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*いじめが題材の作品なので苦手な方はご注意ください。
芸能人って大したことなかったんだなぁ。
夏休みに代官山で見かけた有名芸能人を思い出してなおそう思うほど、沙優のクラスにやってきた転入生──“一宮華弥“と名乗った少女の存在は別格だった。
背中の中ほどまである艶やかな黒髪に、黄金比であろう清楚な容貌。前学校の制服らしいセーラー服に包まれた体は細めで女の子らしい曲線を描きながらも、適度に筋肉もついた健康的でスラリとした理想的体型。それはまるで、男性向けアニメの清純派メインヒロインが画面から飛び出して来たんじゃないかと錯覚してしまうほど、別次元の可愛さだった。圧倒的だった。
クラスメイトも似たような感想を抱いたらしい。自分の呼吸音が聞こえてくるほどしんと静まり返った教室に、華弥の澄んだ声はよく響いた。
「父の仕事の都合で引っ越してきました。趣味はファッションやコスメ、音楽、スポーツなど色んなことに興味があるので、みんなと色々お話しできると嬉しいです。よろしくお願いします」
緊張したように少し震えた声でそう言って、桜色に染まった頬を隠すようゆったりと行ったお辞儀も、サラサラと背中から溢れた髪をそっと耳にかけ直す仕草も、最後に見せたはにかんだような笑顔も、その全てが完璧で。誰ともなく送り始めた拍手は休み時間に両隣のクラスの生徒達が何が起きたのと聞きに来るほど、大きく、いつまでも続いた。
明るく、誰にでも隔てなく接する華弥はその日の内といわず午前中にほぼ全員と一度は言葉を交わし、連絡先も交換したようだった。もちろんその中には沙優も含まれている。クラスメイトの流れに乗ってトークアプリのIDを交換した際に、
「沙優ちゃんっていうんだ……可愛い名前だね! これからよろしくお願いします!」
なんて、緊張感から解放された眩い笑顔を向けられれば生まれて初めて、この子と友達になりたい──! という強烈な願望が湧き出たが、その華弥を取り込んだのは“松原すず奈”が率いるグループだった。
緩く内巻きにしたセミロングの黒髪とナチュラルに見えてその実しっかりと施したメイク、持ち物はブランド品で固めた今時の女子高生であるすず奈を筆頭に、金に近い茶髪とド派手なギャルメイクが目につく口の悪い真尋、ボブの黒髪と黒縁の丸眼鏡が大人しそうな印象を与えながらも言うことはハッキリと言う愛理、そして、腰まで届きそうな焦げ茶の髪をくるくると巻き男子受けを意識した可愛らしい雰囲気を持つ由衣花の四人からなる、クラスの中心的女子グループ。
沙優が身を置く音楽好きで集まった四人組とは特別仲良くもなく、かといって険悪なわけでもない、本当に単なるクラスメイトである。
……いや、訂正しよう。本音を言えば極力関わりたくない人種であり、沙優が密かにそのグループと接触を持たないよう友人達を誘導していた。理由は単純。怖いから。その一言に尽きた。
すず奈達のグループはもともと、現在の四人に“永井ひなた”という性格のおっとりした可愛らしい少女を入れた五人組だった。
その中で唯一沙優が会話らしい会話をしたことのある人物がひなたであり、誰とでも分け隔てなく接する優しい彼女はいつもすず奈達と仲睦まじく見えたが……気付けばひなたは“いなくなって”いた。それはグループから外れたという比喩ではない。本当にいなくなっていたのだ。
その理由を知っているのは当人達を除けばただ一人、偶然知ってしまった沙優だけだっただろう。
しかし、悩みに悩んだ末に沙優がその理由を誰かに話すことはなかった。人として最低な選択であることは重々理解していたが、何の力もない自分のささやかな平和を守るための苦渋の決断だった。
