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経済の話

社会主義的な体制のデメリットで、日本社会は衰え続けています

 「まるで社会主義国家のようだ」と日本が評価されていると知ったら、或いはある種の思想を持った人達は「なにを!」と怒ってしまうかもしれません。

 ですが、ある程度、政治経済について学んでしまうと

 「ううん、仕方ない」

 と苦笑しつつもこれを認めざるを得なくなってしまうんです。

 (いえ、まぁ、それでも頑として認めないって人もいるかもしれせんけどね)

 かつて日本は世界でも稀な高度経済成長に成功しましたが、それは“護送船団方式”に代表される「官僚主導で民間をコントロールする」という体制の下で成し遂げられたものだったのです。

 これって、実はとっても社会主義的な手法なんですよ。

 また、そんな体制だったからなのか、「一億総中流階級」と表現される程の格差のない社会を実現してもいました。

 社会主義・共産主義の理想は「平等」ですから、これもとっても社会主義っぽいですよね。

 

 ただし、ここで一応断っておくと、「社会主義国家のようだ」と言っても、そもそも「これが社会主義だ」なんていう明確な定義はありません。どんな制度を執れば社会主義、或いは共産主義と言えるのか、それが分からないのです。

 これは僕の個人的な意見ですが、社会主義・共産主義は未成熟、或いは未完成なのではないでしょうか?

 明確な制度がないからでしょうが、社会主義国家で執られている経済政策は「計画経済」だとか「統制経済」だとか言われています。

 ですから、ここではそれらを“社会主義的”と表現しますが、飽くまで便宜上のものである点は、どうかご了承ください。

 

 “社会主義的である事”それ自体は別に悪い事でも良い事もでもありません。メリットもデメリットもありますから。「日本は社会主義国家のよう」という表現は、揶揄のニュアンスが含まれている場合が多いですが、それでもかつての高度経済成長期に、それが(問題点は多々あったにせよ)上手く機能していただろう点を踏まえるのであれば、全否定はできないでしょう。

 かつてソ連のゴルバチョフ書記長は、日本を訪れた際に「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」といったような事を述べたというエピソードがあるそうです。

 これは政治的な発言ですし、リップサービスでもあったのでしょうから、額面通りに受け止めるのもどうかと思いますが、偶には称賛されたこともあった点は覚えておいた方が良いかもしれません。

 その成功例として、具体的な事例を一つ挙げましょう。日本車は燃費の良さを武器の一つにしていますが、これは官僚達からの無理難題を日本の自動車企業が必死にクリアし続けた結果の成果だと言われています。

 「環境に悪影響を与えない車の開発」を、官僚達が圧力をかけて日本企業に実現させたのですね(データの捏造事件が後に発覚したりもしましたが……)。

 もちろん、これは優秀な日本の技術者の存在があって初めて成し得た事ではありますが、それでも官僚達のコントロールが効果的に機能したとは表現できるでしょう。

 当時のアメリカ車の燃費と比較すると、凄まじい燃費の良さを実現していた点からも、自由市場経済の成果だけとは思えませんから。

 ですが、社会主義的な体制には、当然ながら、デメリットも存在します。

 旧ソビエトが崩壊したのはだからですし、中国が資本主義を取り入れたのもだからでしょう。

 コントロールする側の人間、つまり国が“優秀”で“社会全体の為にその権限を行使する”のであれば、それは上手く機能する可能性が大きくなりますが、国が“無能”で“私利私欲のために権限を行使する”のであれば、それは悪く機能します。

 それを放置すれば、社会全体は衰退に向って進んでしまうでしょう。

 つまり、社会主義的な体制は、“国の質”が良くなければ、デメリットの方が大きくなってしまうのです。

 その“国の質”を保つ、改善する何らかのシステムが社会体制に組み込まれているのであれば、そのデメリットを封じられるでしょうが、そうでないのなら、いずれは劣化していってしまうのです。

 これは人間社会の歴史を観れば必然で、大規模な社会であれば、ほぼ例外なくそのような事が起こっています。

 当然ながら、それはこの日本社会にも当てはまります。

 

 ところで、ここまで読んで、不思議に思った人はいませんか?

 日本は長きにわたって“自民党”が政権与党を担って来ました。そして、自民党は保守派と言われていて、保守派は右翼に分類され、つまりは左翼と呼ばれる社会主義とは対立関係にあるのです。

 実際、自民党の支持者の人達には、“右翼”を名乗る人が大勢いて、自民党に批判的な人達には“左翼”を名乗る人達が大勢います。

 その自民党が政権を担った来たこの日本が“社会主義的”なんです。毎日、肉ばかり食べている人が“菜食主義”を名乗っていたら思わずツッコミを入れてしまいそうですが、この事実にはそんな違和感を覚えます。

 普通に考えるのなら、右翼の人達が自民党を批判し、左翼の人達が自民党を支持する方が真っ当に思えます。

 ただし、ここで一つ注意点です。

 “右翼と左翼は対立している”という意識が先行してあるので、まるで思想的にも対立しているかのように思えてしまいますが、実はこの二つは思想的には両立可能です。

 つまり保守的で、社会主義的な社会体制だって実現できるのです。

 また、一口に“右翼”、“左翼”と言っても、様々ですから、一部には被っている思想だって存在しているようです。要するに、「左翼ととても似たような主張や行動を執る右翼」もいて、その逆もまたしかりだって事です。

