王家の夜 6
6.
席替えがないまま、前菜から始まるコースが始まった。
うろ覚えのテーブルマナーに、間違えたり困惑する度にリンゼータは小声で正しいマナーを教えてくれたけども、聞こえても緊張で手が思い通りに動いてくれないし、味なんて全然わからない。
自分の立場がわからない。
何が何だかわからない。
全然何もわからない!
あたしとリンゼータはロクな会話がなかった。
リュースが場の雰囲気を読めずに好き放題言うのを、ただ相槌を打つだけのリンゼータ、無言で食べ続けるあたし。
四皿目、メインデッシュが配られた頃――
ナプキンで口元を拭った皇帝が声を張り上げた。
「ここで諸君に知らせなければならないことがある!」
何よ。
リュースの婚約相手?
まさかあたしじゃないわよね!?
皇帝陛下は立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
どうしてこっちに来るのよ!?
あたしはリュースのお嫁さんになる気はないからね!
皇帝陛下はリンゼータの真後ろで止まった。
椅子のことといい、あたしと差があるわね?
確かにリンゼータの方が綺麗だけどもね。
大きな手が、恐る恐る背後を窺うリンゼータの両肩を押さえる。
「今を去ること十二年前、フェルディナント皇子はこの娘を保護した」
リンゼータを? 保護?
まあ意味は合っているわね?
「その際近隣の貴族・豪族に対し、行方不明・消息不明の息女がいないか調査したが該当する者はいなかった」
それは知っているけど? リュースに聞いたわ?
まさか、今頃解ったって言うの?
「誰も知らぬ訳だ。『リンゼータ』とは――」
皇帝は一呼吸置いた。
「――親名だ!」
全ての者が沈黙を保ち、食器の触れる音さえ聞こえぬ静寂が辺りを支配した。
親名……それはつまり、リンゼータがどこかの王女だって言うの!?
「かつて我が帝国の北に繁栄した小国・バルア王国! その女王エリスはグリーンフィールド王ジークと結婚し、国が一度は合併した」
その後程なく、親名を呼ばせなかったことが発端となってエリスとジークは対立し、所謂『親名戦争』が起きた。
『親名戦争』はエリスの勝利で終わり、その後エリス女王はジークの血を引く王子パリスを生み、成長したパリス王子は『王家の夜』があり聡明で人望があった一方、ジークの子供は王子も王女も出来が悪く、ジークはパリス王子にグリーンフィールド王国の継承権を主張されるのを恐れ、ファージア王国・グラン王国と結んだ大軍勢でバルア王国に攻め込んだ。
目的は唯一つ、パリス王子を殺害するため。
エリス女王は三国連合軍を相手に全く怯むことなく奮戦するも、ついに圧倒的な戦力差に敗れてしまう。
エリスは最期まで勇敢に戦い、戦場でその命を散らせた。
この『パリス戦争』でパリス王子は殺され、バルア王国は滅んだ。
「しかし、パリス王子には幼い娘がいた。その血を引く姫はいたのだ。グリーンフィールド王国を警戒するため公にはされていなかったが、パリス王子はグラン王国の大公息女を妃に迎えて関係を強化しようとしたが、政略結婚も虚しく結局グラン王国はグリーンフィールド王国を恐れて従った。パリス死後幼い王女は母の実家グラン大公に匿われたが、王女を隠す為に、ファージアの王家に嫁いだ彼女の叔母の所に極秘に送ろうとしたが、不幸にも我が国で夜盗に襲われ、供からはぐれてしまったところをフェルディナント皇子に保護された。それがここにいるエル王女だ。エル・バルア王女!」
また一息つくと、更に大きく歓喜を含んだ声を張り上げた。
「そして同時に、グリーンフィールド王国の正当な後継者、エル・グリーンフィールド王女!」
カラン。
顔面蒼白になったリンゼータがフォークを取り落した。
リンゼータが!?
亡国のお姫様!?
あたしも正直、皇帝陛下に言われた事の衝撃が強過ぎて思考が停止してしまった。
確かに数日前に見たドレス姿は、何処の王女かと見紛うほどの美貌だった。
「まさか、リンゼータが……」
立ち振る舞いや言葉遣いは躾や教育でどうにでも変わる。
それを差っ引いたとしても、隠せなかった美貌と気品は持って生まれたものだとしたら――
主賓に選ばれるはずよ。
皇帝陛下が直々に椅子を引く訳だわ。
王女なら。
リンゼータが王女なら。
立場的には対等。
身分的には対等――
「何かの間違いです! わたしはそんな、王女じゃありません!」
「見るがいいエル王女」
ギルス皇帝は一枚の肖像画を持ってこさせた。
かなり大きく、持ち上げた人の上半身が完全に隠れている。
しかしその絵だった。
「……わたし!?」
描かれた絵を一目見るなり、リンゼータは驚愕の表情で硬直した。
絵の人物は、正しくは赤毛のリンゼータだった。
でもよく見るとこの女性は二十歳くらい。目も少し吊り上がっている。
『リンゼータのお姉さん』と言ったら誰でも信じられるかも。
「見誤ったか。無理もない」
皇帝の口元に笑みが広がった。
「王女自ら認めたな。これがエリス女王だ」
「え……!?」
あたしとリンゼータは奇しくも思わず同じ声を発した。
皇帝は二人のメイドで肖像画を高く上げさせ、多くの人間に見えるように左右に振った。
「おお! 良く似ておられる」
「まさにエリス女王の血統だ」
大臣が、皇妃が……興味本位で話し合っている。
無責任な声が上がる度に、リンゼータの細い肩が震える。
そうよね……もはや滅んだ国で、自覚もない王女なんて、どう転んだっていいようにはなりそうにないわ!