とはいえそれも、登校時間に学校近くの公園の片隅で肩を震わせ泣いていたひなたを見付けた、“あの日”までのことではあったが――。
そんなグループに華弥が引き込まれたことは沙優の不安の種であったが、それから二週間も経てば華弥はすっかり馴染み、すず奈達グループのクラスにおける権力は以前にも増して圧倒的なものになっていた。
自分よりも可愛い子には無条件で屈してしまうのが女子という生き物である。
ただでさえ人一倍見た目に気を使った可愛い子達が集うグループであるすず奈達は、校内一の美少女と言っても過言ではない華弥を引き込んだことでクラスの男子はもちろん、先輩や後輩からも絶対的支持を集めることとなり、近付こうとする男子の数も目に見えて増えた。
結果、傍目から見てもすず奈達の機嫌は良かった。
すず奈が入学当初から好意を抱いているという同じクラスの石神賢太郎が、華弥を目当てに再びすず奈達へ近付いていたことも大きな要因だった。
そんなある日のこと。
学食名物の安くてお洒落な日替わり定食を食べながら、昨晩の音楽番組について沙優達が会話に花を咲かせていた時だ。丁度空いていた沙優達の真後ろ後の席に、同じく日替わり定食を乗せたトレーを手に、賑やかすぎる声を上げながらやって来たすず奈達が腰を下ろした。
声の位置からしてテーブルの向こうに華弥を挟んで愛理と由衣花が、沙優の真後ろにすず奈と真尋が座ったらしい。沙優は僅かな緊張感から無意識に箸を握る手へ力をこめた。
席と席の間に一切の仕切りがない学食では、隣の席の会話なら声を潜めない限り一言一句ハッキリと聞き取れる。友達とのおしゃべりに集中できず口数の減った沙優とは逆に、雑誌に載っていた二万の秋用ワンピースが欲しいだとか、高級ブランドの新作コスメが可愛いだの、雑誌モデルの藤堂翔がカッコいいだの、K‐popアイドルグループの新曲がいいだの──。
興味がない話題ばかりだからかも知れない。沙優には酷く薄っぺらく聞こえる内容の話が、少しの間も惜しむように続く。
もともとそういった話ばかりしていたグループだったが、華弥が入ったことで何かしらの変化があるかと思いきや、華弥もその会話にすんなりと溶け込んでいた。寧ろ牽引していると言ってもいい。
とりわけ愛理と由衣花はすっかり華弥に懐いたようで、食事の合間にパラパラと雑誌を開いては華弥にコーディネートの意見を求める声が届いた。
沙優は華弥の話題の豊富さにも感心しきりだった。
初日以降、まるで自分達の所有物だと見せつけるように華弥を囲むすず奈達に阻まれて学校ではろくに話せていないが、トークアプリではそれぞれのグループとのおしゃべりを楽しんでいるらしい。
すず奈達に合わせられるほどファッションやコスメに詳しくて、沙優達が感心するほど音楽にも精通している。かと思えば男子の好きなサッカー、野球、バスケなどの人気スポーツにも詳しいし、活字中毒達ともマイナー作品について意見を交わし、男女併せてクラスの四割を占めるオタク達とも最新のアニメネタで盛り上がっていて、クラスメイトのほぼ全員を既に虜にしていると言っても過言ではない。
本当に凄い、と純粋に思う。
好きなこと以外は三日坊主で、例えこの先好きな人のために趣味を寄せてみようとしても確実に失敗するであろう沙優には決して真似できない芸当だ。
確かに自己紹介で多趣味だとは言っていたが、あれだけ多くの趣味に時間を割いていて勉強をする時間や寝る時間はあるのかな……などと取り留めもないことを考えながら、残り僅かとなった定食のロコモコ丼を頬張った時だった。
「私の好きな人はね〜、石神くん。ふふ、秘密だよ?」
いつの間にそんな話題へ移っていたのだろう。
小さく、照れたように少しだけ震えた華弥の声が、沙優には確かに聞こえた。
好きになった?
……華弥ちゃんが? ……石神くんを?
