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裏切り 2

     2.

 8階には奥にも扉があった。


 安全の為ではないでしょう。


 恐らく、ここの鍵は外からしか開けられない。


 中の王女が勝手に出て行かないように。


 二つの扉の間には、台所の設備が丸ごとあった。


 食器棚から食料さえもある。


 下から持って来たら料理が冷めてしまうから、温めるか、簡単な物はここで作れるようになっているのね。


 でも……それはつまり、中の王女を出さないために。


 そして、やや小さい寝台が二つあった。


 何かあったら駆けつけるためと、王女を夜にも見張るため。


 あたしは気を引き締め、戦う意思を固めてノックした。


「はい、どうぞ」


 扉のすぐ近くで答えがあり、内側に開かれた扉から、小柄な金髪の若いメイドが顔を出した。


「何でしょうか?」


「あたしはアリシア・ペデリーン・ガディ! エル王女とは長年の友人……親友です!」


 王女と解ったとたんに、リンゼータには本人の同意すらなく義理の家族が湧いて増えた。


 友人が沢山湧いて出ても、何らおかしくはない。あたしはそんな連中とは違う。


 でも、そんな調子のいい連中だって『長年』『親友』と言うかも……



 開きかけのドアがすぐさま大きく開かれた。


 滑り込むと、中は居間と書斎と食卓とベッドルームがコンパクトにまとめられていた。


 それぞれが壁で隔てて独立してないのは、部屋に分けると隠れられることを防ぐためだろうか。


 窓には鉄の太い格子が嵌められ、端まで見渡せるようにか、部屋の中心部の遮蔽物はソファまでの高さ。


 だから早足で近寄って来る、若草色のロングドレスのリンゼータの姿もすぐに認めた。


「アリシア様!」


 抱き止めると、リンゼータは静かに泣いた。


 耐えていたのね。


 ずっと、今まで我慢していたのね。


「泣いていいのよ、リンゼータ」


 親名。


 あたしが友達である証の呼び名。


 リンゼータが親名とわかった途端に、呼び名が変わった。


 みんな『エル王女』と呼ぶ。


 自分の知らない名前で。


 自分の慣れ親しんだ名前さえも呼んでもらえない。


 中にいた四人の若いメイドは立場を弁えているのか、離れて部屋の端に立っていた。


 よほど我慢していたのか、リンゼータは長く泣いた。


 正直、あたしにできることはない。


 悔しいけど、悲しいけど、ただの魔法師にできることはない。


 あたしも涙が止まらなかった。


 二人して散々涙を流して――


「リンゼータ、欲しいものはない?」


「……ありません。欲しいと言えば大体の物は持ってきてくれます」


 対グリーンフィールドの切り札、丁重に扱うわ。


「して欲しいことはない?」


「ありません。ただ、おチビちゃんたち、ちゃんとゴハン食べているかしら?」


 一番の望みは言わなかった。


『ここから出たい』と。


 あたしにはとても叶えられないと知っていたから、本当の望みを口にさえしなかった。


「大丈夫よ」


 魔狼は魔導研究所で預かっている。


 飼い主がエル王女だと知っているから、みんなしてエサやり当番取り合って、用もないのに触ったり話しかけたり、無理に散歩に引っ張って行こうとして――


 無視されたり、吼えられたり、咬まれたり(一応軽く。本気でやったら手足が楽に千切れる)


