改良された魔獣 1
1.
2日目――
「注文に来るときは、フードを頭から被ってましてね。でも来るとバッと脱ぐんですよ。綺麗な女だったな。背が高くて金髪で、いつも派手な髪飾りをつけて、紫のルージュで……」
魔獣の脳制御に使う魔導器・制御クリスタル。
それは魔導研究所の関連工場で職人による手作りだ。
まあ手作りと言っても芸術家の彫刻のように完全に手作業ではなくて、物質複製用の魔導器を使う。
でないと流石に生産性が劣るからね。
この魔導研究所付き魔導器工場は数十人規模で、皆が毎日せっせと魔導器を作っている職人達だ。
今あたしの応対をしているのは、事務方の白髪で小柄の中年魔導士・男性。
殺人や冤罪の事情を話すと快く協力を申し出てくれた。
ここは別組織だから情報の伝播が遅いようで、あたしの妙な噂も流れてないみたい。
あの発注書の不正は恐らく、制御クリスタルを発注し入荷してきた時に入荷した良品と、試験で不良になった制御クリスタルを用意してすり替え、不良品と称して平気な顔で返品する。
不良返品すればその支払いは免れることが出来るから、只で良品が獲得出来る。
次に制御クリスタルが入荷したときに不良品があればそれを返品し、不良返品した分の支払いはしないまま、事務部には誤魔化した良品を足した分で請求して不良分の費用を横領。
こういった手口かしら。
制御クリスタルはそんなに高価な物ではないから、事務部のチェックも甘い。
魔獣開発は制御クリスタルを良く使うし、良く壊す。だから不正も続けると結構な稼ぎになる。
ただし人を介すればするほど発覚し易くなる。だから注文も本人が行うと思った。その読みは当たってはいたけど……
「ほかに特徴は?」
「そうそう、姉さんほどの巨乳でね……」
ああもう、男って! それはともかく――
「……変装していたか……」
女性、派手な髪飾り、紫のルージュ。
ついでに巨乳。
派手であればあるほどそこばかり印象は行く。
そしてそこに目が行けば、逆に目の色やホクロなどはなかなか覚えない。
魔獣部には女性魔導師は二人。
あたしと第3課長シーラだけど、シーラではないだろう。
彼女は小柄で、長身ではないわ。
栗毛を金髪に染めるとか、控え目な胸を詰め物で偽ることはできても、身長だけは変えられない。
制御クリスタルは魔犬部でも使うし、女装する手も考えられるわ。
変装していたとは、用心深いわね。でも!
「注文書の古いものはない?」
「ありますよ……どこにあったかな……」
魔導研究所付であるため、標準品の大量生産のほか、特注品・試作品も製造する。
そのために事務所は数人の打合せが出来るテーブルもあり、あたしはそこで古い注文書を探すのを待った。
事務所は3人ほどが詰める作りになっていて、壁には書類がギッシリ詰まった棚が並んでいる。
彼は棚の一角から、ファイルに綴じられた木紙の束を何冊か降ろした。
「ああこれは違ったな……ほい、これで全部だ」
厚さ1インチ(2.54cm)ほどが4冊。
あたしは早速ページを捲った。
注文書の控え。カーボンペンは木紙を焦がすから、魔力を上げれば重ねた2枚の下にも字が写る。(熱くなるけど)
これを『重ね焼き』と言って、いざと言う時の証拠となるように注文書に1枚を控えとして持つ。
注文書は日付順にキチンと綴られていた。
あたしはあの注文書を覚えている。発注日が2月12月、そして数量変更の2月17日、納期は2月23日……
探すのはこのどれか。
あたしはページを捲った。
「あった!」
2月23日――納期だ。クリスタル20個注文・数量変更で17個。
でも――
「字が違う!?」
あの注文書の字は、あたしに似ていた。
でもこの字は全く違う。
「これじゃない……」
ページを更に捲る。2月17日、2月12日……その前後……
ない。
どこにもない。
制御クリスタル20個、発注数変更17個、2月12日注文、納期2月23日、数量変更日2月17日、これらに該当するのはさっきの1枚だけ。
もう一度初めから見直す。
初めから終わりまで見る。
別のファイルも調べる。
ほかには見当たらない。
もう一度さっきの注文書のページを広げる。
「うーん……」
どう見ても、明らかに字が違う。
「あの、つかぬことを窺いますが……」
あたしの声に、ファイルを出した棚の近辺の埃を払っていた中年魔導士は振り返った。
「何です?」
「この注文書の控えは再発行したものですか?」
彼はあたしの突き出したファイルを覗き込んだ。
「さあ……でもそれが?」
あたしは正直に字の話をした。
「ああ、控えはこっちで書くこともありますよ。魔力の少ない人や魔力収束の苦手な人や、下敷きがない時は重ね焼きをしませんから。これもそうです」
「……わかりますか?」
「そりゃ、これはわっしの字ですから」
この人の!?