 例えば、一般的に「社会主義は自然環境保護活動に熱心」というイメージがあるでしょう? でも、中国を観れば明らかのように「自然環境なんて、知ったこっちゃねー!」な社会主義だってあるんですよ。

 まぁ、中国は実質的には、専制主義国家ですけどもね。

 また、その反対に自然環境保護活動に熱心な右翼だっているみたいです(これはちょっと小耳に挟んだ程度で、僕もそれほど詳しくはないのですが)。これは日本神道の伝統は“自然崇拝”である点を考慮するのであれば頷ける話で、「日本の伝統を重視する」という彼らの主張通りなんです。だから、当然、原子力発電所に反対している右翼の人達だっているんですよ。自然崇拝しているのに、原発を認めちゃ駄目なはずですから。

 “原子力発電所”が出たので、ついでに触れておくと、実は原子力政策ってとっても社会主義的な手法の政策なんです。

 市場経済原理を無視して、国が税金を投入して保護して原発は成り立っていますし、「地域の労働者の就職先の為に必要」なんて声だってあります。これって、そのまま社会主義的な発想ですよ。

 (2016年に電力の自由化が始まりましたけども)

 社会主義に反対しているのなら、電力市場を自由化して、フェアな状況の下で競わせなくちゃいけないですからね。

 時々、日本の原子力政策を支持しながら、社会主義や共産主義を批判している人達がいますが、だから僕はそういう人達を見る度にしょっぱい気持ちになるんです。

 「一体、どっちだよ?!」と。

 まぁ、こういう矛盾点を気にしないでいられるというのは、とても人間らしいと言えなくもないのですが(この話は、もうちょっと後で詳しく触れます)。

 ただ、これは或いは僕が不勉強なだけかもしれませんが、“似通っている思想を持つ右翼と左翼が手を結んだ”なんて話は聞いた事がないので、“対立している”という点だけは揺るぎないのかもしれません。

 だから、ツッコミどころとして有効なのは、実は「同じ思想を持っているのに、どうして対立しているんだよ!」って点だけなのかもしれませんね。

 

 さて。

 「“保守派”と呼ばれる自民党が社会主義的な政策を執って来た」と述べましたけど、これには二つの方向性があります。

 「積極的に社会主義的な政策を執って来たのか」、それとも「消極的に社会主義的な政策を執って来たのか」です。

 先にも述べましたが、日本の“社会主義的な政策”の主人公は、官僚です。政治家ではありません。

 果たして、自民党はその官僚を積極的に支えているのでしょうか? それとも、その官僚の権限が強すぎ、逆らえないから、仕方なく従っているのでしょうか?

 答えを言ってしまうのなら、「どちらも正しい」が正解になります。

 族議員と呼ばれる、官僚と協力関係にある政治家もいれば、官僚支配を由とせず、市場原理を活かそうと改革をしようとしている政治家もいるのです。

 当然ですが、官僚の支配的な体制を覆そうという動きはその体制の問題点……、つまり官僚主導による社会主義的な体制の問題点が顕著になってから強くなっていきました。

 では、具体的にどのような“悪い結果”となってそれは現れたのでしょうか?

 ここで、その一例として“一人当たりのGDP”の話を少しばかりしたいと思います。

 

 「日本の一人当たりのGDPが韓国以下になった」

 

 そんなようなタイトルの記事を、ネット上で見かけた事があります。

 僕はそのタイトルを読んだ瞬間にピーンと来ました。「恐らく、これはよくある数値のトリックだな」と。記事を読んでみると、やはり予想通りでした。

 この記事のタイトルに不安を抱く必要はありません。これは、嘘ではありませんが、本当の話でもないからです。

 日本は既に“超高齢社会”に突入しています。高齢者達は働いていませんから、“一人当たりのGDP”はどうしたって低くなってしまうんです。この記事はそれを考慮していないんですね。日本が得意としている製造業などに的を絞れば、今でも生産性は充分に高い水準を維持しています。

 が、ですがね、だからといって安心もしないでください。

 何故なら、得意分野に的を絞れば、まだ高い水準ですが、生産人口全体で考えた場合はやっぱり低いからです(中小企業の割合が多いため、スケールメリットを活かせていない、なんて話もありますが)。

 ただし、これは日本の技術力が低くなったとかそんな話ではありません。実は生産性を高めようと思えば、いつだって日本は生産性を高められるだけのポテンシャルを持ってはいるんです。

 では、どうして生産性を高めないのか?

 もちろん生産性を高めたがっている民間企業は多いです。

 例えば、クリーニング屋が営業時間外であっても、ロッカーやなんかを使ってクリーニングして欲しい服を渡せたら便利ですよね?

