(39)呼び捨て
平民でありながら神(しかも五大神の一柱)のコンを持ち、複数の国王からの推薦を得てルタ学園に入学することになるカイトの立場は非常に複雑である。
そもそもルタ学園は、身分による差はないということを謳っている。
ただ、いくら身分差がないとはいえ、学園という学ぶ場である以上は、身分による違いを学ぶことまでは否定していない。
一言でいえば、貴族の横暴は許されていないが、平民の無礼を許しているわけでもないということだ。
例えば、学園にいるときに、平民が貴族に対して敬語などを使わずに過ごしていたとする。
別にそのことで学園から罪に問われたりはしないのだが、学園を卒業した後ではその限りではない。
その卒業後のことを考えれば、学園にいるときからそれなりの態度をとっていたほうがいいというわけだ。
つけ加えると、同国の貴族を相手に学園にいるときから機嫌を取っておけば、卒業後の選択肢が増える可能性もあるのだ。
この上でややこしいのが、カイトのように特別なコンを得ている場合である。
たとえコンを得ていても、基本的には貴族に対してそれなりの態度をとる必要がある。
ただし、カイトのように特殊な立場になると、普段から貴族を相手に遜っていると逆に勘違いする者が出てくる可能性が高いのだ。
もっと言えば、貴族であることを勘違いして、無茶な要求をしてくる者が出てきかねない。
そうした無駄なやり取りをできる限り省くために、カイトもそれなりの態度をとる必要があるのだ。
この場合のそれなりの態度というのが、どういうものかといえば、
「――つまり、カイトはわたくしに『様』をつける必要などないのですわ」
という微妙なものであった。
今までウリッセから散々礼儀作法を学んできたので、カイトにも名前の敬称を略す意味はよくわかる。
……わかるのだが、微妙に頬を赤く染めながらピシリと指をさすクリステルの様子を見ると、別の意図を感じたくなってくる。
とはいえ、これまで色恋に関してクリステルから感じることはなかったという過去を思い返して、カイトはすぐに自重した。
いくらなんでも平民と公爵令嬢が結ばれるなんてことは、この世界にある数多の物語の中でもあり得ないような設定なのだ。
カイトのそんな思いに気付いているのかいないのか、クリステルは少しだけ不機嫌そうな表情になって言った。
「――聞いておりますの?」
「ああ、はい。勿論です。ですが、本当によろしいのでしょうか?」
カイトは、前半をクリステルに向かって頷きながら言いつつ、後半は公爵へと視線を向けた。
「ああ、そうだな。それで問題ない。というよりも、余計なトラブルを起こさないためにも必要なことだな」
「……ですが、それはそれで問題を起こしそうなのですが?」
「そうかも知れないが、公爵令嬢を呼び捨てにできるという事実のほうが、トラブルを回避しやすいからな。特にそなたの場合は、色々な方面から力を得ているだけに、必要なことになる」
クリステルや公爵が言っていることが理解できるだけに、カイトしてもすぐに同意したかった。
だが、平民が貴族令嬢を呼び捨てにするという事態に、どうしても抵抗を感じてしまう。
そんなカイトの考えを見抜いたのか、公爵はさらに続けて言った。
「一応言っておくが、恐らくクリステルだけでは済まなくなると思うぞ? であれば、今のうちから慣れておいたほうがいいのではないか?」
「え……えっと、どういうことでしょう?」
何やら不吉なことを言ってくる公爵に、カイトは不安げな表情を向けた。
「簡単なことだ。そなたのことを知っていて、ルタ学園に入学するのがクリステルだけでは済まないはずだ。であれば、その者たちから同じようなことを要求されることになるのは当然であろう?」
「当然……ですか」
「ああ、当然だな。それに、同級生になるかどうかはともかくとして、似たような年代の王族の子はそれぞれの国にいるはずだ。間違いなくそれぞれが接触してくると考えたほうがいい。どういう目的なのかは……そなたにはわざわざ言わなくてもわかるだろう?」
どう考えてもカイトにとっては面倒な未来が待ってくると断言してきた公爵に、その当人はげんなりとした表情になった。
何も知らない貴族を相手にするだけでも面倒なのに、色々な事情を知ったうえで近づいてくる王族は、より対処に困る相手になるだろう。
やっぱり入学するのは先送りにしようかと不穏なことを一瞬考えたカイトだったが、いつどこの学園に入学したとしても同じような未来が待っているかと考えて、すぐにその考えを振り払った。
そんなカイトの考えを見抜いた公爵が、小さな笑みを浮かべながら言った。
「ここで先送りにしたところで、問題の解決にはならないな。むしろ、時間が経てば経つほど、どんどん拡大していくと思うぞ。そなたが今後、全く表舞台に立たずにひっそりと過ごしていくというのならともかく」
一瞬、ひっそりと生活をしていくことを選択しかけたカイトだが、神々からのお願いを思い出して踏みとどまった。
そもそも、今のカイトがそのまま引きこもったところで、逃げ切れるとは思えない。
セプテン号に乗ったまま一生を過ごせば可能にはなるが、さすがに今からそんな生活をしたいとは思えない。
フアを連れて歩いている以上は、どうあがいても逃れられないと覚悟を決めたカイトは、改めてウリッセを見た。
「本当に大丈夫なのでしょうか?」
「勿論です。今回のような場合は、あえてカイトがクリステル様と親しげに接することで、周囲にあなたの立場が特殊であることを知らしめます。それがクリステル様だけではなく、複数の王族かそれに近しい者が関わるとなるとより効果は高くなるでしょう」
当人同士の関係もそうなのだが、今回の場合は周囲に与える印象のほうが、より大切だということになる。
当たり前のことだが、王族や貴族を相手に気軽に接するのは、クリステルのように当人が認めた場合に限られる。
相手が何も言わずに、いきなり平民同士の友達付き合いのような態度で接すると、逆に相手から距離を置かれてしまうこともある。
まずは普通に貴族を相手にするように接して、相手から望んできた場合には変更するのが一番だとウリッセは結論付けた。
結局、最初は普通の対応と変わらないと理解できたカイトは、納得した様子で何度か頷いていた。
「――ということは、最初はクリステルさ……だけ呼び捨てにすればいいということですか」
「そうなるな。そもそもそなたは、誰が自身の事情を詳しく知っているのか、区別などできないであろう?」
同じ王族であったとしても、その中での順位というものが明確に存在しているので、与えられる情報も違っていて当然である。
となれば、カイトについての詳しい情報を知らない王族に、いきなり親しげに話しかけた場合には、無礼だと受け止められてしまう可能性もある。
そうした事故を防ぐためにも、最初はきちんとした接し方をするのがいいのだ。
「なるほど。確かにそうですね。……となると、色々と区別が面倒になるような……」
「何を言っている。そなたはもうすでにできているではないか。色々と難しいことを言ったが、要は親しげに接していいと判断できた者にだけ、距離を置かずに近しく接すればいいだけだ」
普通の友人・知り合い同士の付き合いと変わらないと断言した公爵に、カイトはそんなものかと納得した。
平民同士の付き合いでも、相手を見て言葉遣いを変えることなどよくあることだ。
カイトの場合は、それが王族にまで広がった特殊な例といえる。
いずれにしても、今はクリステルが望んだとおりに彼女を呼び捨てにして、あとはその時々で対応をすればいいだろうと結論付けるカイトであった。