皇帝はリンゼータの上から声をかける。
「エル王女。そなたの背中に紅い三日月のアザがあるな」
「ありません!」
リンゼータが即座に否定したけども――
――!
でもあたしには心当たりがあった。
一度だけ見たことがあったわ。
ボスコーンの屋敷で一緒に入浴したとき、左の肩甲骨の下にそんなアザがあったことを覚えている。でもそれは一回しか見ていない――
「アリシア・ペデリーン・ガディ」
「は、はいッ!?」
あたしも皇帝陛下に呼ばれて、思わず裏返った声を出してしまった。
リンゼータのことは言えないわね。
「エル王女の背中に、紅い三日月のアザを見たことがあるな?」
有無を言わさぬ強い口調。
調査済みって訳ね……
晒し者・見せ物にするリンゼータが主賓なのは当然として、あたしが一緒にこのパーティーの主賓になった理由は、その証人って訳だったのね……
「それらしいアザは一度だけ見ました。ハッキリとは覚えていませんが、少なくても次の日にはありませんでした!」
否定しても無意味。知っていることだけを話すしかない。
「それで良い。ボスコーンもわざわざ選んだのだ」
皇帝はあたしの答えに満足すると、ゆっくりあたりを睥睨する。
「『グリーンフィールド王家の者は満月の日、夜でなくともその体には赤い月が現れる』と言う。このアザを『王家の夜』と呼ぶ!」
「あ……」
あたしは思い出した。ボスコーンの招待の日、満月だった……いえ、ボスコーンはそれを見るために、あえて満月の夜を選んだ――!?
「そうだ。他人の空似と言うのはあるかもしれん。しかしその上で『王家の夜』の所持者などと言うことは、パリス・バルアの血統以外にはないのだよ。今のラガン王にしても『王家の夜』がないことは判明している。もしあれば、即位であれだけ揉めることもなかった。グリーンフィールド王国内に、もはや『王家の夜』は探しようがないのだ」
バルア王国最後のエリス女王と言えば、その生き様は伝説になっている程の女傑。
美貌も、政治力も、統率力も、当代随一の英雄とも言われていた。
『パリス戦争』では自ら剣を振るって騎士を二人倒し、最後にはグリーンフィールド王国の騎士団長と一騎打ちの末漸く討ち取られた。
その凄まじい戦いぶりにバルアの騎士全軍が奮い立ち、恐れることなく突撃を繰り出し、圧倒的劣勢を物ともしない獅子奮迅の勢いで連合軍を何度も押し返して『グリーンフィールド王国単独では到底勝てなかった』と評され、敵である連合国の少なくない騎士、特にグリーンフィールドの騎士の多くが魅せられて『自分の子を殺すために戦争を起こすような器の小さい王より、エリス女王に仕えたかった』と嘆息したと言う。
中でもエリスを討ち取った騎士団長自身が『ジーク王の御為戦ったが、果たして多くの褒美をもらった自分と、エリスに仕えて勇敢に死んだ騎士とどちらが幸せだったろうか? 彼らは歴史に金色の氏名を遺したが、自分は決して消せぬ悪名を残したかもしれない』と述懐していた。
エリス女王は『烈火女王』と呼ばれ、短い生涯ながらもその生き様は畏怖と尊敬の対象として歴史書に刻まれていた。
一方パリスについての記録は少なかったが、聡明で優しく人望もあったようだわ。
また手を貸したことが恨まれたように、エリスの執念でもあるのか、その戦いで国力が低下したグラン王国は衰退してグリーンフィールド王国に滅ぼされ、ファージア王家は侯爵ガル家に王国を乗っ取られ、以降『ガル家のファージア王国』=『ガル・ファージア王国』となる。
そのグリーンフィールド王国でも、王子も王女も全て夭折し、ジーク王死後に後継者問題で国が荒れ、後を継いだラガン王がその威信のために戦争をしょっちゅう起こしてヴェスベラン帝国とも戦った。(それはあたしにも関わってきている。)
でも……さっき皇帝陛下は『エル・グリーンフィールド』『グリーンフィールド王国の正当な後継者』って言った。それはつまり、リンゼータを対グリーンフィールド王国への切り札に使うってこと!?
もしかしたら……リンゼータをグリーンフィールド王国の女王とするように交渉する気かしら。
勿論親切心ではないでしょうね。国が滅びたリンゼータに後ろ盾はないから、だからこそ皇帝陛下が後見人になって、エル女王の名の下に国政に口出しする……
ハッキリしていることが一つだけあるわ。
このままでは、リンゼータは不幸にしかならない!
今日のパーティーの後、リュースの屋敷に帰ることはないだろうし、メイドとしてリュースに仕えることもないでしょう。
自由は奪われ、結婚相手さえ皇帝陛下の掌の中。
目の端では所長と部長は顔を見合わせて困惑し、周りに合わせて愛想笑いを振りまいていた。
周りの態度から、自分たちの手柄とか、あるいはリンゼータを大事にしていたようなことを言っているみたい。
こんな連中があたしの上司だと思うと、本っ当、見ていて恥ずかしい……
誰もリンゼータのことを心配している者はいないの!?
リュースは!?
唯一の希望を探すと、事態の重大さを理解できずにキョトンとしていた。
もう! 本当に頭悪いんだから!
あたしに何が出来るかしら!?