 僕なんかは平日は働いているので、休みの日に服をクリーニング屋に渡すしかないのですが、そうすると料金が割高になってしまうので大いに困っています。だからこんなサービスが始まったら、絶対に利用すると思います。

 その他にも、これは有名ですが、ネット上で医薬用医薬品の売買ができたなら、とても便利になるでしょう。

 また、ドローンをもっと物流に活かせるようになったなら、物流費が下がって皆が助かるようになるはずです。

 ところが、これらの試みは現在日本では実施できません(一部の医薬品はネット販売が認められていますが)。

 何故なら“規制”を受けてしまっているからです。

 では、何故、規制されてしまっているのでしょうか?

 それが実は「官僚による民間のコントロール」と密接な関係があります。

 

 既得権益って知っていますか?

 ある社会集団が、歴史的経緯によって得ている権利と利益の事をいいます。

 実はこの既得権益を護る事によって、官僚は民間企業から見返りを得ていると言われているのです。

 もし、先の例の一つとして挙げたように、医薬品がインターネットで買えるようになってしまったなら、既存の薬局は困ってしまうでしょう。だって、絶対に薬の売り上げは減ってしまいますからね。

 だから、薬局の団体は官僚に対して、

 「インターネットで薬の売買をできるようにはしないでくれ」

 と頼む訳です。

 当然、謝礼も支払っているでしょう(金銭とは限りませんが)。

 つまり、これが“規制”です。もちろん、医薬品は一例に過ぎません。官僚は様々な規制を敷き、民間企業の活動を制限しているんです。

 もしもこれらの規制を取っ払ってしまえば、日本のGDPは一気に上がります。ただし、「生産性が上がる」事はそのまま失業者の発生を意味します(厳密に言えば、必ずしもそうとは限らないのですが、現実的にはそう理解してもらって構いません)。

 ですがね、これは悲観するべきものではないんです。何故なら、そうして労働力が余ったなら、別の新しい産業にその労働力を当てる事ができるようになるからです。

 労働力をつぎ込んで、新しい産業が成長したなら、GDPが増えます。つまり、経済成長するって意味です。

 が、この新産業の成長を、どうも官僚はあまり喜ばないようなんです。

 新産業には自分達の支配力が及ばないかもしれませんし、その新産業が一部であるにしろ、既存の産業の需要を奪ってしまう可能性も捨て切れず、そうなれば自分達の権益は縮小していってしまいます。

 邪魔しているのは、だからではないでしょうか?

 いえ、単に新産業に理解が及んでいないだけかもしれませんがね(だとすれば、これ以上の老害はないでしょう)。

 太陽光発電などの再生可能エネルギー分野に対して、ネガティブキャンペーンなんかの嫌がらせを行っているのを度々見かけますが、それも同じ理由でしょう。

 原子力や火力発電などの既得権益を守る為に、新産業の育成を阻んでいるんです。

 もちろん、下手な使い方をしては駄目ですが、効果的に使えば、既に再生可能エネルギーの多くは利益を生みます。先進国ばかりかアフリカなどの発展途上国にも普及していて、電力が届かない場所での農業などで役に立っているようです。

 更に、再生可能エネルギーの分野では、雨から発電する技術や、夜間でも放射冷却によって発電が可能な“反ソーラーパネル”とでも呼ぶべき技術等、様々な画期的な新技術が開発されていて、そのどれかが実用化されれば、人類が抱えるエネルギー問題は解決に向けて大きく前進するでしょう。

 もちろん、これは経済的な利益にも深く結び付いています。

 官僚の支配の所為で、日本はその潮流から取り残されようとしているんです。かつては太陽光発電の分野で、世界をリードしていたにもかかわらず。

 こんな事例はまだまだあります。

 実は世界に先駆けて車の自動ブレーキの技術を開発したのは日本企業でした。もし、それを販売できていたなら、今頃、世界市場で一歩リードしていたかもしれません。

 ところが、それを国土交通省が阻んでしまったのです。その所為で、日本企業がどれだけの損失を受けたか分かりませんし、自動ブレーキが普及していたなら、数々の交通事故だって防げていたでしょう。高齢ドライバーが、交通事故で人を殺してしまったニュースが度々報道されていますが、その本当の犯人は国土交通省なのかもしれません。

 近年、新技術であるドローンとその活用が熱い注目を集めていますが、何故か日本では資格を取るのに20万円もかかってしまいます(2020年3月現在)。

 新技術を活用する為には、まず何より普及させなくてはいけません。なのに、まるでその普及を阻むかのような価格設定。意味が分かりません。

 このように現状は悲惨です。日本は新技術の活用でも後れを取り、このままでは間違いなく衰退し続けるでしょう。

 官僚達の馬鹿馬鹿しい規制によって、日本社会がダメージを負っている事例はこんなケースばかりではありません。教育の分野にも影を落としています。

 今はインターネットがありますから、遠隔地にいながら教師が生徒にオンライン授業をする事が可能です。それにより、専門知識をよりたくさんの人が学べます。

 ところが、学校のオンライン授業に対し、文部科学省は非常に消極的です。

 もしも、オンライン授業を認めてしまったなら、教師の数を減らせるようになるかもしれません。すると、文部科学省の利権が減ってしまいます。どうもそれを嫌がって、文部科学省はオンライン授業を進めたがらないようです。

 今は学校の教師達が、専門分野外の分野も必死に勉強して教えていますが、自ずからこれには限界があります。

 2020年度から、プログラム教育が正式に授業科目として採用されますが、これも専門外の学校の教師達に教えさせるつもりでしょうか?

