次期魔獣開発 1
1.
青い晴れ空には、小さな雲が一つだけ浮かんでいた。
心地よく吹く真昼の春風が、不動の姿勢で立つあたしを眠りの世界に誘惑する。
我がヴェスベラン帝国の誇る魔導研究所の、十人対十人の魔導師が模擬戦可能な広さを持つグラウンドの端で、緊張した面持ちで居並ぶ魔獣部各課の魔導師たちはそれぞれが十数人ずつの横並びで前後四列――ほぼ四列に並んでいる。
『ほぼ』と言うのは一列目と二列目が第1課、三列目に第2課、四列目に第3課がずらっと並べるだけの人数が揃っているのに対して、最後列はあたし達二人。
全員、魔導師としての正装――基調は黒の上下、正装としての装飾に、前の合わせの左右に、襟から下向き橙色の帯が走った上着と、下には左腰に短い銀のチェーンをつける。
右腰に青鞘の短剣――鞘・柄・鍔に高級そうな精緻な銀の装飾をしている魔導師の証(なぜ短剣が魔導師の証なのかしらね?)――を差している。
あたしを含め魔獣部の二人いる女性は、短剣は差すけどチェーンを廃して、指で作った丸ほどの大きさの銀のリングを一つだけつけた灰色のスカート――だけど給金の関係で、第3課長のシーラ(三十一歳・小柄痩せ形の栗毛・未婚)と比べると布地や仕立や縫製はあたしのそれは遥かに悪い。
あたしは彼女ほど正装にお金はかけないからね。
迎える人が全ての魔導師を統括する立場だから、失礼のないようにしているのだけどね。
生地が安いのは情けないわ。
「アリシア、その、まだかな……」
そう言ったあたしの右隣にいる小柄で初老に見える魔導師は、あたしの父にして魔導研究所魔獣部第4課長のグリファイク・リム・ガディ。
あたしの名はアリシア、姓は同じくガディ。魔導師名はペデリーン。
フルネームで言えばアリシア・ペデリーン・ガディ。
「ええ。いつものことでしょ」
『魔獣部のおまけ』『予備人材』『皇子隔離場』『ゴミ箱』と結構裏では酷いことを言われている第4課の、課長のお父さま。
短く刈り込んだ頭は見事に真っ白になっていて、今年で四十一歳になるけど実年齢より十は老けて見える。元々はあたしと同じ赤毛だったのにねぇ。
だから一緒にいるとあたしのことを『お孫さんですか?』と尋ねられることも少なくない。
その度にお父様は嘆息して、『あたしが若く見えるだけよ!』なんてフォローはしていても、暗に『まだ嫁に行けないのか』と責められているような気がして、あたしも正直ツライ。
二十一歳なんて完璧に行き遅れだからねぇ。孫ができたらできたで、『曾孫さんですか』って言われるのかしら……?
「第4課! 第4課はまだ揃わないのか!」
魔導師たちの最前列右端に立っていた、短く刈った金髪と切り揃えた口ヒゲがトレードマーク、女性より小柄な身体に大きな怒鳴り声の中年――魔獣部長のバルギスの声に、あたしは思わず背筋をピンと伸ばした。
「まだです! 申し訳ありません!」
お父さまは取り敢えず謝罪する。あたしたち第4課は人数が少ない&ほかの魔導師は勢揃いしている&一人お子様みたいなのがいるので、遅刻者がいるのはとても恥ずかしい。
「早く! 急いで下さい!」
涼やかな声がしてあたしが振り向くと、グラウンドに若いカップルが走ってきた……否、少女が一生懸命に男の方を引っ張っている。でも男の方は――
「そんなに引っ張るなよ! 危ないよ? 転ぶよ? まだ時間はあるって!」
引っ張られて来た魔導師の男は若い。『魔導師』と呼ばれるには上級魔導学校を卒業すること。
それは順当に行っても二十二歳、半数は留年を経験するから普通は二十三歳ほど、かく言うあたしが世間一般的には行き遅れの年齢だとしても、一年飛び級して二十一歳と言う異例の若さでその魔導師になれたのは、自分で言うのもなんだけど不断の努力と才能+運も少々のおかげ。
しかしこの男はレベルが違う。
十九歳という上級魔導学校始まって以来の若さで魔導師になれたのは、魔導学の天才児だったから。
そして今年から赴任した先は、設立して数年で権威も何もまだない『魔獣部』の、どうでもいいような雑用担当第4課とは言え、魔導師を志す者なら誰しも夢見、憧憬の対象となる、帝都にしかない栄誉あるヴェスベラン魔導研究所。
『雑用』だの『権威がない』なんて言っていたら罰が当たるわね。何度も配置換えがあったとしても。
しかもこの男、見かけも相当な美形で、実年齢より二〜三歳若く見えて『美少年』と言う言葉は彼のためにあると言っても過言ではないかも。
女性でもこんなに艶やかな色はないと思う、陽光に照らされて不思議な輝きを見せる黒い髪。
神秘的な光を湛える黒い瞳。
少女のような桃色の唇に高い鼻。
その白皙の美貌は、帝国劇場の主演男優なみの甘いマスク。
声は美声で歌も超上手。彼の歌は帝国劇場で披露できるレベル。
これで血統がヴェスベラン帝国の第三皇子様っておまけつきなのよ?