「でも知らない人からのエサは食べないから――」


「大丈夫。リュースの言う事は聞くし、あたしやお父さまだったらエサを食べるから」


 母親代わりだったリンゼータ程は、懐かれてはいない。でも辛うじてあたしはエサやりなら認めてくれる。尻尾握っても怒らない。


 カールもカレンも、性根の卑しい連中から出されたエサには見向きもしない。だからあたしやリュースが、『食べなさい』と言ったら初めて食べる。


 母親代わりのリンゼータがいなくなって、あの二頭最近挙動がおかしくなってきている。いずれ元気をなくすだろうか。


 感情豊かで、リンゼータには子供の様に甘えて、言いつけはシッカリ守るあの魔狼が――


「リュースも来ているのよ。でもここに来るには皇帝陛下の許可がいるって、寄り道しているのよ」」


「まあ」


 話している内に、ドカドカ足音が聞こえた。


「何事?」


 あたしは訝しがりながらドアを振り返ると、入って来たのは中年衛兵×2、青年衛兵×1と初老騎士(衛兵とは鎧が違う)×1とリュースだった。


 何を連れてきているの。


「親父の許可得て来たぞ! 文句あるか!」


 騎士は嫌そうに木紙を広げた。赤毛のメイドが代表して読む。


「はい。ちゃんと皇帝陛下の許可証ですね」


 会うのに許可がいる皇帝陛下が厳しいのか、許可証がないと会わせることが危険なリュースが異常なのか、どちらかしら……


「フェルディナント皇子!」


 リンゼータは駆け寄った。


「元気だったかリンゼータ。王女なんだってな!」


「違います」


「でもバルア王国の関係者だろ!」


「……」


 あたしは言葉に詰まった。


 リンゼータがエル王女であることは、ほぼ間違いない。状況証拠が揃い過ぎている。


 リュースが拾ってきた骸骨――もとい、亡骸と見つかった服にはバルア王国の印があった。髑髏の大きさは成人のサイズだから、当時幼女だったエル王女は埋葬されていない。


 これはあたしとリュースだけが知っていることで、雑貨商のウェストンから買い取ったリンゼータの子供服にバルア王国の証が見つかったからこそ、皇帝陛下にリンゼータがエル・バルア王女と確証があった。


「わたしは王女ではありません」


 リュースの胸でさめざめと泣く。


「いや、リンゼータはエル王女なんだと。リンゼータの子供の時の服には王家の紋章があった。さっき見て来た。だから泣くな!」


 泣くって! それが悲しくて泣いているのよ!


「泣いても状況は変わらな……」


 あたしは溜息を漏らした。


「エル王女、フェルディナント皇子は、お困りの理由をまだ完全に理解できていないようです」


 説明したのに……理解しきれないのね。いえ、皇子だから平民の気持ち解らないか……


「リンゼータ、また来るから、泣くな。親父もおれの正式な妹にしてくれるって言ってた!」


「……ご主人さま」


 当たり前だけど、リンゼータはちっとも嬉しそうではなかった。


 リュース、アンタの妹と言う事は、ヴェルベラン帝国の皇家に養女になると言う事。それがグリーンフィールド王国の女王になるなら、皇帝陛下はグリーンフィールド王国に対して強い発言権が発生する。


 ボスコーンがヴェスベランで目論んだことを、皇帝陛下はグリーンフィールドで目論んでいる。


「フェルディナント皇子、どうかまた来て下さい!」


 リンゼータはリュースの無理解を理解できていない様子で、ただ再会を願っていた。


「うん。お前はおれの妹だ。毎日来るよ」


 首に巻かれた腕をゆっくり解いて、リュースはリンゼータから離れた。


「では皇子。そろそろ約束の10分です」


「そうか」


 衛兵・騎士はリュースを促し、出て行った。


 何しに来たのよ、役立たず!


「はあ……エル王女、あたしもできるだけ……」


『毎日来ます。今日はこれで』と言う言葉は、まだ泣きそうなリンゼータの表情を見ると、とても言えなかった。今皇子に去られてしまったリンゼータを、一人で置いてはおけなかった。


 リンゼータの手を取って部屋の奥に進み、四人座れそうなソファの中心に座らせて、あたしもその横に腰掛ける。


 本当に、何もできないのが悔しかった。


 リュースなら少しは役に立つかもしれないと期待したのに、脳みそお子様皇子に高度に政治的な問題は理解の範疇外。


 もう一つあたしが腹立たしいのは、リュースは皇族にしてはかなり自由の身なため、自分の妹となると皇位継承権5位の自分より皇位継承権が低く、つまり自分と同程度の自由を保障されると思い込んでいるフシがある。


 リュースに説明すると騒ぐから、あえて誰も説明していないだろう。


 あのバカ皇子としたら、『バルア・グリーンフィールドの王位継承権がある間は不自由があるけど、ヴェスベランの皇位継承権が出来たら自由になるなー』程度の認識らしい。


 そんな訳ないじゃない! あたしにさえも解ることなのに!


 アンタの妹でしょ!? もうちょっと真剣に考えなさいよ!




 あたしとリンゼータは黙ったまま一時間近く座ったままだった。


 リンゼータは時折思い出したように涙を流し、体を折り曲げて嗚咽した。


「エル王女、夕食のお時間です」


 初老のメイドが、矍鑠とした動きで三人の若いメイドを従えて入室した。


 あれは……


「お母様!」


 ミア・ヴェンサー!? メイド長!?


 ここに招待された日に、そして捕えられた日に見かけたリンゼータの養母。


 ミアは居間エリアのテーブルに料理を並べて行くと、元からいた四人のメイドも皿やらフォークやらを取って来て並べるのを手伝って行く。


 メイド達に支度させて、ミアは一人でこちらにやって来て恭しくお辞儀をする。


「エル王女、夕食の準備が整いました」


「食べたくありません」


「そう言わずに、何か召し上がって下さい、エル王女」


 これは本当に辛い。ミアはリンゼータの母親だったのに。まるで他人を呼ぶようではないの!


