地獄の沙汰も
高校生の時に部活で発表した小説です。
子供の頃、乳歯をどうやって抜いただろうか。自分で抜いた人もいれば、親にやってもらった人や、歯医者に行った人など色んな人がいるだろう。その時のことを思い出してみてほしい。きっと抜く前は怖くて、痛そうで、苦しそうで、泣いてしまっても、抜く時の痛みは一瞬で、終わってしまえば「なんだ、こんなもんか」という感じだっただろう。抜いた後には少しの痛みと、血と、虚無感しか残らない。
「死」ってまさにそんな感じだった。どんなに怖くても、一瞬で全て吹っ飛んで、抜け殻が残るだけ。人生の終わりなんだから、もっと特別なものかと思ってたんだけどな。少しだけがっかりした。
俺はさっき死んだ。特に走馬燈とかもなかったから、きっと即死だったんだと思う。死因は交通事故。ちゃんと歩道を歩いていただけなのに、車がつっこんできたのはどうにも解せない。しかもまだ高校生だというのに。まあ、死んでしまったから、もう仕方ないか。
そういや、ここはどこだろう、と起きあがり、辺りを見回して気付いた。俺は小高い丘の上にいて、周りには草原とそれを囲う柵が広がっていた。死後の世界、というやつなのだろうか。そしてすぐ近くに、事故にあった時に隣にいた、カズと翼が起きあがって同じように辺りを見回しているのが見えた。立ち上がろうとする。足は何の違和感もなく、生きてる頃みたいだった。二人に近寄り、話しかける。
「おい、俺たちがなんでこんなところにいるか覚えてるか?」
「知らん。痛いって思って、気付いたらここにいたな。」
「お前ら、自分があんなにぐしゃぐしゃになっていたのに気付かなかったのか? ここは死んだ後の世界だろうね。」
翼は一番内側を歩いてたせいで即死ではなかったらしい。翼の声には、事故の痛みのためか、痛々しさが感じ取れた。
「そんなことより、僕、喉がカラカラなんだけど。」
「俺もだ。死んでも飲食は必要なのかもな。」
「周りに柵があるから、それに沿って歩いて行こうぜ。誰か、俺ら以外の人間がいるかもしれない。」
そう言って指さした先には、丘の下へと続く柵があった。三人で歩いていくと、柵が途切れているところにとても複雑な模様の装飾がある、白い扉があった。逆に、扉しかない。本来扉がついている建物はなく、扉だけが建っている。そしてその前には、一人の女が立っていた。真っ白な服に真っ白な肌、真っ白な髪。百八十センチもありそうな高い身長。羽こそ生えていないものの、天使というやつなのだろうか。
カズが話しかけようと口を開くと、それにかぶせて女が語り掛けてきた。頭に直接響くような声だった。
『あんたら、中原俊、工藤和義、寺井翼だな。』
有無を言わさぬ圧力のこもった声に、三人で同時にうなずく。女は手に持った紙を見ながら言う。
『この紙にはあんたらが生きている間にした悪事について書いてある。これを調べて、あんたらをこの扉の先に通していいか調べてやる。少し待ってろ。』
どうやら天国への門らしい。悪いことは特にやってないからきっと大丈夫だろう。そう思って二人のほうを見ると、意外と不安そうな顔をしていた。
三人で顔を突き合わせると、カズが小声で話しかけてきた。
「おい、俺たちちゃんと天国に行けるのかな。」
「親より早く死んだら賽の河原に行くっていうけど、問答無用でそうならなかった分、ましだと思うぜ。」
「僕、ホテルの歯ブラシ持ち帰ったことがあるんだけど…。」
「それは全くもって犯罪じゃないから安心しろ。」
翼に関しては犯罪のレベルが低すぎる。心配しすぎだろ。
『よし、見つけたぞ。』
天使(らしき女)は大きな声で言った。三人で振り返る。
『中原俊、工藤和義は行っていいぞ。だが、寺井翼。あんたはダメだ。』
驚きだった。この中では一番人畜無害そうな翼がダメだなんて。本人もすごく驚いていた。
「や、やっぱりあの歯ブラシがいけなかったのかー!」
驚くポイントがだいぶずれているけど。
『いや、お前をここに入れないのは、この嘆願書が理由だ。お前が中学二年の頃、いじめで自殺した奴がいただろう。』
汚い字で書かれた嘆願書をこちらに見せながら説明する。中学は翼と違ったが、その話は聞いていた。だから言った。
「俺が翼から聞いた話だと、翼はいじめるどころかそいつを庇っていたらしいぞ! 間違いじゃないのか?」
思わず大声になりながらも、怒りは声に出さないようにして言う。天使は無表情で答えた。
『残念ながら、間違いなく寺井翼宛さ。「庇われていた」ことが自分をより一層みじめに感じさせて、嫌だったらしい。こんな嘆願書を送ってくるくらいだから、よっぽど恨んでいたんだろうな。』
「そ、そんな…。」
翼はうなだれていた。天国に行けないことよりも、その子に恨まれていたことの方が辛いのだろう。カズは唇をかんで、訴えるように言った。
「俺の家は割と金持ちなんだが、金でどうにかならないか?」
そう言うと天使は気を悪くしたようになって言った。
『「地獄の沙汰は金次第」、とでも言いたいのか? 私たちは俗世間の金になんかに興味はない。あんたがこの決定を覆すのは不可能さ。』
「翼はいいことだと思ってやったのに、ダメなのか…?」
『自分でいいことだと思っても、相手がどう思ってるかなんてわからないもんさ。「助長」ってやつだね。』
