(38)情報不足
クワモリ商会が順調に動き出したのを確認したカイトは、メルテと一緒に公爵家を訪ねていた。
今回の訪問は、公爵に呼ばれたからというわけではなく礼儀作法を学ぶためであり、公爵との面会の予定は今のところ入っていない。
もっとも、教師であるウリッセに言わせれば、毎回毎回公爵本人に呼ばれているカイトのほうが異常ということになるのだが、それを当人に突っ込む勇気はカイトにはない。
貴族に対する礼儀作法を学んでいる身としては、それを知らなかった以前のように無茶なことはしたくはないのである。
もっとも、公爵本人は以前のような付き合いの望んでいるようなので、カイトとしても線引きが難しいところである。
ちなみに、当然のように毎回カイトに着いてきているメルテだが、ウリッセからは作法は学ばなくてもいいと言われている。
正確に言うと、メルテのような聖職者たちは、それぞれの宗派や宗教で独自の作法を持っていると王侯貴族に認識されているためである。
端的に言えば、ある宗派の教皇のような存在が王に対して頭を下げる必要がないように、神に対して身を捧げている聖職者は俗世の身分とはまた違った地位にいるという考え方なのだ。
メルテが大陸のどこを探してもない宗派の宗教だとしてもそれは適用されるために、ウリッセはメルテに対して礼儀作法の講義は必要ないとしたのだ。
結果としてカイトが勉強をしている間メルテの時間が空いたのだが、別にただ黙って終わるのを待っているわけではない。
学園ではメルテがカイトの側付きとしていくことになると知った公爵家のメイドたちが、自主的に側仕えとしての技術や知識を教え始めたのだ。
最初はそこまでしなくてもいいとカイトが止めたのだが、カイトが公爵の用意した教師の下で学んでいる以上は、連れている側仕えのことで恥をかくことになるわけにはいかないらしい。
カイトからしてみれば何とも面倒なことなのだが、ウリッセから作法を学んでいる以上は、あまり強く言うこともできない。
しかも、メルテ本人がやる気になって覚えようとしているので、カイトとしてもあまり強く止める気にもなっていないのである。
そんな感じで、カイトとメルテがやるべきことを終えてちょっとした休憩タイムに入ったちょうどその時。
カイトを訪ねてきた者がいた。
「――クリステル様。今日もお越しですか」
「そうですわ。……何か文句でも?」
「いえ。文句を言いたいわけではありません」
カイトが公爵の別邸で礼儀作法を学ぶようになってからこれまでの間、クリステルはほぼ毎回顔を見せに来ていた。
カイトにとってはもはや定例行事という感じなのだが、それはそれで気になることがある。
「ただ、文句ではないのですが、毎回毎回こちらに来て大丈夫なのですか?」
いくら三女とはいえ、公爵家の正妻の子であるクリステルが、忙しくないはずがない。
「それこそ毎回答えていると思いますが、あなたが心配しなくても、やるべきことはやってから来ていますから問題ありませんわ」
若干疑うような視線を向けていたカイトに向かって、クリステルは胸を張りながらそう答えてきた。
ちなみに、カイトがクリステルと初めて出会ってからすでに一年近くになろうとしているが、お互いに急速に大人へと成長しようとしている。
そのお陰なのか、少女であったクリステルは、ここ最近大人の色気のようなものを見せるようになっている。
もとから美少女といっても何ら恥じることのない容姿をしていたクリステルだが、このまま成長を続ければ間違いなく男の誰もが振り向くような美女に成長するはずである。
クリステルの答えをカイトは内心で安堵をしていた。
何しろ、クリステルがやるべきことやらずに自分と会っていたとすると、下手をすれば公爵の不機嫌が自分に向きかねないのだ。
「それなら良いのですが」
「そう。でしたらいいですわね。それにしても、カイト。あなた、折角ウリッセ先生から作法を学んでいるのに、全く活かされていないのではありませんか?」
「えっ……!? どういうことでしょう?」
カイトとしては、公爵令嬢であるクリステルに対して、最大限の敬意を示して接しているつもりである。
実際、最初のころはともかく、今の授業内容でウリッセから注意されるようなことはほとんどなくなっている。
この時はたまたま同じ部屋にウリッセが残っていたので、カイトは思わずそちらに視線を向けた。
その意図を感じたのか、ウリッセは首を傾げながら言った。
「私にも特に問題があるようには見えなかったのですが、何か問題がありましたか?」
「……そう。あなたまでそう仰るということは、もしかして先生はお父様から聞いていらっしゃらないということかしら?」
クリステルがため息交じりにそう言うと、カイトとウリッセは同時に顔を見合わせた。
本気でクリステルが何を言いたいのか、理解できなかったのだ。
眉をひそめながら何やら考え込むような顔になっているクリステルに、このままではいけないと判断したウリッセが問いかけた。
「何か問題があるのであれば、お教えいただけないでしょうか。もし対応を間違っているのでしたら、それは私のミスということになるので……」
「いいえ、ごめんなさいね。あなたに問題があるわけではありませんわ。ただ……そうですわね。このまま考えていても仕方ないので、直接聞きに行きましょう」
そう言いながら一人で納得したようにうなずいたクリステルは、首を傾げているカイトとウリッセに少し待っているように言い置いて、部屋を出て行ってしまうのであった。
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クリステルから待つように言われてから一時間ほどが経った。
公爵家の令嬢から待つように言われている以上は下手に移動することもできなかったカイトたちは、仕方なしに予定になかった勉強の続きをしながら待つことになった。
そうして待っていると、クリステルが公爵本人を連れて戻ってきた。
先ほどの話の流れから考えて、わざわざ公爵を連れてくるとなると、それなりに大きい問題だということがわかる。
この時点で可哀そうだったのが、もしかして自分の教えに不手際があったのではと思い込んでしまったウリッセである。
そのため、若干青い顔をしてしまったウリッセを見て、公爵が小さく苦笑をしながら顔を左右に振った。
「すまないな、ウリッセ。別にそなたを叱責するために、ここに来たわけではない。むしろ謝罪をするとすればこちらのほうだ」
「ど、どういうことでしょうか?」
「カイトの場合は、中々複雑な事情があってな。簡単に言ってしまえば、カイトはクリステルと同等の立場になる」
「「……はい?」」
思ってもみなかったことを言われたという顔をしたのは、ウリッセだけではなくカイトも同じだった。
その二人の反応に、公爵は続けて言った。
「カイトが神のコンを得ているというのは、比喩や誇張でもなんでもなく事実だ。それから……これは一部の者しか知らないのでできる限り黙っていてほしいのだが、カイトは複数の国の王の推薦を得てルタ学園に行くことになる。ウリッセ、そなたであれば、その意味が分かるであろう?」
公爵の言葉を聞いていたウリッセは、その途中から別の意味で顔が青くなり始めていた。
そして最後のほうになると、何か場違いなものがあるような目でカイトを見ていた。
やがて、公爵の言った言葉の意味を正確に理解したウリッセは、自身の役割を思い出したのか、公爵に向かって頭を下げた。
「確かに、私の教えが間違っていたようです」
「いや、こちらが与えるべき情報を制限していたのが理由だからな。そなたが謝る必要はない。カイトであれば、今後その点に気を付けて教えれば、大丈夫であろう?」
「そうですね」
公爵とウリッセが、ほぼ同時に頷いてからカイトを見てきた。
だが、カイトはその視線の意味が分からずに、メルテと一緒に顔を見合わせてから首を傾げるのであった。