第七十四話 盆栽と兄
その日授業が終わり、ゼノンは自宅へと帰ってきた。
ゼノンは縁側に腰をおろしボーっとしている。
日中に授業で恥をかいたこと、さらにジン・ノヴァに言われたことが、
精神的にすさまじいダメージとなった。
(・・・ノヴァ君は、なんて嫌なやつなんだ。あんなに酷いことを笑顔で言うなんて・・・。きっとどこか精神に異常をきたしているに違いない。
あんな奴が同じ魔界九家だなんて・・・。くそう・・・なんなんだよあの笑顔・・・)
ゼノンは辛いことがあると家の縁側に来てボーっとする。
最近ではこれが日課になりつつあった。
縁側に座って盆栽を見る。
庭にある盆栽は、すべて父の作品だ。
ゼノンが物心ついた頃から、父—―ゼン・ヴェルトは盆栽に執心している。
九家の公務以外の時間は全て盆栽に費やしているのだ。
どうしてそこまで盆栽に憑りつかれているのかはわからない。
ゼノンはそれが気に入らないわけではない。父の作品を見ると心が癒されるのだ。
木々に生命力を感じる。それを見ているとなぜだか自分にも元気が湧いてくるのだ。
だが、今回の傷は盆栽の癒し効果を持ってしても全回復しない。足りないのだ。
ゼノンには狙いがあった。ここで盆栽を見ていれば、そのうち父がやってくる。
いかに普段、他人と会話をしない朴念仁でも、息子の悲しげな顔を見ると何か言ってくれるはずだ。
ゼノンは父に期待していたのだ。
結論から言おう、父は何も言ってはくれなかった。
縁側で落ち込んでいるゼノンを見ても何も気づかず、挨拶ひとつせず盆栽にかかりきりだったのだ。
ゼノンは絶望して、父が去った後も、縁側から一晩中動くことはできなかった。
翌朝。
近くにやってきた鳥の鳴き声でゼノンは目覚める。
優しい朝日がゼノンを照らす、光輝く盆栽。気分は最悪。
ゼノンは、思った死のうと。
ふと隣に気配がしたのでゼノンは右方に目を向ける。
すると、ゼノンより少し年上の青年が眠っていた。
青年は、禿頭で武道着を身に着けている。
どこかで拳法の修行でもしていたのだろうか。
「むにゃむにゃ・・・おっ、起きてたか。久しぶりだなゼノン。
覚えているか?バレンシアだ。昔よく遊んだだろ?」
禿頭の男は爽やかな笑顔でそう言った。
(バレンシア・・・聞いたことがあるような、ないような・・・)
「はははは、その薄い反応は忘れちまったなぁ~
残念。まあいいよ。そのうち嫌でも忘れられないぐらい武名を轟かせてやるよ。
それより、どうした?こんな素晴らしい朝なのに、浮かない顔してさ。
おまえ、ウミガメが産卵したような顔しているぞ。なんかあったか?」
「・・・・昨日、学校の授業で魔法が上手くできなかったんだ・・・。
周りの奴らにもバカにされて・・・悔しいんだ・・・」
自然と目の前の男にはなんでも話せるような気がした。不思議な感覚だ。
「そっか・・・悔しいってことは、良いことだ。ゼノン、悔しいってことは、
お前の心はまだ諦めていないんだ。わかるな。立ち上がろうとしているんだ。
だったら大丈夫だ。魔法はうまくいく。俺が保証するぜ。このトウ・バレンシアがな!!」
男はゼノンに向かって、拳を握り、親指を立てて見せた。サムズアップ。肯定の印だ。
「トウ・バレンシア・・・バレンシア兄ちゃん!!兄ちゃんなの?」
ゼノンは忘れていた。今よりも昔、よく遊んでくれていた兄のような存在がいたことを。
トウ・バレンシア。魔界九家で、最強を誇るトウ家の嫡男だ。圧倒的な体術で、他の家門をねじ伏せトップに君臨した。驚くべきことに、トウ家は他の家門とは違って代々魔法が使えない家系なのだ。
「よーやく思い出したか、やっと笑ったな。いい笑顔してるんだよ。お前は昔から。
その笑顔忘れんなよ。今日はおめえんとこの親父さんにお土産を持ってきたんだ。
なんでも、最近、レオンガルドに現れた賢者がよう、『漂白剤』って飲み物を開発したらしいんだ。
今日はそれを持ってきた。今から親父さんと飲もうと思ってな。朝から酒たあ良いだろ?
お前も、早く大人になって強くなれよ。じゃあな」
そうして、トウ・バレンシアは、ゼノンの頭を撫でて、奥の客間へと歩いていった。
不思議な魅力をゼノンはバレンシアに感じた。
(なんだか、元気が湧いてきたぞ。今度会ったら彼に体術を教えてもらおう。弟子にしてもらうんだ。強くなって、ジン・ノヴァを見返してやるんだ。よーし、善は急げだ。客間から出てきたら捕まえて、頼みこもう)
だが、ゼノンの淡い期待は見事に打ち砕かれる。
バレンシアが客間に入ってから、数十分が経った頃、女中が客間から飛び出してきた。
家中が大混乱で、ゼノンは状況がよくわからなかったのだが、なんでも、
トウ・バレンシアが漂白剤なるお酒を飲んだら泡を吹いて気絶したというのだ。
父――ゼン・ヴェルトは、飲む前だったので無事とのこと。
後に、漂白剤は、お酒ではなく服の汚れを取る液体ということが判明した。
毒素があるので、絶対に口に入れてはならないと、無頼中に広まっていった。
漂白剤を開発した大賢者は忌み嫌われ、これから十数年にわたり、無頼は鎖国と戦争の時期に入る。
冬の時代の幕開けだ。
ゼノンは、あの日以降、トウ・バレンシアに会ってはいない。
なんでも一命は取り留めたそうだが、心は失ったと噂されている。