。エル王女はもう自由は著しく制限される。せめてアリシアだけは傍で話し相手になってくれ」


 やっぱりお父さまはあたしのお父さまだったわ。


「お父さま、早く良くなってね」




 脱獄の話はしないにしても、今のリンゼータにはリュースが最大の薬。


 背中を焼くのは論外にしても、せめて週に一度は顔を見せなさいよ。


 そう思って人に聞いて、リュースが戦闘試験室に籠りっきりであることを知ると、あたしは話を付けに行った。


 やっぱりこないだ引っぱたいたことを、まだ怒っているのかしら?


 魔導研究所の戦闘試験室は、魔獣や魔法師が存分に力を振るえるだけの強度と広さを持っている。


 入ってすぐ観戦場が四方にあり、中心に魔導師が10人構成の隊が戦い合える戦闘場が低い位置に作られている。


 観戦場と戦闘場は檻で隔てられ、魔獣が逃げても暴れても観戦者に危害が及ばない作りになっている。


 戦闘場には数体の魔獣が転がっていた。その中で、リュースだけが立っていた。


「リュース!」


 あたしが呼ぶと、振り返った。


「ああ、アリシアか」


 振り返った顔全体真っ赤――血まみれだ。


「ちょっと、どうしたの! 血だらけじゃない!?」


「返り血だ。心配するな」


 死屍累々――魔獣はいずれも体が千切れたもの、焼け爛れたもの、四肢を砕かれたもの――それもアクベスバ、アクベルト!?


 数があるから量産型のディグベスバとハズベルトね。


 お父さまが倒れたから、アクベスバの設計図はあたし達が清書した。


 リュース語を翻訳して、清書もほかの課にも手伝ってもらい、第4課開発『ディグベスバ』と命名。


 お父さまは名前を先に考えていた。


 組み立ては魔獣部でやっていないから、何体完成しているかは解らない。


 コイツのことだから、『貸して』『貸りてくぜ』と持ち出して、潰したか……貸した方は泣くでしょうね。


 でもこんなに、どうやって潰したの!?


「まだ足りないんだ。もっともっと戦って、倒して、傷ついて、負けて、でないとなれない」


「何の話をしているのよ。リンゼータのこと心配しているなら、たまには顔を見せなさい!」


「んー、でもなー」


 頼りないわね。


 ま、初めから当てにはできないか……


 あたしはリュースに期待するのはあきらめ、城に戻ることにした。


 そう言えば……『顔を見せなさい』と言ったあの顔は、血だらけだった。


 でも首から下はほとんど血がついていなかった。


 なぜかしら?

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