Chapter12-2
お世話になった天凪魔法学園とセピスを後にし、魔法使いの村、リリオットへと向かっていく六人。今度は海岸沿いの方向には行かず、林から森へと伸びる、自然に出来た獣道を進んでいった。
ある程度踏み固められているものの、道なき道に等しい。陽が差し込む明るい森だが、もうすでに深い森林の中に入っている。三六〇度どこを見ても木、大木、樹木だ。
「ゆい、大丈夫? 無理はするなよ?」
同じペースで歩いているが、ゆいが数歩遅い。このくらいの遅さは問題ではないのだが、織葉はいつも以上にゆいのことを気遣う。
「大丈夫だよ織葉ちゃん。心配し過ぎだよ」
笑顔を作って答えるゆい。確かに寝不足だし、精神的にも疲れてはいるが、歩けない程ではない。歩幅は小さくて遅れ気味だが、それは疲労から来ているものではなかった。
織葉はゆいの返事を聞いて安堵の笑みを見せる。その後また進行方向の前へと向き直り、しっかりと歩き続けた。
いくらほど歩いただろうか。辺りが森林なのは変わりないが、いつしか周りの風景は新緑の緑から、柔らかな光の緑に変わっていた。
人間の手がつけられていない、原生林の森に入っていたのだ。踏み固められた獣道はいつしか消え、久たちは岩や木の根の上など、道なき道を進んでいた。
先程までは十メートルほどの高さだった木々も更に大きく聳え、頂点を見るにはかなり首を上に向けねばならない。樹齢何百年という単位の木々たちなのだろう。六人が手を繋ぎ合っても一周しきれないほどの太さの木々が逞しく根付いている。
風格のある、何百年と雄々しく生きてきた木々たち。幹に絡みつく植物の蔦や苔なども、その風格を強調させるのに一役買っている。
「綺麗な森だ……。ここまで奥にまで立ち入るのは初めてだ」
ユーミリアスは巨大な大陸。当然、踏み入ったことが無い場所はまだまだある。
ここもその場所の一つだった。久は歩む足こそ止めないものの、見上げて声を漏らした。
木の幹同士の間隔はかなり離れているものの、見上げると見事なまでの葉っぱの天井が作り出されている。昼前のきつい日差しも柔らかくなり、緑の筋となって差し込んでくる。全てが柔らかく、どこか神聖な雰囲気が漂う森に久たちは心洗われていた。
原生林の中、道なき道を進んでいくチーム久。小さな小川を渡り、倒れた大木を乗り越え、大岩を避けて進んでいく。人の手が加えられていない山道は、進むのも苦労の連続だ。
小休止を取り終えた六人は森の中を更に進んでいく。深い森の中には鳥の鳴き声と葉の重なって擦れる音が溢れ、地面からは微かな水分の匂いが湧きあがっている。
大きく変わらない景色の中、どこまでも続く木々の奥へと目を凝らしていたハチがふと、前を歩くタケに訊いた。
「なぁタケ。俺ら前の休憩からどのくらい歩いた?」
「えーと。だいたい二時間だな」
上着のポケットから懐中時計を取り出し、その文字盤に目を落とした。愛用の懐中時計は、午後二時のほぼ頂点を指している。
「さっきの休憩からもう二時間も経つのか」
タケの前を行く久が二人のやり取りを聞き、くるりと半回転して後ろ向きに歩いた。
「もう一度休憩入れとくか?」
久の考えていることを見抜き、タケが久に提案する。
「だな。さっきは小休止で昼飯も食べてないし、そろそろ休憩挟んどこう」
久は後ろ歩きのまま数歩後ろに軽やかに下がると、足を止めて見せた。
「そうね。午後二時だといい頃合いだわ。お昼にしましょか」
ジョゼも自分の時計を取り出し確認し、久の提案に乗った。久もここでようやく自分の時計の存在を思い出し、ポケットから取り出し確認した。
ジョゼは小さな小川の横に鎮座している岩を見つけ、その上に腰を掛けた。
ジョゼの行動と久の提案に反対する者はいなかった。各々岩や切株、倒木などに腰を下ろし、二時間ぶりの休憩を取ることにした。