 僕はシステムエンジニアをやっていますから分かりますが、かなり難しいですよ?

 (まぁ、どの程度のレベルのものを教えるのかは分かりませんが……)

 オンライン授業を許可しなければ、子供達は専門の教師達から教わる事が出来ず、また学校の教師達は重い負担を強いられます。

 日本の情報技術の教育は著しく遅れているのに、こんな事でその遅れを取り戻せるのでしょうか?

 正直、不安を感じます。

 (主な参考文献は、「岩盤規制 誰が成長を阻むのか 原 英史 新潮文庫」です。これ以外にもあるけど)

 

 1980年~90年代にかけて、このような問題を引き起こす“規制”を緩和しようという動きが世界中で起こり、多くの国でそれに成功していきました。

 その流れに乗ったのか、日本でも同じ頃から“規制緩和”が訴えられました。ただ、これはもっと広く“社会主義的な体制のデメリットを解消しようとする動き”として捉えるべきものだと思います。

 その代表例が、小泉内閣の構造改革でしょう。ただし、この構造改革は、国民から熱い支持を受けはしましたが、結局は充分な規制の緩和はできませんでした。

 そして、他の先進諸国では解決できた問題が、日本では未解決のまま残り続けてしまったのです。

 その結果、自由な動きを奪われた民間企業は、その実力を思うように発揮できず、先に説明したような生産性の低下を招き、先進技術を用いた画期的なビジネスも誕生して来なかったのです。

 今現在、日本は既にAIなどの次世代の機械技術では“後進国”となってしまっています。例えば、他の国ではシェアリングエコノミーはかなり普及していますが、日本では遅々として進みません。その他にもインターネットを活用すれば直ぐにでも始められるようなビジネスも日本では活用されていません。

 そして、日本の一人当たりのGDPは生産人口だけで比べた場合でも随分と他国と比較して低くなってしまいました。韓国や中国といった国々にも追いつかれそうになっています。

 もう一度断っておきますが、これは(今はまだ)技術力がないからではありません。ただ単に官僚が民間企業の自由な活動を封じているだけです。

 更にこの状態に“社会の高齢化”が加わります。高齢者世代を支える為の負担が重くなり過ぎてしまい、生産人口世代に貧困が広がっているのです。

 このままでは、日本は間違いなく沈んでいってしまうでしょう。

 2009年に長く続いた自民党政権が破れ、民主党政権が誕生した背景には、「自民党では官僚主導の社会主義的な体制は脱却できない」という危機感のようなものがあったはずです。

 が、民主党政権下でも、やはり官僚主導からは脱却できませんでした(もっとも、多少は進んだらしいのですが)。諦めムードが漂い、民主党政権は支持を失っていき、結局は期待外れで終わってしまったのです。

 そして、そんな状況に現れたのが、第2次安倍内閣と、その経済政策であるアベノミクスでした。

 

 近頃ではアベノミクスといえば“金融緩和”という印象がありますが、本来はそれは“規制緩和”とセットでした。

 規制緩和によって、民間企業を自由に活動できるようにし、そこに生じた資金需要を金融緩和で満たす…… というのがアベノミクスなんです。

 (ただし、これはアベノミクスのもう一つの特徴である公共事業の拡大とは相反しています。公共事業に労働力や資源を奪われ、民間企業の活動を抑制してしまうからです)

 もちろん、考え方的には正しいでしょうから、賛成しない訳にはいきません。

 ただ、正直に告白させてもらうのなら「できるの?」と個人的にはかなり疑問に思っていました。

 実際、アベノミクスが始まっても、農業分野で多少は進んだ程度で、規制緩和について目立った動きは聞こえて来ません。

 ただ、それでも何とか規制を緩和しようと安倍政権はがんばってはいたようです。そして、その文脈で起きてしまったのが「森友・加計問題」でした。

 この二つはいずれも学校法人の規制緩和絡みで起こった事件で、安倍政権の不正疑惑が問題視されたものなのですが、官僚側からのリーク疑惑があります。

 つまり、規制緩和を行おうとしている安倍政権への抵抗なのかもしれないのですね(安倍政権が罪を犯しているのかいないのかは分かりませんが)。

 官僚側からの嫌がらせかもしれない出来事はまだ他にもあります。

 これは規制緩和絡みとは言えないのですが、「老後年金不足2000万円問題」を覚えていますか?