天使は取り合うのに疲れたという声で言った。これ以上何と言っても無理だろう。それは二人もわかったようで、もう何も天使に言わなかった。
『中原俊、工藤和義、早く行け。次がつかえている。』
「仕方ないね、俊、カズ。僕なんて置いていきな。」
「…そうだな。お別れだな、翼。今まで三人でずっとつるんでいて、楽しかったぜ。じゃあな。」
俺はゆっくりと、翼の方を向いて、言った。
「俺は翼とは別れない。」
意味が分からなかったのか、二人とも目を丸くしている。
「おい天使。さっき俺に「扉の先に行っていい」と言ったな。」
『まさにそう言った。それがどうした?』
「つまり「行かなくてもいい」んだな?」
『ああ、その通りだ。偶にそういうひねくれものが来るな。』
二人とも、驚きで何も言えず、口をパクパクさせている。
「やっぱり、翼は良いことをしたのに、一人で地獄に行っちまうのは納得できない。だから、俺は翼と行くぜ。二人なら、少しは気が楽だろう。カズ、さよならだ。」
カズは俺の気持ちを汲んでくれたのか、全く反対しない。翼はただただ驚いているだけで、何もできないようだ。
「じゃあ、俺は行くぜ。達者でな。」
そう言い残すとカズは扉を開けて、その先へ歩いて行った。
『お前らはあっちの方に行け。もう一つ扉があるはずだ。』
そう言って来たときの方向を指さした。よく見ると、脇道があった。翼はやっと言葉を取り戻したようで、口を震わせて俺に言った。
「俊、本当に良かったのか? 天国に行く方がいいだろ?」
「まあ、そうだろうけどさ。やっぱり友達の方が大事だよ。」
翼はとても嬉しそうだった。二人で天使が指さした方向に進んで行くと、茶色い扉が建っていた。その前には、白髪でひげを蓄えた老人が、柵に寄りかかるようにして座っていた。
『中原俊くんと寺井翼くんだね。』
彼はさっきの天使と同様に頭に直接響くような、それでいてやさしいような声で語り掛けてきた。「地獄の門番って、ずいぶん優しそうなんだな。」思わずそう呟いた。その呟きは老人に聞こえていたらしく、笑いながら応えた。
『私は地獄の門番では無いよ。よく間違われるけどね。私はどちらかというと神に近いかな。それに、この門は地獄への門でもないよ。天国への門さ。』
「え、でも僕たち、さっき天使と天国への門を見ましたよ。」
『それは天国への門じゃないし、彼女も天使じゃないさ。』
全然状況が把握できない。何言ってるんだこの人は。それは翼も同じらしく、ポカンとしたアホ顔を晒していた。
『彼女は自分の事を一度でも天使だと言ったかい? 白い扉の先が天国だと言ったかい? 見た目が人外だからって、君たちが勘違いしたんじゃないのかい? 天使だと思ったのなら、背中に羽がないことを不思議に思わなかったのかい? 彼女が羽を隠していたのは当然だ。羽なんか見せたら、すぐに自分が悪魔だとばれてしまうからね。』
さっきの女が、悪魔?
『まだ状況が呑み込めないって顔しているね。最初から説明しようか。一昔前までは親より早く死んだ子供は地獄送り、っていうのが規則だったのだけどね。この世界にもPTAみたいなのがいてね。善行を積んだ子供とその子と同時に死んだ子供だけは、地獄に送るべきか天国に送るべきか、試してみるっていう規則に変わったのだよ。この場合、善行を積んだ子供っていうのは、寺井翼くん、君の事だよ。』
「じ、じゃあ…さっきの女が持っていた嘆願書は…?」
『中身をちゃんと読んだわけではないだろう? 彼女の言葉はデタラメさ。本当は彼、君にとても感謝していた。君が死んだって聞いた時に、すぐこの嘆願書を書いて送ったんだ。』
翼の顔が綻び、目に涙を浮かべるのが横目で見えた。そんなことよりも、引っかかることがあった。
「なあ、神様、ここが地獄じゃないってことは、さっきの白い扉が地獄につながっているってことなのか?」
『まさにそのとおりだ。でも君たちはそこを通る必要はない。試験に通ったからな。さあ、行くとよい。』
俺たちは天国に行く資格を勝ち取った。でも。
「俺は行かない。地獄に行くよ。」
驚いて翼がこちらを向く。神は何も言わない。
「カズも地獄に行った。俺らを置いて行ったとはいえ、あの状況では仕方がなかったことだし、カズだって友達だ。あいつを独りにして置いて天国になんか行けない。」
そう翼に言って、俺はもと来た方へ駆け出した。後ろで翼が止めようとして叫んでいたが、全く聞かなかった。
俊のやつ、自分を見捨てたカズのために地獄に行っちまった。相変わらずお人よしだな。それを見届けた神様は、ポケットから通信機のようなものを取り出すと、どこかに掛けた。
『ああ、私だ。今、中原俊がそっちに向かった。もし本当に地獄に行ったら、中原俊、工藤和義の二人を天国に送ってくれ。事情は後で話す。よろしくな。』
神様は電話を切った。僕は思わず、神様に話しかけた。
「なんでこんなに僕たちに良くしてくれるんですか?」
神様は笑顔で答えた。
『自殺したあの子は、君を助けた。君は、間接的にだが、中原俊を助けた。工藤和義は今、助けられようとしている。』
そこでいったん言葉を切って、悪戯っぽく続けた。
『つまり、地獄の沙汰も友次第ってことさ。』
(終)