世の中絶対に不公平にできているわ!
「早くしなさいフェルディナント……皇子!」
思わずあたしは怒鳴りつけていた。
くーっ、またあちこちから嫌味と文句を言われてしまうけど、しょうがないでしょ! 相変わらず常識ないんだから!
天は三物も与えたおかげで、代わりに色んな物を最低限さえこの皇子に与え忘れていた。
その外見と頭脳の優秀さと美声(+毛並み)をぶち壊して余りあるだけ、不足しているものがあった。
思考形態は『非常識』の一言。性格はお子様。他人とコミュニケーション能力欠如。生活能力なし。人間の友達は皆無。人間以外なら案外いるかも……
口の悪い貴族に「皇子はお若く見えますが、頭の中はもっと若いですな」と言われたとか……それを嫌味や悪口や皮肉とも取れないし……
あるいは美声に騙されて、迂闊にも歌に惚れ込んでしまった大貴族の御令嬢が、是非にと願って少し話をした結果、三十分後に泣いて逃げ出した……これを破談にカウントしたら御令嬢が気の毒だわ。
優れ過ぎた分の不足分があるのか、足りないものが多過ぎるから優れた部分も多いのか……これは哲学的な命題だわ。
まあ人間って、どこかで帳尻は合うものなのかしらね?
そして引っ張っているうら若いメイド、リンゼータは掛け値なしの美少女。
純白のプリムを頭に載せたプラチナブロンドをアップのツインテールに結び、肌は高級の白磁のようで、小柄ながらも体のラインは黒いメイド服越しにも分かるほど女性らしい優美な曲線で描かれて、羨ましいくらいに彫が深い顔立ちと高めの鼻といい、艶っぽい唇といい、男が十人いれば最低でも八人は振り返るくらい可憐で可愛らしい。
全く、同じ女としてどうしてこんなに格差があるのかしら?
芳紀は推定で17歳。
「推定」と言うのも、彼女は幼い頃にリュースに拾われた孤児で、正確な年齢は本人にもわからないためなの。
それでもリュースに妹同然に可愛がられ、家族同様に厚遇されている。
何しろごく親しくなれば教えもしない『親名』である「リュース」と呼ばせているほどにね。
お父さまやほかの魔導師らはリュースを『フェルディナント皇子』と呼ぶ。
あたしは、傍に知らせていけない人がいない限り、リュースの許可をもらっているから『親名』である『リュース』で呼んでも許される。
『親名』は王族貴族にとっては大変名誉ある名前で、家族以外は易々と教えないのが普通で本人の許可なく呼ばせず、本人の許可なく呼ぶのは非常な無礼にあたり、王族なら死罪を命じられてもおかしくない。
あたしのお父さまも皇子に親名は教えられて『リュースと呼んでいいよー』と言われているけど、お父さまは畏れ多くてとても言えないらしく、だからあたしもお父さまの前でリュースを親名で呼ばないことにしている。
リュースのフルネームは実に長ったらしく、『リュース・フェルディナント・ペデルーン・ヴェスベラン』と言う。
前から順に『親名』『名』『魔導師名』『姓』となっている。
親名の秘密や魔導師名を名乗るかにより、相手によって自己紹介を本来は変えねばならないが、そんな良識が欠如しているので親名を明かさない相手以外には『フェルディナント・ペデルーン・ヴェスベラン』で統一している。
「フェルディナント皇子、間もなく魔導大臣がこられます!」
自分の息を整えながら、崩れてしまった皇子の上着の形も整えながらリンゼータが告げる。ちなみに皇子は皇族の薄紫色の正装ではなく(勿論持っているはずね)、どういう訳か魔導師の正装。あたしたちと同じ、黒に橙の帯つき。
「んー」
子供のような返事をして、皇子はキョロキョロと辺りを見回す。心配になってきたわ。
「どうして皇族の正装じゃないの? 汚したの? 失くしたの? 食べたの?」
あたしの口調は強くなってしまったものの、お父さまは何も言わない(のか、言えないのか……)
「あのな、リンゼータがちゃんと仕舞っているんだ。汚しも失くしもするかよ」
じゃあ食べるの?