 金融庁からの報告を受けて、麻生大臣が発表したのですが、老後、生活するには、年金だけでは2000万円ほど足りないという試算があるというのです。

 「不安を煽られても困る」

 と、この発表は世間から反発を招いたのですが、2019年の参議院選挙前だった事もあって、安倍政権の足を引っ張りました。

 先程述べたように、規制緩和があまり進まず、アベノミクスでは金融緩和がメインになっていたのですが、実はこの金融緩和には副作用があります。まだ一般の人達はあまり実感していないでしょうが、金融機関にはその負荷が既にかかっていて、このままでは体力のない地方銀行は耐え切れないのではないか?と言われていました。

 その対策としてか、日本銀行は金融緩和にブレーキをかけ、更に安倍政権が地方銀行を再編し、体質強化を計ったのです。

 (以前、僕は安倍政権の金融政策への批判をよく行っていましたが、最近は行っていません。安倍政権がその危険性を理解しているのなら、素人の僕からは何も言う必要はないと判断しているからです。もちろん、それでも無事に済むかどうかは分かりませんが)

 “体質強化”と聞くと良い事のように思えますが(いえ、普通の人にとっては間違いなく良い事だと思いますが)、短期的には地方銀行にとっては必ずしも良い事とも言えません。例えば、検索をかけてみると、この地方銀行の再編によって、銀行員の給料が減ってしまった話なんかがヒットします。

 もっとも、日本の銀行の…… 特に地方銀行の経営は酷いもので、今の時代に電子メールも送れないなんていう「本当?」と思わず耳を疑ってしまうような話も聞こえて来るので、あまり同情もできないのですが。

 (参考文献は、「日本を亡ぼす岩盤規制 上念司 飛鳥新社」です)

 何度も書きますが、今の日本の体制はまるで社会主義のような官僚主導です。その中でも特に銀行はその傾向が顕著で、民間企業を官僚が支配していると言っても過言ではないような状況下だそうです。

 そして、地方銀行の親分は“金融庁”なんです。金融庁にとってみれば、地方銀行の再編は「子分をいじめられた」ようなものでしょう。

 この流れを考えると、選挙前に発表された「老後年金不足2000万円問題」は、まるで金融庁から安倍政権への嫌がらせのように思えませんか?

 

 さて。

 自民党政権下で執られて来た政治が、実は社会主義的で、一部の右翼と呼ばれている人達はそれを理解していないように思えると前述しました。

 ですが、もちろん、右翼の人でも自民党政権下の政策がまるで社会主義のようだと分かっている人達もいるのです。

 そういう人達は「自民党政権はまるで社会主義のような体制を容認してしまっているが、安倍政権は違うんだ」と主張しています。

 「安倍政権だけは、その社会主義のような体制に対抗しているのだ」

 と。

 確かにそういった面が安倍政権にあるのは、僕も否定はしません。しかし、優先順位がそれほど高いようにも思えないのです。

 安倍政権には明らかな軍事志向が観られ、更に宗教団体との繋がりもあります。果たしてどのような思想を持っているのか、正直、僕は不安です。

 また、“検察官の定年延長”を安倍政権は行ってしまいましたが、「民主主義の死に方 スティーブン・レビツキー ダニエル・ジブラット 新潮社」という本によると、このような行為は民主主義を崩壊させる独裁政権の兆候の一つなのだそうです。

 もちろん、だからといって安倍政権が独裁だなどと言うつもりはありませんが、それでもこれはイエローカード一枚でしょう。

 だから、僕は安倍政権を支持はできません(ただし、全否定もしませんが)。

 安倍政権にとって、その社会主義的な体制の打破は手段に過ぎず、目的ではないのではないでしょうか?

 前述したように、アベノミクスで政策として掲げられたにもかかわらず規制緩和はあまり進んではいません。つまり、アベノミクスは実行されていないのです。ところが実行されていないにもかかわらず、成果だけは出ていると発表されているのです。

 「本当?」

 と、思わず不可解に感じてしまうのは普通の感覚でしょう。

 そして、そんなところで、2019年の初めに厚生労働省による勤労統計のデータ改ざん問題が発覚しました。つまり、アベノミクスの成果の一部が捏造されたものであった事が判明したのです。

 これが官僚の独断なのか、それとも安倍政権側から指示を受けた結果なのかは分かりませんが、官僚が安倍政権に協力している点だけは少なくとも確かです。

 この事件を素直に解釈するのなら、「安倍政権が規制緩和をしない代わりに、協力をする」という取引を官僚達が行っているように見えてしまいます。

 一応書いておくと、民主党政権時代と今のGDPの統計方法は変わっています。その為、GDPを民主党政権時代と比較する事ができない訳ですが、これについても「GDPを良く見せている」疑惑があります(飽くまで、疑惑です。当然、反論もあります)。

 その他、「民間企業の資産が増えている」とも言われていますが、政府部門の赤字が増えれば、民間部門の黒字が増えるのは当然の話で、これは必ずしも経済が好転している事を意味しません。税収が増えている話もありますが、あれだけ金融緩和をすれば、戻って来るお金が増えていても不思議はありません。更によく発表されているのは一般会計ばかりで、何故か特別会計についてはあまり詳しく触れられません(検索をかけてみましたが、明確な資料を発見できませんでした)。