やられた!
自分の字による控え伝票を残さないようにしていたのね!
「何てこと……」
ここでも……ここでも手掛かりがない……
制御クリスタルの発注者から犯人を辿ろうとして失敗すると、仕方なく次の手を打つ為にまた所長室を訪ねる。
今度は――
「アガベルケスの死体!? 死体なんぞ見てどうする!?」
所長は皇子がいないと途端に横柄になる。
所詮は小物ね。
上に弱く下に強い。
人の上に立たないで欲しいわ。
「死体に何か手掛りがないかを……何でもいいですから、何かヒントになるものがあるかも知れません」
「で、死体の何が見たいのだ!?」
「わかりません! 見てみないことには! でも手掛かりを捜したいんです!」
「何を捜したいのかもわからないのに、そんな要求飲めるか!」
「しかし見てもいないのに、何を捜したいのか説明しようがありません!」
何でもいいから手掛かりを捜したいだけなのに、どうして解ってくれないのよ!
何か一つ見つかるだけでも、重要な手掛かりになるかもしれないのに!
「あたしが犯人を捜すんです! 死体を見る権利だってあるはずですよ! 犯人がわからなくてもいいんですか!」
それなのに、ライピッツは忌々しげにあたしを見る。
「いいか魔導師アリシア・ガディ! アガベルケスの遺体は、事件解決まで葬儀も出さず石化して保存している。嫌がらせではない。石化解除も再石化も容易ならざる行為だ。何を調べるかもわからないのに、そう簡単に石から戻したり石にしたり出来るか!」
そんな……死体のままで置いておくと腐敗するとはいえ、少し調べるくらいだめなの!
「死体が見たいなら見せてやる。そのためには、何を見れば何が解るのかを報告したまえ!」
ライピッツはあたしの必死の願いは一顧だにせず、所長室から追い出した。
またカールかカレンを借りて臭いを調べるか、あるいは死体を調査する目的を考えるか――しかしどれも決定的な証拠が見つかるとも思えない。
「……何も聞こえなかったよ」
「……そうですか」
会話しながらガラガラッと事務部の部屋から出てきたのはリンゼータ。
「ガウ」
……とカレン。
「どうしたの?」
また性懲りもなく魔導師がイジワルしてきたのかしら?
「えと……」
リンゼータは恥ずかしそうに目を伏せた。
「わたしも、少しは役に立ちたくて……」
本当、いい娘ね!
「カールは?」
「第4課設計室で留守番です」
「……怪文書対策ね」
カールが見張っていたら、誰も手が出せないわ。
あの魔狼は皇子と同じで容赦がないから。
『食って良し』だからね
……でも怪文書や悪い噂は幾らでも方法があるから、カール一頭で対処するには荷が勝ち過ぎかも……
リンゼータが手を貸してくれたことは、役に立つ立たない以前にあたしに大きな勇気を与えてくれた。
リンゼータの発案で、ゴミ焼却場を捜すことにした。
犯人が持ち去れない物があったら、証拠隠滅のために焼却するかも――
焼却炉は事件があってから稼働していない。これは妙案かも!?
