(35)到着までの出来事
セプテン号に予定外の客人を迎え入れてから三日目の夕刻。
予定では、明日の昼までにはセイルポートに着くだろうという海域に入っていた。
操舵室で先の航路の確認していたガイルは、少し離れた場所で感心した様子でいる元船長の声を拾った。
「それにしても、この羅針盤とやらは便利ですな」
「そうだなあ。これだけでもこの船に乗る価値はあると、俺は考えているな」
「確かに。これは是非私が乗る船にも備え付けて欲しいものです。……まあ、これほどの技術を簡単に教えてはもらえないでしょうが」
「いや、そんなことはないぞ? 少なくともうちの船長は、独占せずに広めるつもりらしい」
さらりと返ってきたガイルのその言葉に、元船長は一瞬動きを止めてから両目を見開いた。
地球の歴史の中でも羅針盤というものが発明されたときには大革命を起こしたように、この世界でも同じような変革を起こす可能性がある。
一応、魔法での代替手段があるのだが、そんな希少な魔法を覚えている魔法使いのほうが少ない。
その魔法に頼らずに、誰でも好きな時に方角を確認できるのが、羅針盤の素晴らしいところだ。
当たり前だが、船のことを知り尽くしている元船長は、その価値に気が付いている。
それは元船長だけではなく、この二日間で入れ替わり立ち代わり操舵室に入ってきている元乗組員たちも同じだ。
そんな価値が高い羅針盤とその技術を独占せずに、世に広めるつもりがあるというのは、元船長に限らず普通の認識ではあり得ないことである。
「それは……本当にそのつもりなのですか?」
「さて。少なくともうちの船長はそう言っているがね。ただ、普通に広めるにしても、やり方は考えないといけないだろうな」
「それはそうですな」
船乗りであればだれでもその価値に気が付き、絶対に利用されるであろう技術など、貴族や商人たちからすれば喉から手が出るほど欲しがるものになる。
カイトが気楽に教えるつもりで契約なりをしてしまえば、その教えた相手が独占してしまう可能性もある。
それを考えれば、下手に広めることができないというのが、現状であった。
また、だからこそカイトは、まずギルドの依頼をこなすことで信用と実績を得ようとしているのである。
元船長は、カイトとガイルには命を助けられたという恩義を感じている。
だからこそ、二人が下手な騒動に巻き込まれるようなことになってほしくはないと考えていた。
「きちんと考えられているようで、安心しました。――ですが、私の部下たちに教えてしまってもよろしかったのでしょうか? いや、私も含めて、ですな」
カイトは、全ての船乗りたちに操舵室を開放している。
勿論、セプテン号の全てが分かるようになっているわけではないが、ガイルが教わっている航海術も含めて、色々な地球産技術や知識が操舵室には散りばめられているのだ。
「ああ、それもあの船長にとっては必要なことらしいからな。俺には、それを止める権利はないさ」
ガイルは、カイトが惜しみなく自分の持つ知識を自分に教えてくれていることに感謝している。
さらに、その理由もある程度察していた。
そして、それはガイルだけではなく元船長も同じなようで、同じように操舵室にいた元乗組員に聞こえないようにガイルに向かって言った。
「――魂からの依頼を受けるというのも、中々に大変ですな」
的を射たその元船長の言葉に、ガイルは言葉では何も言わなかった。
その代わりに、ニヤリとした笑みを浮かべて、作業に戻るのであった。
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クリステルがセプテン号に助けられてから四日が経っていた。
そしてついに、待ちに待っていたものをクリステルたちは目にすることになった。
「セイルポートの町が……!」
セプテン号の甲板上でセイルポートの町が近づいてくるのを目にしたクリステルは、感無量といった様子で声を上げていた。
カイトやガイルと話をするときには、非常に大人びた見識や対応を見せていたクリステルだが、やはりまだまだ子供らしいところも残っているのだ。
もっとも、セイルポートの町を見て感情をあらわにしていたのは、クリステルだけではなかったのだが。
途中で海賊船に襲われたという経験をした者たちは、無事にセイルポートに辿り着いたというだけで様々な思いがこみ上げているようだった。
命が助かったというのも勿論だが、セプテン号という普通ではありえない船に乗ることができたということも、それに拍車をかけている。
だからこそクリステルは、自分の隣に立つ同じ年の少年に向かって、素直に頭を下げた。
「カイル、有り難う。無事にここまで来れたのは、貴方のお陰ですわ」
「お、お嬢様……!?」
平民(どころか孤児)の少年に向かって頭を下げたクリステルに、傍にいた侍女が驚いた様子でそう言った。
実際に声を上げたのはその侍女だけだったが、周囲にいた護衛隊の者たちも同じような表情になっている。
貴族の、しかも公爵家の子女が、平民の少年に向かって頭を下げるというのが、それだけ衝撃だったのだ。
そんな周囲の様子を視界に入れつつ、カイトは気付かかなかったふりをして、にこりと笑った。
「お礼は必要ないですよ。海を旅する者として、必要とあれば助け合うのは当然のことですから」
「あなたにとってはそうなのでしょうね」
クリステルは、カイトの言葉にそう返しつつクスリと笑った。
クリステルは当初、公爵家の令嬢である自身を助けたことで、カイトが余計な要求までしてくるのではないかと警戒をしていた。
だがカイトはそんなことは一言も口にせずに、それどころか海の上とは思えないほどの生活さえさせてくれた。
しかもカイトは、最後の最後まで金銭などの要求はしてこなかったのである。
金銭の要求などあって然るべきだと考えていたクリステルは、拍子抜けするとともにモヤモヤとした気持ちを抱えることになった。
自分が子供過ぎて、そんな要求をしても仕方ないと思われていると考えてしまったのだ。
そんな思いなど吹き飛ばすようなカイトの返答に、思わず笑ってしまったというわけだ。
だが、クリステルにとってはそれとこれとは別の問題があった。
「いずれにしても、すぐにお父様からの招待状が届くはずよ。出来ればそれまで出航は伸ばしておいて欲しいですわ」
「公爵様に直接お目通りするなど、出来れば控えたいのですが……」
「それは無理です。ここで引き下がってしまっては、わたくしがお父様に叱られてしまいます」
既に何度か繰り返されたこのやり取りに、カイトは表では面倒くさそうな表情を出しつつも、内心では仕方ないかと納得していた。
カイトがクリステルにとっての命の恩人であることは紛れもなく事実であり、その件で家に招待するというのは本当のことだろう。
だが、公爵家に招かれれば、間違いなくセプテン号について問いただされることになるということもわかっていた。
今回クリステルを助けたのは偶然で、いずれは公爵と直接話をすることになるだろうと考えていたカイトにとっても、予定外の出来事だった。
本当であれば、もう少ししっかりとした立場を作ってからと考えていたのだが、今回の偶然によってその目論見は崩れてしまった。
クリステルの船が海賊に襲われているという偶然が、実は神によって作られた必然ではないかと疑ったカイトだったが、そんな干渉はしていないという答えが返ってきていた。
それでも、これが運命だとするならば、自分の知らないいずれかの神が関わっているのではないかと、益もないことを考えるカイトなのであった。
なんか、しばらくぶりに主人公が出てきた気が。。。