 もちろんこれらは疑惑に過ぎませんが、それでもアベノミクスが実行すらされていない現状を考えると、頭に入れておくべき話ではあるように思います。

 当初のアベノミクスで掲げられていた規制緩和…… いえ、規制改革を今はあまり熱心には行っていないように見えますが、今の日本には絶対に必要です。

 成果は、偽装かもしれないのですし。

 

 何度も書きますが、社会主義を問題視している右翼の人達が、何故か社会主義的な体制を執り続けている自民党政権を支持している矛盾をこのエッセイでは指摘しました。

 ただし、先程述べた通り、安倍政権はその社会主義的な体制に反旗を翻しているかのような政策を掲げていました。

 だから、“自民党支持”ではなく、“安倍政権支持”ならば、矛盾はない事になります。

 が、安倍政権は、最近ではまるでそれを忘れてしまっているように思えてしまいます。ならば、その点を追及するのが筋でしょう。「かつての主張通りに“反社会主義”を貫いてくれ」、と。がしかし、そんな気配はほとんどありません。

 僕は社会性があまり強くなく、どうやら理論優先タイプの人間のようなので、何故、こういった矛盾点を放置していられるのかが実感としては理解できません。

 ただし、こういった事は人間には実は珍しくないようなのです。

 例えば、キリスト教でも、イスラム教でも、仏教でも何でも良いのですが、それら信念系には数多くの矛盾があります。

 キリスト教では「神は全知全能」とされていますが、では何故、その神が悪魔を創造したのかが分かりません。これは様々な宗教的な議論のテーマとなっていますが、それでもキリスト教自体を崩壊させるまでには至っていません。

 その他にも、科学的事実が明らかになるつれ、宗教で唱えられている世界観が間違っていたと分かった事例は数多くありますが、それらは宗教に対して致命的な打撃にはなっていません。

 何故なのでしょう?

 進化心理学などの分野では、それに対してこのような解釈をしています。

 「“教義”というものは、それ自体が重要なのではなく、それが信じられる事によって得られる“結束力”にこそ意味がある」

 つまり、思想の類は集団が結束力を得る為の道具だと言うのです。

 (参考文献「人が自分をだます理由 自己欺瞞の進化心理学 ケヴィン・シムラー、ロビン・ハンソン 原書房」)

 だから、矛盾があったとしても、それほど問題にならないのですね。そしてこう考えるのなら、右翼の人達の矛盾に思える行動も理解ができてしまえます。

 つまり、それは人間の当然の性質の一つであって、何ら恥じ入るものではないのです。それは他の多くの人間達に普通に観られる特性の一つに過ぎません。

 ですが、“思想・主義”といったものは、単なる結束の為の道具ではありません。

 実際、右翼の人達の“社会主義的な体制を問題視する”という思想は、現代の日本ではそれほど役に立っていません。ずっと書いて来た通り、今の日本は社会主義的な体制のデメリットで苦しんでいるのですから。

 

 「失われた30年」という言葉を知っていますか?

 「1990年代にデフレ不況に陥った日本社会は、その状況から脱却できないまま30年を無駄にしてしまった」

 といったような意味です。

 これは前述したような“一人当たりのGDPの低下”ばかりを言っているわけではありません。「科学立国の危機」という主張を知っていますか? かつては高い技術力を誇った日本の科学技術力が急速に低下しているというのです。

 これに関連しているのか、日本から先進技術を活用した新たなビジネスが生まれる事は非常に稀で、この30年間、一般的なサラリーマンの実質的賃金は下がり続けています。

 ただし、当然ですが、これは「官僚主導の政治による規制」ばかりが原因ではありません。

 日本は既に“超高齢社会”に突入していて、高齢者の割合が非常に大きいです。そして、年金に代表される社会保障制度で、その高齢者にお金が集まってしまっています。

 高齢者は消費意欲が低いのが普通です。その高齢者にお金が集まってしまったなら、社会全体の消費需要は下がって当然です。

 (この話は「デフレの正体 経済は「人口の波」で動く 藻谷浩介 角川新書」で有名になりましたが(批判・反論はあります)、アメリカのFRBも高齢化が進むと、社会全体の消費需要が低下すると考えているという話を耳にした事があります)

 そして、社会全体の消費需要が下がったなら、企業活動は抑制されてしまいます。ならば、生産性が低下もするし、イノベーションが生まれ難くもなるでしょう。

 ですが、その事実は規制緩和・規制改革が些末であることを意味しはしません。むしろ、より重要であることを意味しています。

 生産性が上がれば、労働力などの資源を効率良く使えるようになります。要するに、高齢者達を支えられるようになるのです。

 分かり易い例を挙げるのなら“遠隔地医療の解禁”でしょうか。

 現在、遠隔地の医療は認められていません。しかし、もしネットを介した医療行為が認められたなら、歩くのに不自由なお年寄りや、地方の人口の少ない地域に住んでいる人達が医療を簡単に受けられるようになります。医薬品のネット売買も認めれば、ネットで診察を受けて、そのまま医薬品を購入する事なんかもできるようになります。

 これが実現すれば、効率が上がります。つまり、生産性が上がるのです。昨今、日本では社会の高齢化に伴って、医療資源の枯渇が心配されていますが、その意味でもこれはとても重要です。