そう難しくはないはずの言葉の意味を、たっぷり三十秒ほど遅れて理解した瞬間――沙優はまるで、切り裂かれた腹から血が噴き出しているんじゃないかと思うほど全身から一気に血の気が引くのを感じた。
二年で沙優と同じD組になった石神賢太郎。
バスケ部である彼はもちろん運動神経抜群で、勉強も毎回中の上を取るくらいにはできる。その上、身長も高く見た目もそこそこ良いものだから女子にモテないわけがない。すず奈も彼を慕う者の一人だった。
しかし、そんな石神が好きになった女子こそが“ひなた”だった。
二年で同じクラスになった石神は、傍目から見ても優しくておっとりした、女の子らしいひなたに好意を寄せていた。
約一年石神を見つめ続けてきたすず奈がその変化に気付かないはずもなく──ひなたは消された。
だから石神くんだけは駄目なのに。
それを、まさかそこで言うなんて……!
沙優は背後の空気が、時が、確かに凍ったように感じた。それは一瞬のうちに広い食堂全体へ伝染したかのごとく周りの雑音さえも遠ざかって、それまで意識することもなく飲み込んでいた唾が、ご飯が、まるで鉛のように飲み込み辛く感じた。
「……へえ、そうなんだ! 石神ってイケメンだもんな」
「華弥に釣り合うほどのイケメンじゃないけど……まあ、運動神経いいしね」
「や〜ん、華弥ちゃん相手じゃ取られちゃうなぁ〜!」
などと真尋達が冗談交じりに話し場を和ませる中、沙優は一言も発しない背後のすず奈だけは笑っていないと確信していた。いや、そのメイクで強調した愛らしい顔はいつも通りの笑みを浮かべていただろう。しかし、ブラウンのアイラインで縁取られた丸い目の奥は絶対に笑っていない、と──。
「みんなでカラオケに行かない?」
多くの生徒が浮かれたように下校していく、金曜日の放課後。
昇降口がもう直ぐ見えるという階段の踊り場で、沙優達四人は愛理と由衣花をつれた華弥に呼び止められた。
クラスの男子グループで一番中心的な、石神を含む三人グループに誘われたらしい華弥に、沙優達は誘われていた。聞けば華弥が誘いに乗ったところ男子の参加者数が急増してしまい、慌てて女子の数も増やしているとのことだった。
音楽が好きで学校帰りにはカラオケにもよく行く沙優達だが、これまでは体育祭や文化祭の打ち上げでもない限りすず奈達と一緒に遊ぶことはなかった。
しかし、今回は違う。
男子はもちろん、同性ですら話したくてウズウズしている華弥がいるのだ。面倒なのがいても華弥の存在はそれを補ってあまり余る。華弥が行くなら……と目配せで合意した沙優達四人はカラオケへ行くことにして、真尋と男子の待つらしい下駄箱へ向かい歩き出そうとしたところで徐に懐を、鞄をあさり出した華弥が、
「──あ。机にスマホ忘れてきちゃったみたい! 取ってくるから先に下駄箱行ってて!」
そう言って止める間もなく駆け出して、そのあとを何故か慌てて愛理と由衣花が追いかけていく。
その様子に疑問と一抹の不安を覚えた沙優は踏み出そうとした足を一旦押しとどめ、ぐっと下唇を噛み締めた。
授業が終わり小一時間ほど経った現在、帰宅部の生徒はそのほとんどが下校してしまったが、教師はもちろん文化部の生徒などまだまだ多くの人が校舎内にいる。すず奈の慎重な性格からして、この時間に目立つ場所で行動を起こすことはないだろう。
