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読書家の君



 真っ白な洋館において、ここだけはなぜか古めかしい。年季の入った鉄扉(てっぴ)を引き開ける。

 重たい扉を動かすたびに、毎回後ろめたさを感じてしまうのは、ここにしかない雰囲気を乱してしまうんじゃないかという恐怖を感じるから。そして、動かしたせいで、館がホロホロと崩れ落ちてしまうんじゃないか、なんて考えてしまうから。


 馬鹿な考えだと思う?

 そうかな。


 できるだけそっと開けたつもり。

 でも扉は、重たくギィと時代錯誤(じだいさくご)な声で鳴いた。

 外の空気と混ぜたくなくて、僕は急いで扉を閉める。



 時間さえ封じ込める二人のための密室。

 これで、館の一部に溶け込める?

 同種と認めてもらえるだろうか?

 彼女に聞いたところで答えてなんかもらえないだろうし、答えてもらっても空しいだけと知りながらも、無性(むしょう)に聞いてみたくなる。





 扉と一緒に揺れた空気が、再び無音で降り積もるのを、息を潜めて待っていた。

 ステンドグラスの天窓から差し込む光が、石の柱を、乳白色の床を照らしてる。

 天井までが吹き抜けの、高くて広い部屋だった。壁を埋める本棚は、びっしり本で埋まっている。

 閉ざされている事実さえ忘れてしまう開放感が、二人の距離を居心地の良いものに変えていたんだ。



 僕の立っている扉の前から、彼女の座るテーブルまでは、だいぶ離れているけれど、静止した空気の中では、彼女の(あわ)い吐息まで聞こえてきそう。

 程よく温められた室内。肌を包む愛しい温度、嬉しい気持ちを感じながら、僕は彼女の元へと向かった。


「遅かったね」


 手元で広げた本の上に、彼女はポトリと一言落とした。

 ほんの(わず)かに、乾いた紙の音が立つ。


「ごめん。学校が終わってからまっすぐ来たんだけど」


 空色の瞳がこっちを向いた。

 なぜ謝るの? 

 そう言ったんだと受け取ってみる。

 うん、怒っていないのはわかってる。

 なんとなく、だよ。



 彼女が生み出す空気、雰囲気、不可視(ふかし)の気配は、時の流れを感じさせない幻想めいた非現実感を持っているのに、触れてしまえば音を立てて砕けてしまうかもと不安になるほど、危うく確かな形を持っている。


 無垢(むく)

 幻想を思わせて、(ひど)(はかな)い。

 霧久(むく)

 霧が晴れてしまうまで続く、夢のような永遠。


 彼女は確実に形を持っていた。

 有形であることが、僕はなにより恐ろしい。

 彼女に関わるもの全てを絶対に失いたくない。

 壊したくなかった。

 馬鹿な考えだと、自分でもわかってる。

 それほど僕は、彼女を失いたくなかった。





 今日も暑かったね、そういって彼女の前に座る。

 そうなの? と返事が返ってきて、僕はこの部屋で暑さを感じたことがない事を思い出した。

 クーラーなんか付いていないのに。


「外は暑いんだね」

「もう太陽は夏の高みに座ってるよ」

「そっか」

「あのさ、君は好きな季節ってあるの?」


 僕は彼女のことを何も知らない。

 でも、知らないことさえ楽しいと思える。だって、これからどんどん教えてもらえるんだから。僕の中にもそんな不思議な感情があることを、ここへ来てから初めて知った。

 窓の外を眺めながら、彼女は言う。


「そういえば、この窓から見る景色はいつも変わらない気がするよ」

「夏だけって事?」

「そう」


 そんなことがあるのだろうか? という疑問が沸いてきたけどすぐに霧散(むさん)する。彼女は嘘をつかないことを知っているから。恒久的な夏の原理も知りたいけど、それよりも彼女が読んでいる本が気になっていた。


「何を読んでいるの? また漫画?」

「そう、まんが」


 彼女の向かいに座っても、読んでる本の名前を知ることは叶わない。紙で折られたブックカバーが、僕の邪魔をしてくるからだ。

 この部屋を囲む無数の本棚。大小様々なサイズの漫画が整列しているけど、その一角に、こうしてカバーの掛けられた本の並ぶ棚がある。


 カバーの理由は、僕に読まれないように。

 僕が読んだら消えちゃうらしい。本そのものの存在が。

 嘘かほんとか知らないけれど、僕はそれを確かめたことは未だなかった。確かめるつもりも全くないし。

 万が一、1(ぺーじ)でも消えてしまえば、(まる)い空色、彼女の瞳が悲しみに揺れてしまう。

 それを考えるだけで、僕の心は切なくなる。


「それも、僕が未来で描く漫画?」

「そうだよ?」


 頁は少しの間を置いて、めくられていく。

 カバーで覆われている本はみんな、僕が描くマンガなのだそう。

 今で描いたマンガじゃ無くて、未来で描く予定のマンガ。


「それはどんな話なのかな?」

「詳しくは言えないって。教えたらきっと書かなくなるし」

「そんな事ないでしょ? それをヒントに描けばいいんだから」

二番煎(にばんせん)じを描いたところで、君の香りも色も出てくれない。元が自分の作品だとしても、さ。

 大まかに言うと、そうだねー、ジャンルは恋愛かな。町の発展に尽くす青年を巡り、新興企業の社長令嬢と、幼なじみだった町の有力者の娘とが、政略結婚を求めに来る感じ」

「……僕がそんなのを描くの?」

「筆に勢いや荒々しさがないし、若いうちの作品じゃないね。中年期かな、多分」

「そんなに先まで描いてるのか、僕。でも、そんなに教えてくれたら、ほとんど聞いたのと一緒な気も……」

「そう? 舞台は宇宙、宙間戦争が大きなウェイトを占めてる。この程度を聞いただけじゃ描けっこない」


 短めのまっすぐな黒髪は、いつだって楽しみを見つけたがるちょっとSっ気を含んだ釣り目に、よく似合ってた。

 ボーイッシュな容姿の彼女。

 文字のお化けの小説よりも、視覚を刺激してくれる漫画の方が好きみたい。


「君のシナリオは面白いんだ。

 変わり続ける現実世界を忘れたかのような気分に浸れる。

 不変でありながら常にどこかでバランスを崩してしまう不穏な世界観。その世界が歩む道のりは、不確かでも、必ず幸せへと収束していく話」


 僕が読んだり書いたことのある過去の漫画は、見ても構わないらしい。知らない本を読んでしまえば存在確率が揺れてしまい、存在ごと消えてしまうのだそう。


「ちょっとだけ見せてよ」

「だめだめ。もったいない」


 彼女は笑う。

 小さなえくぼを作った顔で。




 何もしないから、時間がこぼれ落ちていかない。

 満たされてるから、欲しがらない。




 

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