 更に、ここにAIを導入すれば、医師が診察する前に、ある程度の診察をAIで終えておき、人間の医師はそこに微調整を加えればいいだけ、なんて体制も確立できるようになるでしょう。

 病院の負担も患者の負担も大きく軽減します。

 “遅れている日本の医療”という意味では、歯科医療も大いに問題です。これが純粋に規制の問題かどうかは分からないのですが、例えばタイに行くと、歯の治療を顕微鏡を用いて行ってくれるそうです。顕微鏡で正確に患部のみを治療する為、痛くもないし、“神経を取る”ような大事にもならないケースが多いのだとか。

 (興味を持たれた方は、「日本 歯科医療 遅れ タイ」などで検索をかけてもらえば簡単にヒットするはずなので、やってみてください)

 これも技術力の問題ではなく、やはり社会制度上の問題です。技術が活用され易い状況を整えてやりさえすれば、一気に普及が進み、歯科医療のストレスから多くの人が解放されるようになるんです。

 これが実現すれば、或いは、“歯医者は痛い”なんてのは過去の話になるかもしれません。

 また、近年に入り、日本の学力は低下しています。前述した通り、特に情報技術関連の能力は低く、それが先進技術後進国・日本の現状に拍車をかけています。

 これも、ネットを介しての授業が認められたなら、今までなら学校にまで通えないような専門の知識を持つ教師による授業が可能になり、同時により多くの生徒がその授業を受けられるようにもなります。

 もし仮に、それで今までの三倍の生徒を一度に教えられるようになったなら(いえ、それを遥かに超える人数の授業が可能ですけどね)、単純計算で三倍も生産性が向上することになります。もちろん、GDPも上がります。

 一応書いておくと、教育はとても重要です。

 明治維新後、日本はあっという間に西洋の自然科学を取り込んでしまいますが、これは江戸時代に独自の学問を発達させていたお陰でその基盤が出来上がっていたからです。

 つまり、“何にもない状態”ではなかったという事ですね。

 アジアはアフリカなどに比べ、近代化が早かったと言われていますが、これには「戦時中、日本が教育インフラを整えたから」という要因も大きいと言われています(日本優位の教育だったという問題点はありますが)。

 また、日本は戦争に負けて、国土の多くが“焼け野原”になってしまいましたが、そんな状態でも“教育によって育まれた頭脳”は残りました。

 それは間違いなく、日本が経済復興に成功した要因の一つになっています。

 教育は“国の礎”とも言えるでしょう。

 その教育が現在、劣化し続けているのです。

 “教育の重視”は、日本の伝統のスタイルと言っても良いですが、その伝統が社会主義的な体制の所為で崩れ去ろうとしているのです。

 例え、“思想・主義”を結束力を高める為だけに利用している人達だって、流石にこれは放置するべき問題ではないと理解してもらえると思います。

 

 右翼の方達。

 もしも、これを読んでいるのなら、よく考えてみてください。

 あなた達は“社会主義的な体制の問題点”をずっと訴えてきました。そのあなた達の主張は正しいでしょう。

 社会主義、共産主義を執っていた旧ソビエトは崩壊してしまいましたし、中国は資本主義を取り入れてから急速に経済発展をしています。

 その歴史が何よりの証拠です。

 「――経済を国がコントロールする」

 という発想には無理があったのです。

 前述した通り、支配階級の人間が、優秀で社会全体のことを考えて政策を実行するのなら、或いは資本主義と組み合わせれば、それは上手くいくのかもしれません。

 これも前述しましたが、かつて経済成長に成功した日本はそれに近い状態だったと言えるかもしれないからです。

 ですが、“支配階級の人間達の質”を維持するのは至難の業です。

 不正を行った方が権力も富も得やすく、遺伝的アルゴリズムの発想で考えるのなら、そのような不誠実な人間が生き残り、多くなっていくのは必然だからです。

 だから、“支配階級の人間達の質”を維持できるなんらかのシステムを構築できないのであれば、社会主義的な体制を見直すしかありません。

 実際、現政権を担っている安倍政権は、そんな社会主義的な体制を見直す“規制緩和・規制改革”を政策のメインの一つに掲げています。

 ただし、何度も書いて来たように、その声は初期に比べると随分とトーンダウンしてしまいました。

 

 2020年の初め頃から、日本は…… いえ、世界全体が、中国の武漢で発生した新型コロナウィルスの脅威にさらされるようになりました。

 この初動の対応に、日本政府は非常に問題があり、“のん気”と形容せざるを得ないような状況でした。

 「何故、中国人の入国制限に踏み込まなかったのか?」

 と、主にはそのような批判がされています。その中には安倍政権を支持している事で有名な作家の百田尚樹さんもいました。

 この手のタイプの人達は、安倍政権が何をやっても絶対に支持すると思っていたので、僕は少し驚きました。

 これに対して、「“反安倍”に寝返ったのか?」なんてニュースが流れていましたが、これはいくらなんでも幼稚に過ぎる反応でしょう。

 “問題点の指摘”はアドバイスです。アドバイスは協力であって、攻撃ではありません。むしろ、問題ある行動を指摘せず、放置する方が攻撃でしょう。

 問題点が放置され続ければ、安倍政権はどんどん駄目になり、支持を失い、同時に日本社会までそれに巻き込んでしまうのですから。

 ただ、この“初動対応の失敗”の話、僕は主犯は安倍政権ではないのではないか?と疑っています。

 果たして、伝染病の担当だろう厚生労働省は、安倍政権に対してどんな報告をしたのでしょうか?

