王家の夜 3
3.
脱衣場でソネットはリンゼータのドレスを脱がせると、水を張った手桶に入れて言った。
「下着まで濡れています。すぐ替えのお召し物を用意しますので、お二方ともご入浴下さい」
何か悪いかと思ったものの、勧められるままにあたしも魔導師正装を脱ぐ。
「ではごゆるりと」
一礼してソネットは手桶を持ち去った。
「一緒にお風呂って久しぶりね」
「そうですね」
魔導研究所は『フェルディナント皇子の生活環境の整備』の名目で風呂場を建設し、魔導師であるあたしも利用出来る。
ただし魔導師ではないリンゼータが利用するのは規定違反の可能性があるので、『あたしの世話』を口実に利用していた。
一緒に入る分には誤魔化しが利く訳。
そういう口実でちょくちょく一緒に入浴はしていたが、今日は久しぶり。
リンゼータの肌は本当に綺麗だった。
静脈が透ける程白くて肌も肌理細かく、そして柔らかい。
その肢体は小柄ながらも、抜群にスタイルがいい。着やせするようね。
「羨ましいわね。綺麗な肌」
「やん、触らないで下さい」
「あのジュリオって坊ちゃんが触るのかしらね」
「くすぐったいです」
可愛いリンゼータをからかいながら浴室に入って驚いた。
ボスコーンの浴室は大理石で作られてやたらに豪華。
派手。
そして広い!
あたしなら5・6人は余裕で浸かれる浴槽と、その倍する広さの洗い場。
天井の魔導灯で明るいままで入浴出来るようになっている。
魔導研究所でもリュースが来ると急遽浴場が造られたものの、規模はこの半分。
浴槽は箱型の浴槽を入れたもので木製、木の香りはいいんだけども、上って入るのに対して、ここの浴室は床が一段低くなっているから入り易いし腰も掛けられる。贅沢な。
「あら? リンゼータちょっと」
白い背中に赤いもの見えて、よくよく観察すると左の肩甲骨の下側が三日月状に赤くなっていた。
「血が出て……あら、血じゃないわ……」
拭いても手につかない。
うっ血でも内出血でもない。
「アザ……なのかな」
今まで何度か一緒にお風呂に入っていたけれど、こんなアザは見た覚えはないわ。
血のように鮮やかな紅色。形は見事な三日月型。
「どうされました?」
ソネットがメイド服のまま入ってくる。
「大したことじゃないわ」
「いけません、背中に血が」
ソネットも流血と思ったらしくタオルを手に取って、拭いて驚く。
「血ではないですね」
「うん。前はなかったんだけど、アザみたい」
「そうですか。何事も無ければ宜しいのですが」
このメイド、風呂にまでつきっきりなの。
ソネットはリンゼータの体を念入りに磨いて、あたしの方はかなり大雑把に洗った。
汚してしまった引け目なのか、将来の当主夫人と見込んでのことか、それともあたしはついでなのかなー。
晩餐を中座することにさせてしまったボスコーンは、不手際を何度も詫び、リンゼータに今夜は泊って行くように勧めた。
「こちらの不手際。宜しければどうかお泊り下さい」
「いいじゃない。こう言ってるんだし、泊まって行こうよ」
リュースは実に能天気に答えた。
「おお、それは僥倖! 皇子にお泊り頂けるとなると、我が家の格も上がります!」
下がるって。こんなの泊めたら。
火事になっても知らないわよ?
