(23)追いかけっこ
「――おい! そこのお前たち!」
唐突すぎる上に、尊大さ(悪く言えば傲慢)を感じるようなその声に、カイトは聞こえなかったふりをし――ようとしたが、できなかった。
何故なら、カイトが何もしないという選択をするよりも先に、乗組員の一人が反応してしまったのだ。
「あん? なんだい。兄ちゃん」
「にっ……!? か、仮にも貴族に対して、その口の聞き方はなんだ!」
目の前にいる絡んできたこの青年がどの国の貴族なのかは分からないが、名目上はルタ島内においてほとんど意味がない称号になる。
それはそのはずで、ルタ学園は基本的に身分による優劣はないとされていて、その管理下にあるルタの町も同じ措置が取られている。
もし、ルタの町で身分の差を適応してしまうと、色々な国々から貴族の子弟が来ているために、非常にややこしいことになってしまうのだ。
とはいえ、それはあくまでも名目上で、中には目の前にいる青年のように貴族然とした態度を取る者は少なからず存在している。
島民たちは、そういう者を相手にするときには、空気を読んでそれなりの対応をするようにしている。
屋台のおばちゃんからそういう雰囲気を感じ取った仲間の乗組員は、すぐに態度を変えて頭を下げた。
「これは、失礼をいたしました。それで、我々に何のようでしょうか?」
普段はざっくばらんな態度を取っている船員たちだが、やろうと思えばこれくらいの言葉遣いはできる。
ガイルが最初に選んだ時に、そうした者を選んでいたのだ。
それは、セプテン号というあり得ない船に乗る以上は、船員であっても貴族と触れる機会があるだろうと考えてのことだ。
だが、一応言葉の上では敬語を使っているが微妙に先ほどの気安い態度が残っているような雰囲気に、絡んできたその青年は微妙に顔を引きつらせつつ鼻を鳴らした。
「ふん……! やはり所詮は、貴族と触れたことも無いような田舎者か。私のような者と口を聞けたことを誇りに思うといい」
よほどご免こうむると言いたかったカイトだったが、火に油を注ぐことになるのは分かっていたので、口にすることはない。
他の面々も似たような気分になっていたのか、特に何かを言うようなことはなかった。
その反応に気を良くしたのか、他に三人の従者らしい者を連れたその青年は、胸を張るようにして言った。
「お前たちは、あの大きな船で働いている者たちだろう? あの船は私がもらい受けてやるから、オーナーの元に案内するといい。心配しなくとも皆はきちんと雇い続けてやる。貴族の下で直接働けることは、最大の栄誉であろう?」
堂々とそう言い放った青年を見て、カイトは目をパチクリとさせた。
これは偶然なのかも知れないが、これまで各地の港をいくつも回ってきたカイトだが、ここまであからさまに馬鹿な主張をされたことはなかった。
もしかすると海運ギルドの職員が目を光らせていたおかげなのかもしれないが、そもそもカイトたちに直接話しかけてくるような貴族がいなかったのだ。
だからこそ、青年の主張を聞いたカイトは、こんなテンプレをしてくる人間なんていたのかと、他人事のように感じていた。
とはいえ、周囲にいる仲間たちの視線が集まり出してきたので、カイトとしてもいつまでも他人事でいるわけにはいかなかった。
「まず断っておきますが、あの船を譲ることはできません。なので、この者たちもあなたの部下になるようなことはないかと思われます。残念ですが、このお話はなかったことに……」
「この餓鬼が……! ここは、貴様のような子供がしゃしゃり出て来れるようなところではないわ!」
カイトの話の途中で、貴族青年の護衛かおつきをしていた者の一人が、そう言ってきた。
その言い方と見下し方から、カイトのことをただの船に乗っている雑用係の小僧だと考えているようだった。
ついでに、貴族青年や他の二人の護衛の視線を見れば、同じように考えていることが丸わかりだ。
彼らのその言動を見て、速攻でこれ以上の話をしても無駄だと判断したカイトは、仲間たちを見回しながら言った。
「どうやら俺の出る幕はないようなので、このまま戻るとするわ。それじゃあ……」
「ずりーぞ、船長。面倒だからって、逃げるつもりだろう」
「あ。俺も一抜け」
カイトがすたこらさっさと逃げ出すように青年に背を向けて歩き始めると、乗組員たちも我さきにと歩き始めた。
そのあまりにも見事な連携に、貴族青年たちは唖然とするだけで声をかけることも忘れていた。
そして、その隙をつくように、カイトたちは面倒な現場から離脱をはた――
――せなかった。
「お、おい、こら待て……!」
「貴族を相手にあまりにも無礼であろう!」
貴族青年のおつきの内の二人が、剣に手をかけながらカイトたちを追いかけてきた。
「あー。追いかけてきやがった。面倒だな。――どうする?」
「基本こちら側は無視で。向こうが実力行使に出てきたら、正当防衛くらいは主張できる……かな?」
「了解。おい。お前ら分かっているな」
カイトとガイルが歩きながら短い打ち合わせをして、最後にガイルが乗組員たちに確認をすると、一斉に「へい!」という答えが返ってきた。
かくして、ルタの町にある大通りで、船乗りたちの集団と貴族青年を中心とした集団の追いかけっこが始まった。
カイトたちが走らずに早歩き程度で済ませているのに追いついてこないのは、体面か何かを気にしているのか貴族青年が走ることをしていないからだ。
護衛三人は彼から離れるわけにもいかずに、その速度に合わせて動いている。
結果として、カイトたちが徐々に貴族青年たちを離していくという構図になっている。
傍から見ていればなんとも間抜けな光景ともいえるが、当人たち(主に貴族青年)にとっては真面目に追いかけているつもりのようだった。
現に、カイトたちの後ろからは、時折「止まれ」や「貴族の言うことを聞かないか」などといった声が聞こえてきていた。
勿論カイトたちはそのすべてを無視して、セプテン号に向かってひたすら早歩きで逃げていた。
そして、コントそのものだよなとカイトが考えていると、ついにセプテン号への乗り口にたどり着いた。
当然カイトたちは、そのままセプテン号へと乗り込み始める。
さらに、貴族青年たちがその後に――ついて来ようとしたところで、見えない壁に弾かれるようにして護衛の一人がしりもちをついた。
セプテン号の防衛機能に弾かれたのだ。
セプテン号の周囲に結界のようなものがあると分かったのか、他の護衛たちがその壁を叩き始めた。
当たり前だがカイトたちはそれを無視して、そのままセプテン号へと乗り込んだ。
そして、先頭を歩いていたカイトに、もはやセプテン号の守護神(守護天使?)といってもいいアイリスが話しかけてきた。
「カイト様、おかえりなさいませ。あの愚か者たちは、排除いたしますか?」
「あー……いや、後々面倒になりそうだから、あのまま放置で。どうせ、疲れてそのうちいなくなるよ。きっと」
「畏まりました」
そのカイトとアイリスのやり取りを皮切りにして、残りのメンバーも次々に船内に入ってきた。
ルタの町の見学は中途半端な状態で終わってしまったが、乗組員たちの顔色は割と明るめだった。
彼らの会話を聞いていると、貴族を揶揄うようにしてやり込めたのが面白かったようだ。
それらの会話を聞いていたカイトは、皆がそう思うのだったらそれでいいかと、もはやどうでもいいことのように先ほどの出来事を記憶の片隅にしまい込むことにするのであった。