「ええ、リンゼータが管理している間は微塵の心配もないわ。でも着た後で、着たままで、木に登ったり川で泳いだり泥遊びしたりするでしょ!」
言ってるこっちが恥ずかしいわ。でもこの皇子はやる人物よ。
「何を言う。着たままでするときは、なるだけ汚さないようにするぞ!?」
ほらね!
「……だから心配なのよ!」
正装したら、そういう子供じみたことは普通しないものよ!
……それ以前に、年齢考えたら普通しないことでしょ!
そしてそういう事は、大声で言うものじゃないでしょ!
みんな笑っているじゃない! あたしとお父さまと……リンゼータ以外は!
「じゃあどうして皇族の正装じゃないのよ!」
「だっておれは今日、魔導研究所の魔導師として、魔導大臣を迎えるんだぜ? 皇族としてじゃないだろ? だから魔導師としての正装をするのは当然のことじゃないか」
あたしは絶句した。言っていることは至極尤も。とても非常識が正装している皇子の言葉と思えない。
「フェルディナント皇子! それはちょっと!」
バルギスが出てきて困惑する。
そうよね。
『皇族がいます! だから予算をもう少し都合して!』の目算があってことだから、紫の正装で目立ってもらわないと!
「部長! お言葉ながら、フェルディナント皇子の主張は尤もです! それに今から着替えるとなると時間がありません!」
別にあたしは嫌味を言っている訳じゃない。
ここで着替えに戻って結果リュースが遅れたら、そのトバッチリが来るのが迷惑なだけ。
お父さまの業務は皇子の監視じゃないのよ! 一応……
「くっ……」
バルギスは悔しげに唇を歪める。
「仕方ない。フェルディナント皇子、後で魔導大臣に挨拶には行きますよ!」
ふう、そうまでして皇子をダシにするのね。まあ皇子だけ連れて行ったら――やっぱり心配……
しかし肝心のフェルディナント皇子と言えば、あたしたちを見て並ぶ場所がわからずキョトンとしている。
「あたしの横に並んで……そっちじゃない!」
あたしはリュースに向かって何歩か進んだ為、右に少し間隔があった。
彼は初めそこに立とうとし、注意されると左に回ったものの、何をトチ狂ったのかあたしの真横にピタッとついた。
「くっつき過ぎよ!」
手の甲が触れる距離に思わず顔が熱くなる。
「ん?」
しかしリュースは全くわかっていない。
「さ、ご主人さま、もう少し離れて下さい」
苦笑したリンゼータが横に引っ張って、皇子とあたしと離してくれる。
「よし。皇子も何とか間に合った」
バルギスの言葉――いえ嫌味にリュースは首を傾げた。
「おれ遅刻してないぞ……?」
「一番最後でしょ!」
あたしはカッとなって思わず叩きそうになったけども、なんとか自制できたわ。
本当は遅刻していないしね。
でもお偉いさんがくるのに一人だけ最後に来たら……遅刻に見えるのも事実ね……ハア……
緊張の糸が切れると別の糸も切れた。魔導師正装からボタンが取れて飛んで行く。
「ひゃあっ!」
驚くあたしの左から無神経な声がかかる。
「アリシア、また太った?」
「太ってない! 胸が少々大きくなっただけよ!」
コイツは! 相変わらずデリカシーのない!
太れるほど栄養状態良くないわよ。
それに『また』って何よ! 確かに胸だけは大きくなったわよ!
リンゼータは苦笑してあたしのボタンを拾ってくれた。ううっ、繕う暇があればいいのだけども。