あたしとリンゼータが泊めてもらったのは、ゲストルームの中で一番小さいもの。
元々は別部屋だったのだけど、一人で寝るには大き過ぎて落ち着かなくて、相部屋にしてもらった。貧乏性だわ……
寝衣はソネットのものを借りた。
あたしとソネットは背丈も体格もほとんど変わりない。
リンゼータも誰かメイドのものを借りていた。
「お休みなさい」
「おやすみなさいアリシア様」
三人が余裕で寝られる大きなベッドはフカフカで、これも慣れなくて落ち着かなかった。
リンゼータ、ここにお嫁にきたらこのベッドに慣れるのかしらね。
朝早く――
人の気配にあたしは目を覚ました。
「誰――?」
寝床の感触の違和感、人の気配と、何かいい匂い――
「あ、起こしてしまいました?」
ベッドから半分出かけたリンゼータが済まなさそうにしている。
ああ、メイドの朝は早いからね。
そうそう、昨日は泊まったんだった。
「今日は客人よ。ゆっくりしていたら」
「ええ。でも起きないと何だか落ち着かなくて」
「職業病ね。じゃ、あたしも起きるわ」
一つ大きな欠伸をして、あたしもベッドに腰掛けた。
「アリシア様はゆっくり寝ていれば――」
「起きるわよ。あたしもこんなベッドに馴染んだら、うちのボロベッドで寝られなくなってしまうわ」
「わたしは……」
ん? 口籠った。
「リュースと一緒に寝ているから、こんなベッドは慣れてるの?」
「もう寝ていません! アリシア様は意地悪です!」
幼い頃リュースに城に連れて来られて、当時リュースの乳母をしていたメイド――現在は城のメイド全員を統括するメイド長のミア・ヴェンサー――が自分の養女にし、リュースの遊び相手として一緒に育て、時に同じ寝所に寝かせた。
今でもリンゼータはかなりいいベッドで寝ていることは知っていた。
「リュース様よりもいいベッドですよ。リュース様の部屋はここよりももっと手狭ですから」
手狭には理由があって、屋敷があまり大きいとリンゼータが一人で掃除できないから――メイドを増やすと言う発想自体がないのがリュースで、リュースの家は――間違っても屋敷とは言えない――帝国の皇子が住むにはあり得ない程小さい。
ただし庭だけは非常に広く魔狼二頭が駆け回れる面積があって、リンゼータ一人では手入れ出来ず、城から専属の庭師が週に一度派遣されている。
「ここにお嫁に来たら、このベッドが使えるわよ」
「わたしがこんな大きな貴族様の家に、お嫁に来れる訳がありませんわ」
「侯爵は気に入ったみたいよ。でもあの厚化粧夫人は良くなさそうだから、ここにお嫁に来るのは考え直した方がいいわ」
話し声に感づいたのか、ノックしてソネットが入って来た。
「おはようございます。昨晩は良く眠れましたでしょうか?」
「おはようございます――」
あたしとリンゼータも挨拶を返す。
ソネットは丁寧に畳んだリンゼータとあたしのドレスを出した。
「さあどうぞ。汚れも綺麗に落ちました。お召し替えをお手伝い致します」
ソネットはずいっと近づく。
『お召し替え』って、お嬢様扱いね。
「自分で着れますから」
リュースなら兎も角、メイドが自分で着替えできないことはないわよ。
「いけません。今は侯爵様の大切なお客人」
とリンゼータを剥きにかかる。
リンゼータは自分がメイドなのでソネットの立場が解るからか、されるがまま裸にされてしまう。
「昨日の紅いアザは消えていますね。腫れだったのでしょうか?」
腫れだったかしら。まあでも治って良かったわ。
リンゼータは昨日頭を洗う時に髪を解いたままだったから、今朝は結わずにストレートのまま背中に垂らしている。
この髪形も可愛いわ!
その間にあたしは自分で魔導師服に着替える。
「では、朝食の準備が出来ましたら及び致します」
ソネットは着付けが終わると脱いだ寝間着を持って、一礼して出て行った。
朝食の場では、半分寝かけたままのリュースとお父さまも席についている。
帝国の権威がまた落ちる……またお父さまの白髪が増える――もう増えようがなかったかしら……
しかもまた厚化粧夫人がいるかと思うとゲンナリしたが、そこは我慢。
「お早うございますわ」
しかし入って来たあの夫人は、今朝はどういう風の吹き回しか、驚愕することに上機嫌だった。厚化粧は相変わらずだけど。
えー、どうして? 何か変な物食べた?
「フェルディナント皇子、今朝は実に良い日ですわね! ガディさん、うちのベッドは良く眠れました? アリシアちゃん、今日もとっても綺麗よ! リンゼータちゃん、うちのオムレツは絶品なのよ、お口に合うかしら?」
「今朝は体調がいいのか?」
退席の口実を本気にしたリュースが尋ねても、ニコニコとしている。
「まあ、フェルディナント皇子はお気遣いなく。今朝は滅法元気がいいザマスから」
本当にこれがあの厚化粧夫人?
厚化粧の下は別人?
「さあさあ、お席にお付き下さいな、リンゼータちゃん」
機嫌が治っても、あたしはついでか……
リンゼータが余程気に入ったのか、食事中もあれこれ話しかけ、宝石やドレスを贈ろうとし、また遊びに来るように何度も勧めた。
これは……これは脈あるかも!?
昨日の不機嫌には何か訳があるのかもしれないわ。
この様子じゃリンゼータが嫁いでも、身分を口実に酷く扱う心配もなさそうね。
ボスコーン侯爵はやや当惑気味だったが、昨日同様リンゼータにとても好意的だった。
その代わり、お父さまが苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「お父さま、どこか悪いの?」
「うむ……アクベスバの量産化のことだ……昨日一日、何もしていない……」
うわー、それは頭痛いわ……