しかし、華弥の予期せぬ告白があったのは昨日のことだ。勘違いかも知れないが今日は何だか嫌に胸がざわめいて、大人しく待っていることなどできそうにない。
逡巡した結果、友達へ先に下駄箱で行っているよう告げると沙優は三人のあとを追った。
降りてきたばかりの階段を一段飛ばしで駆け上がる。
ぐずぐずしていたせいで戻ってくる三人と出くわすかもなんて、あえて楽観的に考えながら二年の教室が並ぶ三階の廊下が覗ける踊り場までやってきたところ、何故か階段の正面にあるC組の教室前で立ち止まっている華弥達を見付けた。
D組の教室は当然C組の右隣であり、目と鼻の先にある。
それにも関わらず何を立ち止まることがあるのだろうと、沙優が最後の階段をゆっくりと上がりながら様子を見れば、華弥の後ろで愛理と由衣花が狼狽えたようにキョロキョロしていて少しばかり不穏な空気が漂っていた。
どうしたのと沙優がそっと駆け寄れば、
「石神、私ね。ずっと石神のことが、」
好きだった──
そう続くはずであっただろう台詞は次の瞬間、
「――あれ、すず奈ちゃんに石神くん? 二人でどうし…………あ、ごめんね。もしかして何か大事な話でもしてた? 私ってばスマホを置き忘れちゃったみたいで……」
華弥が躊躇なく開け放った扉の音にかき消され、届くことはなかった。
廊下の沙優達にも、すず奈の目の前にいるであろう石神にも……。
華弥が割って入るとは夢にも思わなかった沙優は驚きで目を見張り、固まる。全身から嫌な汗が噴き出しているのに閉じているはずの口の中はカラカラで、あと数歩の距離を歩き教室へ辿り着くことはおろか、言葉をかけることすらできそうにない。
わざととしか思えないタイミングで割って入った華弥の弾むような声だけが室内に響く中、沙優同様呆気に取られていたらしい石神が我に返ったように声を発した。
「あ、ああ……うん。カラオケのメンバーが集まったか松原と確認してたんだ。別に大事な話をしてたわけじゃないから大丈夫。華弥ちゃんも行くんだよね? みんな待ってるっぽいし行こう!」
「そうなの? でも、何か用事があるなら二人はあとから参加でも……」
「いいんだ! …………しいし」
「え?」
「いや、何でもない。行こう!」
「……分かった。それじゃあ、すず奈ちゃんも早く行こう!」
石神が急かすように華弥の背を押しながら廊下へ出て来たところで目が合ってしまった沙優は、傍の愛理と由衣花に習って慌てて視線を床へ落とし──そこではたと思い至った。
先程の様子から察するに、愛理と由衣花は教室へ戻ろうとする華弥を止めに追ったのだろう。
つまり、すず奈が石神に告白しようとしていたことを知っていたのだ。それはたぶん真尋も同じで、三人が華弥を引き付ける役割を負っていたのではないだろうか。
何故このタイミングで告白をしようとしたのかは考えるまでもなく、確実に昨日の華弥の暴露による影響だろう。仮に消そうにも、良くも悪くも目立ちすぎる華弥はおっとりしていたひなたのように軽く排除できる相手ではない。故に焦ったすず奈は最終手段に出たのだ。
その機会さえもあっさりと華弥に潰されてしまったが──。
階段を下りて行った二人の姿が踊り場から下階へと消えたところで、教室を覗く勇気のなかった沙優は逃げるように華弥のあとを追った。
それから少しして愛理と由衣花は追い付いたが、すず奈が来ることはなかった。沙優にはそれが酷く不気味に思えた。
憂鬱な月曜日を乗り切った!