「これは……」
破棄・廃棄された書類やら資料やらが山積みになっていた。
リンゼータの籠ならざっと3個分。多いとも言えるし、少ないとも言える。
「ようし!」
あたしは意を決して手を伸ばした。
残念ながら内容を読んで理解する時間はとてもない。
パラパラ見るだけで精一杯。
だから内容ではなく、木紙の状態を見る。
汚れや傷や、焦げや、血――
「ダメだわ――」
それでも多い。
リンゼータも手伝ってくれていても、裏表、上から下まで、文字に汚れ……調べるのは兎角骨が折れる。
リンゼータの手も借りて半分調べた頃――
調べ終ってまとめた木紙を揃え、チェック終わった山に投げ出すと、落ちた束の横に赤黒い線があった。
「!」
木紙1枚では横は見えない。
しかし上下に沢山重ねると、1枚だけ横に色がついた木紙が浮かび上がる。
「これ……何かしら」
「何ですか?」
横で別の山を捜していたリンゼータが振り返った。
「これ……横に色がついている木紙が1枚だけあるわ。それに……血かしらね」
「カレン、嗅いで!」
番犬宜しくジッとお座りしていたカレンが、呼ばれてやってくるとリンゼータの差し出した木紙を黙って嗅ぐ。
「ね、カレン、血の臭いがする?」
「ガウ」
……リンゼータも狼語解るの? まあ母親代わりだし……
「血ですって」
「やっぱり……」
血のことと、リンゼータが狼語を解るのと二重の意味での『やっぱり』
でもこれで、多少手掛かりが出てきた。
重なった木紙の横を見て、色のついた物はないかを調べたものの、ほかには見当たらない。
一枚。されど一枚。重要な手掛かりであることは間違いない!
「ええと……『ハズバーンは魔力増幅器を内蔵し、ハズマリーより100リーメッツ以上向上、強化した分の魔力でファイアブレスも強化……』これはハズバーンの報告書か仕様書だわ……」
これは明らかに怪しい。
アガベルケス殺害とハズバーンの開発は何か関係がある。
しかもハズバーンの報告書や仕様書なら、アガベルケスの部屋にあってもおかしくない。
だからこれは犯人が棄てた物の可能性は大!
「ありがとうリンゼータ! 犯人につながりそうな物があったわ!」
リンゼータは苦笑する。
「で、何か手掛かりが見つかりました?」
絶句。報告書じゃあ……うーん……
内容。汚れ。余計な書き込み……何か、何か手がかりがない!?
困り顔のあたしに、リンゼータがアイデアを出した。
「カレンに臭いを追わせましょう」
「……出来る?」
「カレン、この臭いを嗅いで」
リンゼータに促され、カレンは木紙の隅々まで嗅いで行く。
「ガウ!」
「何かわかったみたいです」
「そう!」
リュースほど狼語に達者ではないわね。いや、むしろ人間ならそれが当然……
カレンは走り出した。
「追うわよ!」
「はい」
カレンは第2課設計室に行き、前足で扉を引っ掻いた。
頑丈な木製の扉が、小刀を突き立てたように削られて行く。
「こらこら、止めなさい」
あたしが扉を開けてやると、カレンは飛び込む。
そのまま走って、第2課長フィスの前に出る。
「どうしたんだい、森の王者の狼君?」
フィスはカレンを恐れずに頭を撫でている。
「ガウ!」
「なんだい?」
フィスは何のことかわからないようだ。
まさかフィスが犯人?
そんなことある訳ないわ……でも……
「どうしたんだい、アリシアにメイド君」
あたしが呆然としていると、フィスはあたしの手にある木紙に気付いた。
「その報告書、どうしたんだい?」
「えと……」
答えに詰まった。本当の事を言うべきか、誤魔化すべきか……
「これは、課長が書いたのですか?」
あたしの質問に、にこやかに答えるフィス。
「そうだよ。アガベルケス課長に頼まれて、お手伝いをしたんだ。それが?」
あたしは愕然としながら木紙を眼前に広げた。
「カレン、嗅いで!」
あたしは字の周りをカレンに嗅がせる。
カーボンペンで書き込むときに染み込んだ汗と、ここにいるフィスの臭いを比べる――
「ガウ」
「同じ臭いみたいですわ」
褒めて欲しいのかカレンは嬉しそうに吼え、リンゼータはよしよしとその頭を撫でている。
「血がついていたから、犯人の臭い移っていると思ったのに……」
思わず壁を叩く。
「それじゃ、これも手掛かりなし……」
あたしも力なくカレンの頭を撫でた。
二日目にも、結局何の手掛かりも得られなかった。