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裏切り 7

     7.

 次の階も状況は大差なく、やはり陰で笑うメイドがいたものの気付かれることなく降りることが出来た。


 何故みんなあたしを笑うのかな?


 問題はこの階層。


 人が大勢いる計画の最難関地点で、城門での危険が少ない所から、この階さえ突破すればこの城は脱出したも同然。


 大丈夫、大丈夫よ。


 ちゃんと変装したし、あたしもメイドに化けた……これがすこぶる懸念事項よね……


 この階層はメイドも多いし、外からの使者や騎士も頻繁に通る。


 大丈夫、リンゼータがほかのメイドに見つからなければ、新参者のあたしの顔を見て正規のメイドないことを見抜けるメイドいない。


 前もってリンゼータに聞いた所、城内には数百人のメイドがいるので、全員の顔を覚えている者は皆無だそう。


 人数が多すぎることへの保安上の問題は、入城でのチェックに全てがかかっている。


 逆に出る分はフリー。


 降りた階段から、四人が並んで通れる幅がある廊下を真っ直ぐに進んで、突き当りの階段をまた降りるだけ。


 それでこの階層も突破できる。


 大丈夫、大丈夫よ。知り合いなんていない。お父さまが来る訳ないし、もしリュースが来ても『皇子の知っているアリシアは今メイドです』と誤魔化す予定だから、来るなら来なさい……来て欲しくないけども。


 頭では解っていた。


 でも一抹の不安が心臓を締め付ける。


 もし、もしリュースが本当に来て騒いだら?


 皇帝が出てきて咎めたら?


 お父さまが来て大声を出したら――


 心配は浸水する汚水のようにあたしの心を侵して行く。


 幾ら否定しても恐怖と言う残滓を残してしまう――


 捕まれば脱獄のチャンスは二度とないの。絶対に失敗する訳には行かない。


 最重要の行程の半分も行かないうちに遠くに見える目的の扉が開き、上がってきたのは――


 ライピッツ!?


 え!?


 どうしてこんな時にライピッツが来るのよ!?


 見間違いでは断じてない。


 魔法師としての正装をしているから良く似た他人だなんてことはあり得ない。


 しかしリンゼータは止まらない。


 気付いていないの!?


「先輩、先輩」


 あたしは立ち止まってリンゼータを呼ぶ。


 ライピッツに注意を喚起しないと……


 何度か呼んで漸くリンゼータが振り返った。


「何をしているのです。わたしについて来て下さい!」


「でも……」


 ここは一度……


「戻った方が……」


「行けません。それでは時間に間に合いません。さあ急いで!」


 そして小声になる。


「桶を持って戻れません。階段を上がる時に見つかります」


 リンゼータ……やるの!?


 一か八か?


 彼女の瞳には強い決意があった。


 わかったわ!


「はい。すぐ行きます」


 ライピッツはセカセカと歩いて来た。


 ううっ、気付かれませんように気付かれませんように……


 ライピッツの視線がこちらに向いた。


 心臓がドキンと跳ね上がる。


 リンゼータ、あたし、どちらが見つかっても大事だ。


 いや、あたしだけだったら誤魔化せるか……エル王女の為に働いていますとか何とか……


 ライピッツが眉を顰めた。視線があたし――いやリンゼータを向いている!?


 早足のまま、進路を斜めにしてこちらへ向かってくるじゃない!?


 胸が締め付けられる。


 息が吸えない。


 手がジットリと汗をかいている。


「そなた――」


 ライピッツはリンゼータに声をかけた。


 来た――


 あたしはリンゼータを庇おうとしたが足が竦んで動かない。


 リンゼータは桶の向こうからライピッツを向き直り――


「何かゴ用がございますカ魔法師サマ?」


 口調は慇懃でも声も話し方も全く別人になった。


 リンゼータよね?


「いや、いや……知り合い似ていたもので、つい……」


 知っているあたしでさえ別人と思ったのだから、ライピッツに解る訳はないわね。


「と言って初対面の女を口説く、常套文句ではありませんカ?」


「いや、いや、そんな訳ではないぞ」


 ライピッツはしどろもどろ。


 リンゼータを認識できていない。


 凄いわリンゼータ。


 困ったライピッツは視線をあたしにも合わせてくる。


「こちらの――」


 ギクッ!


 あたしはリンゼータみたいな捌き方はできないっ!


 化粧の誤魔化しがどこまで通用するか――


「エエ、最近入った後輩デス。早くに父母を亡くしたトカ、手っ取り早く稼ぐのに城のメイドを選んだト。ただ物覚えが悪くて困りマス。さあ、グズグズしないデ!」


 リンゼータは軽く頭を下げ、ライピッツにお構いなくスタスタと歩き始めた。


 ライピッツはバツが悪そうに立ち尽くしている。


 どうやら……これでやり過ごせたわ……


 窓に映るライピッツをコッソリ観察すると、頭を?きつつ離れて行った。


 ふう、助かった……


 思わず胸を押さえる。


 さあ後半分!


 早足で、怪しまれないように、歩く! 歩く! 歩く!


