魔導師フェルディナント・ペデルーンの魔獣 6
6.
リュースは階段を駆け下り、建物から飛び出すと離れにある大食堂へ駆け込んだ。
引き戸を思いっきり引いて、大き過ぎる騒音を立てる。
突然の騒音に、昼食中の魔導師たちの視線が集中する。
あ、あたしにも!?
「探せカール! カレン!」
リュースは集中する視線なんてどこ吹く風。
迷惑顔も困惑顔も全て無視、持った木紙の臭いを魔狼に嗅がせると、二頭の魔狼は魔導師達を順番に嗅いで行った。
「……」
魔導師達は固唾を飲んで、皇子と魔狼の動きに注目していた。
「ガウ!」
カレンが若い魔導師の前で吼えた。
「何だと!」
リュースは大股で近づき、木紙を向けるとカレンはその臭いを嗅いだ。
「ガウ!」
カレンがもっと大きな声で吼える。
あたしは嫌な予感がしたので思わず叫んでしまった。
「止めさせなさいフェルディナント皇子!」
同時にカレンが弾かれたように彼に飛び掛かったが、意外なことにリュースはすぐに魔狼を制止させた。
「カレン! おあずけ!」
本当に紙一重だった。リュースの言葉で、飛び掛ったカレンの牙がその魔導師の首で寸止めになる。
ギリギリで間に合ったみたい……でも『おあずけ』はないでしょう……
カールとカレンの牙はあたしの指ほどもある。
魔導師にしてみれば、喉元に四本のナイフを突きつけられているも同然。
断頭台に上げられた死刑囚の心地かしらね。
「待て! 何のことだ!?」
若い魔導師は狼狽しつつも、毅然と反発する。
「これを書いたのはお前だろ!」
リュースは木紙を見せた。
「知らない! 知らない!」
「フン。犬や狼の鼻は人間よりよっぽど利く。そしてお前の臭いがすると言っている!」
『言っている』って……言ってたの? 魔狼が?
リュースはカールも呼ぶと、木紙と若い魔導師の手を嗅がせる。
「カールもお前の臭いがするとさ!」
「偶然だ! その木紙を持ったことがあるだけだ! 木紙は研究所で支給している! 誰が触ることだってあるだろう!」
若い魔導師の自己弁護は必死だ。死神の鎌が首を分断する寸前なのだから。
「違うな! カーボンペンで焼き込むと、その熱で手は汗をかく。つまり文字の周りに汗が染み込んで、書いた奴の臭いがつくんだ。カールにもカレンにもこの文字の周囲の臭いを嗅がせた。その結果、お前の臭いがすると言っている!」
魔導師は窒息寸前の小魚のように口をパクパクと動かしたものの、声にならない。
カレンは忠実に『おあずけ』を守っている。
大きく開いた口を喉元に押し付け前足を肩に載せ、命じられれば即座に首をその頸椎ごと噛み砕けるように。
そしてもう一頭の黒い死神も、低い唸り声あげつつゆっくり近づいて行く。
「お前の為にリンゼータとアリシアが泣かされた! その罪は万死に値する!」
嫌な予感がして、あたしは咄嗟に二頭の襟巻きのような尻尾を握る。
間一髪、皇子は恐ろしい命を下した。
「カール! カレン! 食ってよし!」
「食っちゃだめでしょ!」
あたしは渾身の力を込めてフサフサの尻尾を引っ張り、魔狼を止めた。
本来のパワーならあたし一人の力如きではどうこうできないけど、あたしが引き止めることを理解した二頭は本気で処刑にかからなかった。
あたしの行動に困惑して、動きを止めてくれたみたい。
それにしても恐ろしい命令を下すわね、天災皇子。
ここまで怒った姿は初めて見たわ。
リンゼータを泣かせると命がないのね……
「たっ、助けてくれ!」
魔狼に言葉は通じないと思っているだろうし、リュースが処刑にかかっているから、必然的に命乞いはあたしに回ってくる。
何よこれ!
あたしが生殺与奪の権利持っているっての!?
「……どうしてあたしが犯人だって決め付けるのよ!」
命だけは助けてあげたんだから、便乗させて貰うわよ。
「噂になっているぞ! お前の書いた怪しい書類があると!」
「あたしが書いたんじゃないわよ!」
「アリシア、何か噂になってるの?」
「アンタも聞くな!」
この皇子は人を疑うと言う事を知らないのかしら……そんなことだから金髪女に騙されるのよ!