そんな開放感から、つい先程までグループのみんなと音楽室で話し込んでいた沙優が学校を出たのは十九時を回った頃のことだった。
その時点で校内の明かりは文化部が使用しているいくつかの教室と職員室くらいのもので、薄暗い廊下を歩く沙優逹の頼りはグラウンドを煌々と照らす屋外照明だけだった。築年数三十年の校舎は大して古めかしくもないのに肝試しができそうなほど暗く、薄気味悪い雰囲気を漂わせていて、人並みにホラーが苦手な沙優達はきゃーきゃー言いながら校舎をあとにした。
バス通学や自転車通学の友人達と校門前で別れるや小走りで駅へ向かい、人が行き交う賑やかな大通りまで出たところでほっと一息を吐いた。
……だというのに。
沙優は教科書を机に忘れてきてしまったらしかった。
明日の数学は出席番号順からして必ず当てられる日だ。電車の中で予習をしておこうと乗り込む直前でその事実に気付いた沙優は、いつも窓口でにこにこと学生を見守る優しげな中年の男性乗務員に説明して改札を通してもらうと慌てて学校へ戻った。
ものの二十分程度でさらに人の減ったらしい校内は耳鳴りが鮮明に聞こえるほど静かで、少しでも物音を立てればオバケに見つかってしまいそうな気がする。確かうちの学校の怪談にはテケテケとかいたよね……なんて無駄なことを思い出して背筋を震わせた沙優は、なるべく足音を殺して教室を目指した。
そうして、二年の教室が並ぶ三階の廊下まで辿り着いた時だ。灯りはとっくに消えている自分の教室から微かに人の声が聞こえてきて、沙優はビクリと肩を揺らした。
まっ、まままままさかのおばけ……!? と思わず踵を返しかけたところで、はたとある可能性に気付き――ついでに数学教師西村が正解するまで同じ生徒を指名し続ける恐怖も思い出し――冷静さを取り戻した沙優は、止めてしまった歩みを再開する。
というのも、帰宅部の生徒達が無駄に遅くまで居残っていると教師が注意しにやってくるため、残っていたい場合は電気を消した薄暗い教室でちょっとしたスリルを味わいながらおしゃべりを楽しむのだ。きっと誰かがこっそり残っていたのだろうと心を落ち着ければ教室の扉まであと一歩というところで、
「…………して……あんな……たの……?」
僅かに開いていた扉の隙間から静かな怒気を孕んだ声が漏れ聞こえてきて、沙優は凍り付いたように動きを止めた。
「あんな……、……の…………るの」
「いって…………は、すき…………って」
誰かと誰かが会話をしているらしいが、互いに声を抑える程度の理性は残っているようで耳を澄ませてもハッキリとは聞き取れない。
しかし、時折聞こえる単語と穏やかでいて詰るような口調から、教室で交わされている会話が和やかなものではないことは明白であり、瞬間、本が紐解かれたように嫌な記憶が蘇った沙優は、廊下に佇んだまま密かに呼吸を乱す。ただでさえ小さく聞き取り辛かった声がすうっと遠ざかって、握り締めた掌からはじわりと汗が滲み、脚が小刻みに震えて今にも座り込んでしまいそうだ。
けれど、物音を立ててはいけない。
衣擦れの音一つでも立ててしまえば、オバケが――いや、教室にいる“誰か”が沙優を捕えに飛んでくるに違いないのだから……。
この時点で沙優の教室へ踏み入る勇気は砕け散っていた。
教科書を取りに教室へ入る、ただそれだけの簡単な行為が頭から綺麗に消え去っていた。
そうして身をすくませる沙優が永遠にも思える時を過ごしていると、
「もう……、……」
「……そう……まえ…………し」
「……ね~、……こ!」
「っ!」
新たに複数の声が聞こえ、同時に席から立ち上がるようなガタガタという音が届いた。かと思うと、何か重たいもの――学生鞄だろうか。荷物を肩にかけるような衣擦れの音も届いて我に返った沙優は、暗い校内でも見て取れるほど青褪めた顔で慌てて辺りを見回すと、震える脚を叱責して扉の開いていたC組の教室へ滑り込んだ。
廊下側の壁に背を預け小さく蹲ると息を殺す。
バラバラと聞こえ始めた足音がD組の教室を出てC組の正面にある階段へ向かう――と安堵しかけたその時、
バチン!
という乾いた音に続き、
ドサリ、
という鈍い音が届いて沙優はつい声を上げそうになった。
そして、くすくすと零れる笑い声とともに複数の足音が今度こそ下階へ消えていくと、緊張感から解放された沙優は暫く呆けてしまい……気付いた時には教室に残っていたはずの“誰か”の気配も消えていた。