「キャーッ!?」


 後ろで上へ行くドアが乱暴に開かれた音が響き、巻き添えを食らったらしいメイドの悲鳴が轟く。


 背後で次々と大きな悲鳴が上がる。


「どけどけ、邪魔だ!」


「道を開けろ!」


 追手!?


 早過ぎる!?


 ど、ど、どうしよう!?


「顔を見せろ!」


「どけ!」


 声は女。


 態度は犯罪者。


 目に映るそれらしい女を片っ端から面通ししているようだった。


「カテジナ! そんなやり方で変装が解るか! 化粧を落としているのではないぞ!」


 変装見破る気だわ!?


「ウル! 水はぶっかけろ! 削る気で顔を擦れ!」


 バレる!


 そんなことされたら、あたしもリンゼータも一発でバレてしまう!


 戻れない。戻ったら鉢合わせになる。


「先輩、走って――」


「桶を持って走ってはいけません」


「でもこのままでは――」


「出口で捕まります」


 リンゼータは抱えた桶を左に向ける。


「ゆっくり左に曲がって下さい。足並みはわたしに合わせて下さい。決して走らないように」


「走らないって……」


 ライピッツと違って、あいつら変装も見分ける気よ!?


 この階層からは廊下がフロアを十字に分断している。


 下への階段は三か所。


 大丈夫、曲がってもこっちからは降りられるわ。


 曲がりしなにチラと後ろを見ると、女騎士何人かが血相を変えて走ってきた。


 まずい! マズイ!


 廊下を折れてもリンゼータは歩調を変えない。


 誰もいないのに――


「走りましょう」


「ダメです。異常なメイドは後ろから見られても解ってしまいます」


 怒声と足音が段々近くなる。


 只でさえ近くない廊下の端が、こんなに遠くに感じるなんて!


 横に見える扉のどれかに飛び込んで隠れたい衝動に駆られるが、仮にここでやり過ごしても下の階層に先回りされたら、そこで結局捕まってしまう!


 何が何でも追手より下に降り切らないと!


 幸い、と言うか当然と言うか、向こうで大混乱が起きてまだ十字路にさえ来ていない。


 変装見破るのにも手間取るし、確かにこれなら逃げ切れるかも!?


 でも十字路からあたし達を見つけたら、遮るものは何もなし。


 呼び止められたら、止まって見破られ、進んで怪しまれる!


 早く、早く!


 突き当りはすぐ近くにまで来ている。


 扉の前に衛兵はいない?


 この階には衛兵がいるはずよ?


 扉の向こうかしら?


 待望の扉までたどり着くと、リンゼータは桶を抱えたまま扉をノックする。


 何とか間に合った!


 こちらに居ない以上扉の向こうに衛兵が居るから、向こうから開けてくれる。


 やれやれよ……


 なぜか沈黙。


 え!?


 リンゼータはまたノックするが、反応がない。


 あたしも駆け寄って慌ただしく扉を叩く。


 しかし沈黙。


「ねえ開けてよ!」


 あたしは焦って思わず叩き続けた。


 やはり沈黙。


「下がって」


 あたしを下がらせるとリンゼータは桶を持ち直し、今度はあろうことか扉を蹴りつけた。


 嘘っ!? リンゼータが扉を蹴る!?


 こんな乱雑なことをする娘だとは思わなかったわ!?


「わたしだって焦っているんですよ?」


 息を飲む気配が聞こえたのか、リンゼータは顔を赤らめながら言った。


 うん、気持ちは解るわ。


 でも沈黙。


「ちょっと、どういう事!?」


 城のルールも関係ない。


 あたしは桶を置いて扉のノブをガチャガチャ回した。


「鍵!?」


 施錠されている!?


 下見の時はちゃんと通れたのに!?


 衛兵はいたけど!?


「どうして!?」


「閉鎖されています!」


「そんな事あるの!?」


 あたしにはサッパリ訳が解らない。


「スケジュールによっては、警備や案内のために一部の扉が閉鎖されることはあります!」


「そんな!」


 知らない!


 今日そんなことがあるなんて、知らなかった!


 誰も教えてくれなかった!


「開けて! 開けてよ!」


 背後から無法騎士が迫っているのよ!


 引き返せないのよ!?


 今日に限ってどうして!?


 あたしの落ち度だ!


 行事とか注意とかドアの閉鎖の情報は、どこかから出るはず。


 それを聞くことを怠っていた。


 リンゼータは、メイドであるあたしが知らないとは思いもしなかった――


 リンゼータがメイドであることに油断があった!


 ノブを乱暴に回す。


 頑丈で壊れそうにない。


 こうなったら、魔法で破壊するしかない――


 あたしは覚悟を決めて、リュースから取り上げた魔導杖(ソーサル・スタッフ)を取り出した。


「ファイアボールで壊すから、リンゼータは離れて――」


 持って来て良かった。


 一発だけなら何とか!


「それではすぐに人が来ます! 下からも!」


 リンゼータは桶を抱えたまま、あたしから魔導杖を奪おうとする。


 でも、ほかに手はないのよ!?


 捕まったら終わりなのよ!?


「アイサとカテジナは左へ行け! ウルとグレスは右だ!」


 ダメ! 捕まる!


 観念しかけた途端、横の扉が音もなく開き、あたしとリンゼータの首根っこを掴んで中へ引っ張り込んだ――

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