「ふぃ~。しっかし、誰も腹減ってなかったのか?」
切株に腰を下ろした久。久は荷物と槍を地面に置くと、切株に全ての力を預けるように座り込んだ。
久の質問に対して誰からも回答は返ってこなかった。久は全員の顔を見て回ったが、誰の顔からも、疲れの色が顔に出ていない。疲れがないのは良いことだが、ここまで皆が揃った反応をすると不思議に思ってしまう。
「多分、ここに充満している魔力のお陰だと思います。私たちの疲労度合が少ないのは」
久の質問に対し、一拍遅れて答えてくれる人がいた。小川付近の岩に座っているゆいだ。
ゆいは川の水に手を付けて、上流の方向を見ながら答えてくれた。
「魔力のお陰?」
タケは鞄から昼食を取り出しながらゆいに訊き返した
「はい。この場所、濃い魔力が充満しています。おそらく、地と水の魔力……。その二つは自然の魔力とも呼ばれていて、治癒や精神を落ち着かせる効果があるんです」
「なるほど、そんな効果が。言われてみればここには地と水が溢れてるもんな」
辺りを見渡す久。大自然の原生林。それは大半が地と水で構成されていると言っても過言ではない。
「回復魔法なんかも水の魔術の応用だったりします。でも、こんなに自然の魔力が溢れているところは私も初めて。とても気持ちがいい……」
岩に座り、深呼吸をするゆい。吸い込んだ空気が胸いっぱいに広がり、鼻孔に少し森の香りを残させる。体の中まで清潔になっていくような感覚だ。
自らの魔力だけではなく、自然の力も駆使して魔法を行使する魔導師。その魔導師であるゆいは、この場の魔力を誰よりも敏感に感じ取っていた。
「とりあえず、遅いけどお昼、食べちゃいましょ。なんだか座ったら空腹感が出てきちゃった」
休憩を取ったことで空腹感が湧いてきた。空気を楽しむだけでは腹は満たされない。腰掛けていたジョゼが皆にそう提案をし、自分の荷物からランチボックスを取り出した。
「そうだな。食べられる時に食べておくか」
ジョゼに続き久。久の動きを見て、それぞれが鞄からランチボックスを取り出していく。
このお昼は出発前、セピスで購入したサンドイッチだ。ハムや卵などといったオーソドックスな物と一緒に、セピスの新鮮な魚を使った、魚のフライが挟まれたサンドイッチが包まれている。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきまーす」
膝の上にランチボックスをおき、久が手を合わせる。五人も手を合わせ、その後に皆でお昼を取り始めた。
「んん、美味いな」
両手にサンドイッチを持ち、交互に食べていくハチ。決して行儀がいいものではないが、なんでも美味そうに食べるハチの笑顔を見ると注意する気が失せてしまう。食の笑顔はいい笑顔だ。
「簡単なお弁当でも、こういう場所で食べると美味しいね」
両手でひとつのサンドイッチを持ちながら食べるゆい。どうやら卵のサンドイッチがお気に入りのようだ。
「オレは食べる間にコーヒーでも沸かすとするか」
タケは鞄の底から小さなやかんを取り出すと、小川で水を汲んだ。旅の時にも携帯コーヒーメーカーを持ち歩くのがタケのポリシーだ。流石、カフェイン中毒者。
タケは水を汲みながら同時に大きめの石を何個か拾い集め、川のすぐ横に簡易のかまどを組み上げた。
「あ。タケさん。火をつけるなら任せてよ」
かまどの上にやかんを置き、マッチを摺ろうとしていたタケに、織葉が静止を掛けた。
「織葉ちゃん。まさか、魔法で?」
腕まくりをしながらかまどに近づく織葉に、ゆいが恐々とした声を上げる。なんだか少し身構えているような気さえする。
「おう! 魔法は苦手だけど、ここまで魔力が濃きゃ大丈夫だろ!」
一方、自信満々の織葉。するりと刀を引き抜き、切っ先をかまどの中へと向ける。杖を持っていない織葉は、刀を魔法の発動体として使うようだ。