「しかしリンゼータを泣かせた以上、死を以て償わせ……」
「普通に謝らせなさい! こんな奴でも、自分のことで死んだとわかったらリンゼータはまた悲しむわよ!」
「謝る! 謝る! 謝るから、命だけはお助けを!」
壊れた玩具のようにギクシャク頭を振りながら、魔導師は泣いて許しを乞うた。
はあ……コイツも情けない。
魔獣部第4課名物天災皇子に関わるからよ。
どうしてリュースを天災皇子と言うのか――天災と同じで人間の力ではどうしようもないから。
あたしが取り成したおかげで、死罪を免れた魔導師は泣いてあたしに感謝し、遅れて来たリンゼータにペコペコ頭を下げ、やっとリュースも怒りを解いた。
「魔導師ともあろうお方が! もう、こんなことしてはいけませんよ。言われなき誹謗中傷がどんな結果を迎えたかわかったでしょう。他人へ放った悪意は、巡り巡って自分へ返ってくるのですよ」
大丈夫。殺される寸前にまで行ったから、二度としないわよ。
本当、リンゼータはいいお母さんになるわ。
感心したあたしは、同時にハッと思いた。
「魔導師フェルディナント・ペデルーン、カールとカレンよ!」
「ん? こいつらがどうした?」
嬉しそうに尻尾を振る魔狼の頭を撫でながら、リュースはホケッと答えた。
カールもカレンも、尻尾を振りながらあたしを見ている。
「例の注文書! あれの臭いを嗅がせるの! 誰が書いたのか! カールとカレンならわかるでしょ!」
……どうして怪文書で気付いて注文書で気付かないかな!
「おお! その手があったか! カール、カレン、来い!」
だから走っちゃダメだって!
残されたリンゼータが気まずそうにしているので、あたしは手を引いて食堂を出た。
晒し者にされるにはあまりにも気の毒よ!
「お互い酷い目に合ったわね」
「でもわたしはアリシア様のように殺人の冤罪まで受けていませんから」
「リンゼータが冤罪被せられたら、リュースが激怒して研究所を焼いちゃうわよ」
「そこまではいくらご主人さまでも……しませんわ……多分……」
「そうかしらね」
リンゼータに歩調を合わせているので、リュースには追いつけない。
でも仕方ないわよ。
リンゼータだって第4課の仲間なんだから。
リュースの行先は所長室。
あたしがたどり着いた所で、リュースは迷惑顔の所長を廊下に連れ出していた。
魔狼まで押し掛けたとあっては、無言の脅迫だわ。
……いや、多分言葉による脅迫もしたでしょうね……自覚なしで。
「おうアリシア、注文書貸しくれないから所長ごと持ってくぜ」
「……」
もう絶句するしかない。
所長も注文書貸し出せば、こんな迷惑か恐怖か合わずに済んだのに。
カールとカレンがしきりに注文書の臭いを嗅いでいる。
「ガウ!」
「ガウガウ!」
「そうか。いいぞ。では行こう」
「……魔導師アリシア・ガディ」
所長は静かに聞いてきた。
「何でしょうか?」
「……フェルディナント皇子は狼の言葉が解るのか?」
あたしの方が知りたいくらいよ。
確かに良く魔狼に話しかけてはいたけど、まさか言っていることが解るなんて思わなかった。
「……どうも、解っているみたいなんです」
「きちんと説明すれば解る知能は与えてある。要は解ってやる気があるかないかの差だ!」
狼語の理解者の言葉に、追随するライピッツの顔が更に険しくなる。
研究所に来て、配属されたどの部署でも馴染めずに問題を起こして追い出された時、リュースは所長相手に言ってのけた。
『おれの言動が理解できないと言うけれどもな、理解しようとしているのか』
所長はリュースを理解する気を放棄して、いつも配属を変えただけだった。
それを皮肉られたと思ったのか目に見えて不愉快になり、言葉数も少なくなった。
リュースは別に皮肉っていない。
そもそもそんな機微には疎いし、足を引っ張る凡人なんて、良くも悪くも眼中にない。
天才であるが故に――
カールとカレンは急ぎ足で――時折立ち止まって振り返り、あたしたちを待ってくれつつも――一階に降りると真っ直ぐ第1課長室に向かった。
「鍵を貰ってきます!」
あたしは例の騎士の所へ走って鍵を借りてきた。
これで――これで犯人が解る!