「アリシア・ガディ様でしたね」


 無言で睨み付けるあたしの視線を物ともせず、こちらに視線を向ける。


「エル王女は夕食を取られます。エル王女のお願いがございましたら、ご一緒でも宜しいですよ」


 あたしに向けられたミアの言葉だったが、リンゼータが割り込んだ。


「食べたくありません!」


「エル王女、そうおっしゃられて、今朝もお昼も何も食べていないではありませんか」


「食べたくないんです」


 ミアの態度を見てあたしはとても悲しくなった。


 ここにはリンゼータの味方が一人もいない。母と思っていた人さえも――


 あたしは意を決してテーブルに近寄り、大きな丸いパンを皿ごと取って持って行く。


「みんなが見ていたら、どんなにお腹が空いても食べられないわ!」


 と言ってリンゼータに差し出しながら、ミアに怒る。


「そうですか」


 ミアはあたしの行動を興味深げに観察してしたが……


「そうですね」


 と後退った。


「皆の者。エル王女は大勢の中の食事には、まだ慣れておらぬご様子。サーラとミレナはドレスの手入れをせよ。後の者は全員部屋から出よ」


 クルリと背を向け、ミアはスタスタと部屋を出る。五人のメイドもそれに倣う。


 残ったのは小柄な、少女のような若いメイド。金髪碧眼と、ブルネットで青い目の二人。衣装箪笥に駆けて行く。


 勝った……のかな?


 いえ、勝ちは譲ってもらったようね。


 小声で言えば聞こえないかしら? 親名のこだわりがあるにしても、メイド仲間では親名は知れ渡っているし……


「リンゼータ、一緒に食べよ?」


 丸いパンは放射状に八つに切ってあった。一つを差し出し、一つにかぶりつく。


 柔らかい。時々リンゼータが持ってきてくれるパンと同じね。


 あたしが食べるのを見て、リンゼータもやっと食べ始めた。


 当然空腹だったのだろう。朝も昼も食べていないのだからね。


 パンを次々食べて行く。


 パンがなくなると、あたしはさりげなくリンゼータの手を引いてテーブルにつく。


 スープにサラダ、白身魚のムニエルにフルーツに、ワイン……


 どれも極上。ゆっくりは味わう余裕はなかったけども、確かに美味しい。


 目につくものを片っ端から少しずつ食べて行く。


 そしてリンゼータにも勧める。


 リンゼータは黙々と飲食してくれた。


 良かった。心が滅入って、食べなかったら体も参るわ。


「どう? お腹一杯になった?」


「はい!」


 元気も出たね。


「ね、嫌な事があったら、とにかく食べることよ。満腹になったら、辛い気持ちも半減するわ」


 リンゼータは恥ずかしそうに頷いた。


「それにね、どんな時でもしっかり食べておかないと、いざと言う時、リュースが来た時に動けなくなるわよ?」


 バカ皇子が、バカに気付いてくれたら。




 出された料理のほとんどがなくなると、あたしとリンゼータは満腹になった。


 30分を過ぎると頃合いを見計らってか、ミア一向五人様が入って来た。


「どうやら、お食事はお済みのようですね。お片付けをして宜しいですか?」


「いいわよ」


 思わずあたしが返事した。


「結構な事です」


 ミアはリンゼータが食べてくれたことに感謝し、あたしが王女を差し置いた無礼については、咎め立てられることはなかった。


「アリシア・ガディ様のお噂は、以前よりエル王女からお聞き及んでおります」


 何? 行き遅れの話……そんなことをリンゼータが言う訳はないわね、翼狐ではあるまいし。


「これからも、どうか王女の良きご友人であって下さいませ」


 意外なことにそこで深々とお辞儀をした。




 あたしはまた来ること約束し、城から出た。


 リュースは城門脇に止めてあった馬車の中で、ズーッと待っていた。


 何も食べずに待っていた。


 中でグースカ寝ていた。


 食べなくても平気だった。


 こんなヤツだった……能天気め!


「リュース、起きて」


「ンガ? ああ、アリシア。おはよう」


「まだ夜よ。リンゼータと夕食食べて来たから遅くなった」


「ふーん。じゃあ戻るか」


 あたしが夕食まで共にしたせいで遅くなったことを言っても、リュースは自分の夕食のことは考え付きもしなかった。リンゼータがいないと、コイツは寝食を忘れる……


「リュース、レスティアに聞いたけど、晩御飯まだでしょ?」


「ああそうだった!」


「リンゼータがいない時の食事は?」


「新しいメイド来ていたけれど、鬱陶しいから追い返した」


 あきれた!


「三食どうする気よ!?」


「ン……どうしよう?」


「自分で決めなさい! それから、今日の夕食は城で食べさせて貰いなさい!」


「……そうしようか」


 そうするしかないでしょう!?


 ……城に戻るの?

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