「えいっ!」
皆が固唾を呑んで見守る中、腕にぐっと力を込め、織葉が魔力を送り込んだ。腕から送られた赤い魔力が手を通り、刀の刃部をつたって切っ先から一滴の深紅の液体を落とした。
その水滴が地面に落ちた瞬間だった。ボッとかまどに火が熾った。
赤い魔力からは連想できない完全燃焼の青い炎。かまど内で生まれたその炎がやかんを熱し始めていた。
「お、やるじゃないか、織葉」
予想以上の出来に驚くタケ。織葉は胸を前へと張り、もっと褒めてと言わんばかりの態度を取る。
「た、タケくん! やかんが!」
しかし、その和やかな空気が一瞬にして崩れた。
突如、ゆいが焦りの声を上げた。
「え?」
ゆいの顔を見た後、やかんの方へと視線を送るタケ。視線を向けた先、何とそこではかまどの上で青い業火にさらされ、やかんの形が変形していくではないか。
鉄特有のメタルな輝きは失われ、その代わりに真っ赤になるまで熱されて光っている。ぐにゃりと曲がっていくやかん。底が丸みを帯び、注ぎ口も捻ったかのような形に変形していた。
「おいおいおい! これはまずいだろ!」
慌てて川の水で消火に当たる久とタケ。しかし、いくら水を掛けても青い炎は鎮火しない。炎に当たる水は水蒸気を立て、一つも漏れず蒸発していく。燃え続ける炎は、依然としてやかんの形を変えるのに熱心だった。
とうとうやかんの底に穴が開く。しかし、内部の水はすでに蒸発しきっており、水は一滴たりともこぼれてこない。一体、何度の炎で熱したというのか。
「タケくん、私に任せて!」
いくら水を掛けても治まらない炎を見て、とうとうゆいが立ち上がった。ゆいは杖をしっかりと構え、先端を燃え盛るかまどに向けた。
「シオン、お願いっ!」
その瞬間だった。ゆいの声に反応した杖は、クリスタルを青く煌かせ、炎をかまどとやかんごと凍りつかせた。
そこに出来上がるのは氷のアート。大自然のど真ん中に突如現れた奇妙な氷の彫刻。氷の中に閉じ込められたタケの変形したやかんは、永久凍土から出土したロストテクノロジーのようだ。これが現代のやかんのなれの果てと分かる人はゼロに近いだろう。
「ふぅ。なんとかなった……」
何故かこの大自然に馴染む氷の彫刻。地面から見事に凍りつくやかんを見て、ゆいは構えた杖をおろし、安堵の表情を浮かべた。その一方でタケは熱でひしゃげ、更には氷付けにされたやかんを見て愕然としていた。
鉄を変形させるためには二千度程の火力が必要になると聞く。まさかに地獄の業火。タケは身を持って織葉の魔術音痴を知った。
「ゆ、ゆいちゃんの魔法、凄いわね……」
織葉の鉄をも溶かす温度の炎もさることながら、その炎ごと氷付けにしたゆいの魔法。これには感心せざるを得ない。 ジョゼは氷のアートをこんこんと指でつつきながらそう言った。
「いえ、この力もここの魔力によるものが大きいです。さっきの織葉ちゃんの魔法も、おそらくは……」
ゆいの発言で一同が織葉の方へと顔を向ける。向けた先では後ろ手に頭を掻く織葉の姿が。
「いやぁ。失敗失敗」
可愛く舌を見せる織葉。行動は可愛いがやったことは全然可愛くない。こんな森の中で業火を生み出したのだ。下手をすれば山火事の可能性だってあったかもしれない。
ちなみに織葉は基礎魔法すら苦手であり、普段であれば炎すら灯らず、爆発がセオリー。なのでゆいは織葉が「火をつける」と、言い出したときに一番に身構えたのだ。
「仕方ない……。今回はアイスコーヒーにするか……」
それぞれが感心したり、反省したりしている中、一人しょげながら鞄から鉄製のタンブラーを取り出し、川の水でコーヒーを作り出すタケ。
タケは一人悲しそうだったが、その他の五人は「何でそこまで持ってきてるんだ」と、これから作るアイスコーヒーよりも冷たい目線を送っていた。