あたしの無罪が証明される!
胸が高鳴った。
「鍵です!」
南京錠を開けようとしても、手が震えて思うように行かない。
「アリシア様、わたしが」
リンゼータがあたしの手から鍵を取り上げ、器用に難なく南京錠を開錠する。
続けて部屋の鍵も開錠し、ドアを開けた。
「どうぞ」
最初に部屋に飛び込んだのは二頭の魔狼。
続いてリュース、所長、そしてあたし。
開けたリンゼータは遠慮して入らない。別にいいのにね。
カールとカレンは二頭とも机に向かった。
良し、あそこに犯人の手がかりがあるのね!
机に吼える。あたしは走って所長もリュースも追い越す。
「ここね!」
「ガウ!」
肯定するように魔狼は同時に吼えた。
あたしがガタガタ音をさせて引き出しを引き出すと、カールは顔を突き出し、鼻を巡らせて嗅いで行く。
「ガウ!」
鼻が止まった。
カレンも引き出しの隅にあった小さなビンに向かって吼える。
「……これ?」
「ガウ!」
魔狼は嬉しそうに答えた。
「ねえ、カール、カレン、これなの?」
あたしはビンを手に取った。
「なんだ?」
所長はビンを取り上げ、蓋を捻って開けた。
ツンと柑橘系の匂いが鼻につく。
「実験用の薬剤……いやただの香水か!? それにしても酷い臭いだな。趣味が悪いぞ」
所長はのたまうと、あたしを正面から睨んだ。
「で、これが犯人の手掛かりか?」
とは言っても……
「ほかに、ほかに怪しい臭いはしない!?」
カールとカレンは顔を見合わせた。
「ガウ!」
「これしかないと言っている。あまりに強い臭いがあると、ほかの臭いがわからなくなる」
リュースは残酷な事実を告げた。
「……」
そんな……犯人の手掛かりが……
「この注文書はこの引き出しの中で見つかった。臭いがするのも当然だろうな」
何もないなんて……!
「フェルディナント皇子。第4課は原価計算書が出ていないようだが。こんな所で魔狼と遊んでいて良いのか」
原価計算書? 何の話?
「どうして完成したアクベルトの原価計算書を急ぐのです!?」
「そうか、朝のことを知らぬか」
ライピッツ、朝からあたしに冤罪ひっ被せておきながら、何を言うのよ!
「第2課・第3課より設計図について意見があった。何しろ前例のない複合多頭だ。これまで同様の評価・試験でいいのか」
「それが?」
「第4課のプロトタイプは確かに見事だ。しかし生憎4課は本格的な魔獣の設計は未経験。そこを危惧して、より安定した性能を持たせるために、ほかの課の協力を要請した」
あたしたちが!
徹夜であれだけ苦労して!
泣きそうになりながら!
読めない字と意味不明の文に悩まされて!
必死で仕上げたあの設計図を!
「あの設計図、第1課や第2課に只で見せたのですか!」
「人聞きの悪いことを言うな! そんなに手柄を独り占めにしたいのか!」
いとも簡単に第1課や第2課にくれてやったの!
「そしてちょこっと手を入れて、自分たちの手柄にするのですか!」
「魔導師アリシア・ガディ、口が過ぎるぞ。同じ魔獣部の仲間はないか。いがみ合ってどうする」
「手柄を横取りするからです!」
「そこまでして手柄が欲しいか!」
ライピッツはあたしを怒鳴りつけ、リュースを向く。
「フェルディナント皇子、あなたも第4課に戻って課長の指示に従ってもらいたい! こんな所で油を売っている暇はないでしょう!」
「第4課長は自由にしていいって言ってたぞ?」
「ではこちらで命令を出します。すぐに4課に戻って原価計算書の手伝いをして下さい。猫の手も借りたいはずですから」
「でもアリシアが」
「これは本来の業務ではありません。今日1日付き合ってだけでも十分ではありませんか」
くっ……
ライピッツはリュースを促して部屋を出て行った。
「……そんな……」
「ガウ……」
あたしの気持ちを察したように、魔狼は心配そうに見つめている。
よしよし、お前たちも飼い主に似て優しいのね。
「……」
リュースはいなくなった。
しかし魔狼がいる。時間もまだ2日ある。
あきらめるのはまだ早いわ!