 初期、安倍政権も極めてのん気でしたが、厚生労働省も同じであるように僕には思えました。

 もし、厚生労働省が安倍政権に「新型コロナウィルスは、それほどの脅威ではない」と報告していたなら、それに安倍政権が適切に対応できなくて当然です。そもそも報告していなかったのなら、更に駄目です。

 もちろん、建前上は厚生労働省の監督責任は安倍政権にあるので、それでも責任追及は免れません。

 が、それでは問題は解決しないでしょう。

 今の日本の政治が“官僚主導”である以上、厚生労働省に更生してもらうしか、問題解決の手段はありません。

 そして、それには社会主義的な体制の打破が必要なのです。

 コロナウィルスの件に関して、百田尚樹さんの安倍政権への指摘が、適切であったのかどうかは分かりません。

 ですが、それでもその態度は正しい。

 もし本当に安倍政権を支持しているのであれば、受動的態度ばかりではいけません。積極的に意見を言って、より良く変われるようにアドバイスをしなければ。

 そして、安倍政権がアベノミクスで掲げていた“規制緩和・規制改革”を促す事は、当にその積極的に意見を言うべきもののうちの一つです。

 「“規制緩和・規制改革”で、社会主義的な体制のデメリットを打破してくれ」

 と。

 「自分達はそれを支持する」

 と。

 それが政策が進む原動力になるのですから。

 

 左翼の方達。

 これを読んで、或いは不満を抱いたかもしれません。

 「自分達の主張している社会主義・共産主義は旧ソビエトのようなものではない」

 と。

 そうですね。

 一口に社会主義と言っても様々で、だから今の日本のような社会主義的な体制には反対している方は多いでしょう。

 問題点があるのは明らかですから。

 つまり、

 「今の日本の社会主義的な体制を打破する」

 この一点に関して言えば、あなた達の主張は右翼の方達と同じという事になります。ならば、協調して行動するべきです。

 目的は同じなのですから。

 

 一般の人達。

 主旨は同じです。

 今現在、日本に住んでいる皆さんは、社会主義的な体制のデメリットで不利益を被っています。いえ、今だけじゃありません。これを放置すれば未来は絶対に暗くなります。

 社会主義的な体制の打破が必要なのは、あなた達も同じです。

 ならば、やはり同じ様に訴えるべきです。

 「“規制緩和・規制改革”を行ってくれ。アベノミクスで掲げいたじゃないか!」掲げていた か 掲げた では?

 と。

 

 多分、読んでいないでしょうけども、官僚達の規制で既得権益等の利益を確保している人達。

 短期的には、確かにそれで利益を得ていられるでしょう。

 ですが、長い時間が経てば、社会全体がその負荷に耐え切れず、あなた達もその被害を受けるのは明白です。

 怖がってばかりでは、少しも前に進めません。

 “規制緩和・規制改革”を認め、そして実行していきましょう。

 

 最後に追記しておきます。

 安倍政権が“規制緩和・規制改革”をトーンダウンさせてしまったと書きましたが、実は新型コロナウィルスへの対応で、久しぶりにそれを聞きました。

 「遠隔地での医療の解禁を促す」

 といったような事を、安倍首相が発表しているのを耳にしたのです。

 これはそのまま規制緩和を意味します。

 もちろん、この目的は、自宅にいながらオンライン診療が受けられるようにし、病院に行って新型コロナウィルスに感染するリスクをなくすことでしょうが、先に述べたような医療の効率化ができるというメリットもあります。

 また、今回の休校処置の間、わずかな自治体しか実施しなかった“オンライン授業”の普及も進むかもしれません。

 中国では感染対策で、学生が自宅にいながら授業を受けられているにもかかわらず、日本では実施できていないというのは、それなりにインパクトのある問題提起になったでしょうから。

 新型コロナウィルスは、“災害”と形容しても良いかもしれませんが、このような動きを考えるのなら、少しは良い事もあったのかもしれません。

 

 まぁ、危機に瀕すると、それを乗り越える為に社会が進歩するってのは、往々にしてある事なのですがね。

 

 ただ、ま、新型コロナウィルスで受けた経済被害対策の所為で、“金融緩和の拡大”という新たなリスク要因をも生み出してしまいました。

 これは仕方がないのかもしれませんが。

 無事に済むと良いですね。

 

 また、トヨタとNTTの資本提携による「スマートシティ」が始まりますが、これには明確に“規制緩和”の文字が入っています。

 どこまで期待の持てる企画なのかは分かりませんが、それでも希望の一つではあるでしょう。


参考文献は、作中で書いたので省きます。

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