行軍曲と共に行く。その音色、天使か悪魔が奏でるものぞ
行進のシーンの曲のイメージ
軍艦行進曲(原曲) 作詞:鳥山 啓、作曲:瀬戸口 藤吉
JASRAC作品検索データベース・J-WID
作品コード028-0260-1
ISWC T-101.207.102-0
検索結果:著作権消滅。
タタタン、タタタンと軽やかに響くは太鼓の音。それに合わせて行軍す。
マスケット銃を肩に担ぎ、身に着けたるは国軍の華美な制服。
一糸乱れぬ、その行軍は友と繰り返し、指導を受け、覚えてみせた動作なり。
違うのはその場所、演習場ではなく、戦場となるその平原、目指し歩く我ら。
目の前に現れたるは、敵たる軍勢。同じように銃を担いで行進するその姿。
ここが戦場あらざれば、良き隣人。悲しいかな、徴兵されたる我ら、彼らは敵味方。
総員横隊陣の掛け声で広く、分かれた我らの姿、同じように分かれ、隊列を組む。
訓練受けて覚えたことは合図と指示を聞くこと。
隊列乱さず、7つの号令に合わせて取るのは17の行動、銃を撃てるように蝋で包まれた紙薬莢、食い破って火蓋に少量火薬を置き、薬莢ごと銃口からカルカで奥へ押し込んで撃てるようにいざ準備。
命令とともに引き金引けば、撃鉄落ちて、みんな一斉に派手な音。銃声奏でて弾は飛ぶ。
敵も負けじと一斉射撃、命令に合わせて撃ち合う姿、隠れる所はどこにもない。そんな場所で撃ち合うならば、耳元には銃弾かすめる飛翔音。運が悪い戦友がドサリドサリと、弾を受けて倒れてく。
遠く後方より聞こえたる重く響くは砲撃音、砲兵隊の皆が職人のカンと経験に合わせて、敵に向けて砲を撃つ。
号令ラッパの合図を聞けば腰に帯びた銃剣を取り出し、銃に付け、いざ行け、突撃、みな行こう。
これも愛する家族のためと、はたまた故郷に残した彼女のためと、皆々思いは違えども願うは1つ、生還ぞ。
臆することなく進むため、声を張り上げ突撃す。
隊列を乱した敵陣に突撃すれば銃剣で突きを繰り出し、仕留める所を狙う敵。互いの銃をぶつけ合い、殴りあう、それもまた戦いなり。。
突如、パンパンと軽い音。連続して響く音。音の先には突撃歩兵、複数丁の回転弾倉式小型マスケット銃を持ち、ゆっくり狙いを定めて、こちらを撃つ。弾切れ起こせば別の銃、取り出し、何度も冷静にこちらを銃撃す。
ラッパのなる音に合わせて皆は退却を試みる。故郷の家族、恋人に生きて合えるか運任せ、退却戦は死にやすい。そんな話はよく聞くことぞ。
はい、というわけでアメリカ南北戦争、ナポレオン時代から、第一次世界大戦前までのいわゆるボルトアクションライフルが生まれるまでの間の戦いのシーンを描いてみました。
行進曲で行進し、隊列を組んで合図に合わせて動く。この方法は戦列歩兵という戦術でとにかく銃弾の雨を降らせること、相手が怯んだら突撃という2つが基本となります。
大砲もありますが、初期の砲兵は大砲の着弾点から経験と勘で照準のずれを直します。これが弾道学という数学が入ると職人芸から物理の世界に入る専門家へとなります。
ちなみに軍艦行進曲は現在では自衛隊の公式儀仗曲となっており、海上自衛隊東京音楽隊では公式ホームページから聞けるようになってます。
ちなみに雑学ですが、意外なところで、この曲は使われています。まずは旧ビルマ、現在のミャンマー。この軍艦行進曲の曲を流用してミャンマーの軍歌を作っています。大東亜戦争末期までビルマをおさえていた日本軍から教育を受けていた、アウンサンスー・チーさんの父親、アウンサン将軍などが気に入り、ミャンマー語の歌詞をつけて採用したそうです。
また、岩手県立盛岡第一高等学校の校歌は、旧制盛岡中学校時代に、宮沢賢治や石川啄木等の文化人の他、米内光政や及川古志郎の海軍軍人も輩出している縁もあり、旋律は同じだそうです。ただ、長い間歌い継がれたため、テンポが遅く、口伝でメロディーも少し変わっているため、知らないと、同じ曲とは分からないそうです。