(41)神との契約
平民であるカイトと公爵である父親が一緒に頭を悩ませている姿に内心で驚いていたオレリアは、スッと視線をクリステルへと向けた。
最初からずっと同席していたクリステルならば、その理由を知っているのではないかと考えたのだ。
そのオレリアの動作に、クリステルは意味を理解しつつも、首を左右に振った。
神が、特に国神が関わっているためであることはわかっているのだが、それを自分が口にしていいのかがわからなかったのだ。
もし教えるとしても、きちんと父の許可を得てからになる。
それに、これからの話の流れによっては口外禁止ということもあり得るので、軽々しく言えることではないのである。
こんなことを十二歳の少女がしっかりと判断しているあたり、クリステルもただモノではない。
本人も家族や周囲に褒められてその気になっていたのだが、今はその自信も無くなりそうになっている。
今、自分の目の前で何気なく父と会話をしているカイトは、自分と同じ十二歳なのだ。
その姿を見れば、自分の会話(交渉?)能力が高いとは自慢できない。
クリステルには、神という圧倒的に有利な後ろ盾があるにせよ、ここまで思い通りに公爵である父と対等に交渉できる自信などないのである。
そんな公爵家の女性陣のやり取りを置き去りにしながら、カイトと公爵の話し合いは続いていた。
「――――生産からすべてこちらに任せてもらうというのはどうだ? 勿論、船の時と同じように、独占しないと約束する」
公爵の提案に、カイトは首を傾げながら考え始めた。
事情を知ったうえでここまで言ってくれている公爵に任せることは、特には問題ないとカイトは考えている。
ただし、それをするのには一つ大きな問題がある。
「生産をお任せするというは構わないのですが、一つ問題があります」
「なにかね?」
「その糸なんですが、綿や麻のように植物由来ではなく動物由来なんです」
カイトの言いたいことを一瞬で理解した公爵は、短く「ムッ」と唸った。
乱暴な言い方をすれば、植物の場合は育ててしまってから加工の方法をその場で教わるということも出来る。
だが、相手が動物となれば、色々と扱いが難しくなるので一度はつきっきりで教わらなければならないだろう。
勿論、植物だって病気にはなったりするのだが、そこは他の生産物と同じような対処方法が使えるはずだ。
だが、動物になれば、餌の用意から普段の世話の方法までかなりの時間を拘束されることになる。
そのことについて、カイトは以前からどうするべきか悩んでいて、未だに解決できていなかったのである。
「そうなると、確かになかなか難しいな。そなたには他にもするべきことがあるのであろう?」
「……そうですね」
「ちなみに、どんな動物から作るのか、聞いても?」
「動物というか、虫といったほうが正しいですね。ただ、間違いなく公爵は知らないと思います。この世界にはいなかった生物だと言っていましたから」
敢えて誰とは特定して言わなかったカイトだったが、公爵は正しくそれを理解した。
「……そうか。この世界にはいない生物か。それは、ますます難しいな……」
その生物(蚕)を軽々しく預かって、対処方法も知らずに全滅させたなんてことになっては、目も当てられない。
揃って頭を悩ませるカイトと公爵だったが、ここで今までカイトの肩の上で大人しくしていたフアが動きだした。
肩の上からテーブルの上に移動して、コンと鳴いたのだ。
「うん? どうかしたのか?」
カイトは、フアが意味のない行動をするとは考えていないので、あえて公爵から視線を外してフアを見た。
それに、公爵はフアが神の一柱であることは見当を付けているはずだ。
ここで、フアを気にかけても問題にはしないだろうと考えての行動だった。
これまで大人しかった狐が動いたことに、アリアンヌとオレリアが目を丸くしながらその様子を窺っていた。
普通であれば、いくらコンとはいえ、公爵から無礼だと言われてもおかしくはないのだが、当人が注意することなく黙って見ていることにも驚いている。
クリステルは、船にいたときにもフアが動き回る姿を見ているので、特に驚く様子はない。
ただ、この場で何をするのかと、興味深げに見ていた。
そんな一同の視線を集めつつ、フアは何やらテーブルの上でグルグルと回りだした。
その様子を注意深く見れば、フアが丸ではなく四角く形を作っていることがわかる。
「うーん……なんだろう? 箱……じゃないか。……って、あれか?」
唐突にフアの言いたいことを理解したカイトは、一瞬躊躇してからクエストを確認するための画面を開いた。
一瞬躊躇したのは、公爵家の面々がいる中で、そんなことをしても大丈夫なのかと考えたのだ。
だが、画面自体は他人には見えないということを思い出して、すぐに開くことにした。
そこで問題があるなら、そもそもフアが見るように言ってこないだろうという考えもある。
画面を開いてクエストを確認したカイトは、そこにこれまでなかったクエストがあることに気が付いた。
さらに、その詳細を確認したカイトは、思わずジト目でフアを見た。
「いや、これって、ご都合主義過ぎないか?」
カイトのその言葉を聞いて、フアはわざとらしく後ろ足で耳の後ろを掻き始めた。
フアのその姿を見てカイトはため息をつき、再度クエストの内容を確認した。
そこには、公爵と契約を行ってから絹の生産を始めるようにと書かれていた。
この場合の契約とは、ただの紙の上での約束ごとではなく、文字通り神と直接約束を交わすということだ。
この世界において、神との契約は実効力が伴うもので、軽々しく行うようなものではない。
だが、その分信用力という点においては、抜群の効果を発揮する。
そのうえで、さらに問題になるのが、このクエストを完了したうえで貰える報酬だ。
なんとその報酬は、絹を生産するうえでの人材として、天使の一人を派遣するとなっている。
天使を送るのだから神との契約を行うのは当たり前ともいえるが、カイトにしてみればやりすぎという気がしなくもない。
これらのことを公爵に話すか悩んだカイトだったが、結局話すことにした。
変に自分の中で止めてしまうよりも、公爵の判断を仰いだほうがいいと考えたのだ。
そして、カイトから話を聞いた公爵は、表情を隠すこともなく目を丸くして驚いていた。
「――なんと!? そのようなことが可能なのですかな?」
公爵の言葉遣いが微妙に敬語になっているのは、フアを相手に話しているという意識があるためだ。
公爵は完全に、フアのことをいずれかの神だと判断したようである。
そんな公爵に、フアは頭を上下にさせた。
誰もが見ればわかるその動作だったが、一応カイトは補足をするように公爵に言った。
「問題ないようです。あとは、公爵の返事次第になります」
「ふむ……だが、しかし……いや、ここは受けたほうが得策…………」
カイトと交渉をしている最中だということを忘れてしまったのか、公爵は思考が漏れてしまったかのように、独り言のように言っていた。
そんな父親を見かねて、クリステルが助け舟を出してきた。
「お父様、声が漏れておりますわ」
「むっ……? コホン、いや、すまん。あまりに突然のことだったものでな」
「いえ、問題ありません。気持ちはよくわかりますから」
考えてみれば、そもそもこの世界に来ることになったカイトも、神様たちには振り回されている気がしている。
勿論、自分が選んだことなので、それに対して文句などはないのだが。
結局、公爵はこの後すぐに結論を出すことはなかった。
公爵自身は神と契約をすることは問題ないのだが、複数の人手を使って生産を始めるとなると、その者たちのことをどうするのかなど色々と考えることがある。
それをこの場でいきなり結論を出すことは難しいと判断したのである。




