(11)神域(大地)
カイトがアイリスと話をしていると、フアが急かすように扉の前へと移動して一声鳴いた。
「コン!」
「ごめんごめん。今行くから。いや、ていうか、狐は『コン』とは鳴かないんじゃ?」
思わず突っ込んだカイトだったが、フアは気にする様子もなくその場でグルグル回り始めた。
それを見たカイトは、思わずアイリスと顔を見合わせた。
「何かあるのか?」
「私にはわかりませんが、急いだほうがよさそうですね」
アイリスの答えを聞いたカイトは、少し急いで箱の中から鍵を取り出した。
フアの傍にある扉は、先ほどカイトたちが部屋に入ってきた時に使ったものとはまた別の扉だ。
自分が近づいてきたのを見てようやく落ち着いた様子になったフアを見つつ、カイトは扉の鍵穴らしき場所へと鍵を差し込んだ。
そして、右方向へと鍵を回すと、何の抵抗もなく途中に「カチリ」と鍵が開く音がした。
「これで大丈夫かな……?」
カイトはそう呟きつつ、鍵を鍵穴から抜き取ってから扉を開けた。
そして、扉を開けた先の部屋に入ろうとしたカイトは、アイリスが動いていないことに気が付いた。
「あれ? ついて来ないのか?」
「その扉の先は、私たちでは入れないようになっております。詳しくは、その先で大地のお方に聞いたほうがよろしいでしょう」
「そう? そういうことならわかった」
首を振りながら言ってきたアイリスに、カイトは頷きつつそう返した。
アイリスが来ないとわかったカイトは、扉を開けた先の部屋へと足を一歩踏み入れた。
「………………あれ?」
「ようやっとここまで来たか。少し遅くはないかの?」
「いや、無茶言わないでくれよ」
足元から聞こえてきた声に反射的に答えたカイトだったが、未だに状況の変化にはついて来れていなかった。
まず、目の前に広がっている光景が、カイトが想像していたものとは全く違っている。
カイトは小部屋的なものを想像していたのだが、今カイトの目に映っているのは完全な草原だった。
さらに、先ほど通ってきたばかりの扉は、カイトが両足を踏み入れた瞬間に消えている。
極め付けが、先ほどの聞こえてくるはずがない足元からの声である。
一度大きく深呼吸をしたカイトは、現在の状況を教えてくれそうな存在(狐)に向かって話しかけた。
「……それで? これはどういう状況だ?」
「ふむ。随分と慣れてくれているようで、吾も嬉しいかの。わざわざこの姿になって傍にいる甲斐があったというものよの」
カイトの問いからは微妙にずれた回答をしたフアは、満足げな様子で首を何度か上下に振った。
「それで、この状況の説明だったかの? 簡単に言えば、ここは吾の創った神域だの」
「いや、神域って……」
「何を驚いておる。これでも吾は五代神のうちの一角ぞ。これくらいのことは出来て当然だ」
「はあ、そうですか」
「ほら。また戻っておるぞ」
呆れた様子で敬語に戻ったカイトに、フアからの突っ込みが入った。
「それはそれとして、何故また話せるようになっているんだ?」
「そこは流すところではないと思うのだがの。……まあ、いいか。それで理由だが、今言ったように、ここが吾の造った場所だからだの」
カイトが普段過ごしている世界では、神々などの力のある者たちは様々な制約を受けることで存在することができる。
話すことができないというのもその制約のうちの一つで、傍にいることはできても会話をすることができなかったというわけだ。
ちなみにこの制約は、カイトの魂使いとしての『格』を上げることができれば、外れることもある。
「――というわけで、カイトには頑張って魂使いとしての格を上げてもらいたいものだの」
「それは、まあわかったけれど、格はどうやったら上がるんだ?」
カイトは、何分まだ魂使いとして認められてから一日も経っていない。
そのため、魂使いとしてのそういった基本的な知識がないに等しい。
「別に難しく考える必要はない。大体はクエストをこなしていれば上がる。まあ、他にもあるのだが、それは吾の口からは言えぬの」
コンが魂使いに与えられる情報も制約の一つに含まれているため、どんなにこの場でカイトが聞き出そうとしても話すことはできないそうだ。
「――まあ、カイトの場合であれば、そこまで無理して聞こうとするよりも、自ら探すほうを選ぶであろう?」
狐の姿でほとんど表情などわからないはずなのに、フアがドヤ顔をしているように感じたカイトは、曖昧な表情で頷いた。
まったくもってその通りなのだが、それを素直に認めるのは悔しかったのだ。
それを見てどう思ったのかカイトにはわからなかったが、フアは特に気にした様子もなく続けていった。
「それよりも、まずはあの建物に向かおうかの。これ以上のことは道すがら話すとしよう」
フアはそれだけを言って、さっさと歩き始めてしまった。
どう返したものかと未だに悩んでいたカイトは、慌ててそれについて行く。
「まず言っておくが、今回この場に来た入り方は一度限りだからの」
「え? それじゃあ、どうやってもう一度ここに来ればいいんだ? 一回だけしか来れないのか?」
「そうではない。最初はカイトにわかりやすいように外に出るようにしておいたが、次からはあの建物の部屋の一つに出るようになっておる」
『あの建物』というのは、今カイトとフアが向かっている建物のことだ。
今回はカイトが初めて神域に来るということと、クエストの扱いになっているということで、特殊なルートになっていたのだ。
「なるほど。だったら、あの建物には何が?」
「それはもう、カイトにも検討がついているのではないかの? この辺りに生えている植物を見ても、答えが出るであろ?」
「いや、まあ、そうだけれど。一応確認したほうがいいのかなと思ってね」
カイトはそう答えながら辺りに生えている桑の木を見回した。
きちんと人の手によって管理されているように見える桑の木は、きちんと等間隔で植えられていた。
そして、カイトが以前の世界から『お狐様』によって呼ばれた理由を考えれば、あの建物に何がいるのかは考えるまでもない。
思えば、当たり前のことだが、こちらの世界に転生してからは一度も彼らを目にしていないと思ったカイトは、期待するような視線を建物に向けた。
「それにしても、何故こちらの世界には蚕がいなかったのか、聞いても?」
「別に難しく考える必要はなかろ? そもそも人の手でしか育たない生物が、あの世界で生き残ることができると思うかの?」
「無理……だな」
普通の動物やら昆虫どころか、魔物がはびこっているこの世界で、蚕という特殊な生物が生き残れるとは思えない。
奇跡的に人に見つかって育てられることがあれば、それこそ地球の歴史のように益虫として生き残ることができただろう。
だが、蚕の作る絹(の糸)が発見されるよりも前に、絶滅してしまったと考えたほうが自然である。
もしくは、蚕に似たような生物が見つかって、人の手で育てられる可能性もなくはないが、少なくともカイトがこの世界に呼ばれている以上はそれも無かったのだろう。
改めてこちらの世界での蚕の生存競争の確立の低さに思い至ったカイトは、大きくため息をついた。
ついでに、フアがこれだけ大掛かりな場所を用意してまで、蚕を用意した理由も理解できた。
あとは、この用意されたものを使ってどうやってこの世界に絹を広めていくかだが、まずはそれを決める前に現状をしっかり確認しようと、カイトはフアとともに向かっていた建物の中に入るのであった。