Chapter12-1
聖なる神林
ところ変われば全てが変わる。朝日の差し込む角度も、吹き込む朝の風も。
海から流れ込む潮風が心地よく、応接間のカーテンを翻す。タケはいつもと違う空気を味わいつつ、椅子に腰かけて朝のコーヒーを飲んでいた。
時刻は午前七時。部屋を見渡すと自分以外ではジョゼが起床している。ジョゼは鏡も無しに器用に髪を櫛でとかすと、いつも通り後頭部で括り、軽く首を振った。ジョゼの長い茶髪がふわりと動く。
ジョゼはそのままタケの元へと歩み寄ると、椅子に掛け、先に淹れて貰っていたコーヒーに口を着けた。
起床して淹れて貰ったはいいが髪が乱雑だったので、先に整えていたのだ。
「うーん。やっぱり違う」
「天凪先生のコーヒーとか?」
カップに口をつけて唸るジョゼに、タケがカップから口を外した。
「私はそれほどコーヒー党じゃないから詳しいことは分からないけど、なんかこう、根本的に何かが違ったのよね」
タケの淹れるコーヒーがまずい訳じゃないんだけどね。と最後に着けたし、もう一度カップに口をつけた。
コンコン。
まさにコーヒーを飲み込もうとした瞬間だった。ドアが叩かれたかと思うと、ゆっくりと開き濃紺のローブを着用した人物が入って来たのだ。
「おはよう、起きてるかしら?」
「桃姫先生? おはようございます」
入室の主は天凪桃姫だった。天凪校長は天井に帽子の先引っ掛けないように気を付けながら入ると、部屋をぐるりと見回した。
「おはようございます。起きているのは私とタケだけですけど……」
校長の求めているものを、ジョゼが答えた。
「そっか。申し訳ないんだけど、二人を起こしてもらえないかしら?」
「構いませんが、どうかしたんですか?」
タケはカップを机に置くと、天凪校長にそう投げかけた。
校長はそれに対し、何も発さなかった。ただひとつ、腕を軽く持ち上げて見せただけだった。
――!!
軽く振りあがった天凪校長の片腕。
そこにはあの、台本ノートが握られていた。
◇ ◇ ◇ ◇
辿り着いて一夜、迎えた朝。一夜が経っていた。ゆいを混ぜた久たち六人は、学園の砂浜、あの外広場に集まっていた。
まだ、日光も厳しくない動きやすい時間。その間に旅路の準備を済ませた一行のもとへちょうど、天凪校長がやってきた。朝の潮風にローブを靡かせる姿は、まさに魔法使いといったところだ。
「みんなおはよう。わざわざ朝早くに集まってもらってごめんね」
校長が誰よりも早く口を開き、説明を始めた。
「いえ、大丈夫です。それで、状況は?」
一度全員の顔色を窺った久は、すぐに校長へと向き直る。全員の視線を一挙に受け止める天凪校長は、ゆっくりと口を開いた。
ことの発端は今日の夜明け前。台本ノートにページが一枚増えていたのだ。前夜から久にノートを借りていた校長はそれに気づき、早朝を迎えてから応接室で休む久たちの元へと向かった。
向かった先の応接室では久とハチがまだ就寝していたが、タケがそれを起こし、起き抜けの二人は校長からの説明で、一挙に頭を覚醒させた。
ノートに書かれていた一文。
そこには、『次々夜、魔力を司る月を奪う』という一文が書かれていた。
久たちはノートのど真ん中に現れたその一文に頭を悩ませたが、校長はこの一文から多くのことを読み取り、下唇を噛んで見せた。
魔法使いの村、リリオット。そこの奥地には魔法使いの武神が持っていたとされる究極の杖、“劫火煌月”が眠っているのだという。ノートのその一文は、その杖を奪うとの声明だった。
勿論、容易く奪える場所に保管しているわけではない。だが、ゆいの一件を考えれば、敵はかなりの手練れ。万が一があってからでは遅い。天凪校長は久のチームにリリオットへ向かってほしいと頼んだのだ。
断る理由が無い久たち。状況を把握した四人は素早く動き始め、陽がしっかりと昇るまでに手早く身支度を始めたのだ。
「だから、当然と言えば当然なんだけど、主力になるのはゆいだと思うの」
「でも先生、ゆいの杖は昨日直したばかりだし、体調の方だって……」
それを聞いて織葉が口を挟んでしまう。親友を想っての発言だった。
島の中心、大木のすぐそばに位置するリリオット。魔力の加護をどこよりも多く受けるその村は、何処よりも充満する魔力が濃い。即ち、魔力攻撃を得意とするゆいが必然的に要になる。今回の計画ではゆいは外せない存在だ。
だが、オーディション後、ゆいが一時的に誘拐されてから、まだ三日しか経っていない。その三日でゆいは誘拐され、敵に杖と魔芯を操作されて織葉たちの前に立ちはだかったのだ。
その後ゆいは杖と魔芯共々元に戻ったが、魔力が完全に元に戻っているかどうかと聞かれれば、そうではない。今朝は誰よりも起床が遅く、いまでも少し眠そうな目をしている。
織葉の話によると、ゆいの起床が遅いことや、朝にこんな顔を見せるなど皆無に等しいらしい。
元気な顔をしているが、全快まで程遠い状態。そのゆいに主力が務まるのだろうか。織葉の頭はそれでいっぱいだった。
「織葉ちゃん、私なら平気、大丈夫だよ。それに、私一人で戦うわけじゃないんだし」
織葉の不安そうな顔に、ゆいが明るい笑顔を向けた。
ゆいの状態が全快ではないと分かっていても、その笑顔を見ると、織葉は安心した。
「織葉、大丈夫だ。霧島だけを危険な目には合わせない。そうだろ、タケ?」
「任せろ。友として、チームメンバーとして守り通す」
ゆいの発言にかぶさるように久とタケが織葉を安心させる。
「そうだよね! あたしもしっかりゆいを守らなきゃ!」
頼れる仲間の久とタケに支えられ、織葉も前向きに考え始めた。
自分の出来ることは、今度こそゆいを守りきることなのだと、改めて胸にその想いを刻み込んだ。
「流石は噂のチーム黒慧ね。これなら私の可愛い生徒を安心して任せられるよ。うん」
織葉とのやり取りを見て、うんうんと頷く天凪校長。この仲間たちなら任せられる。長年培った勘がそう告げていた。
「それで先生、あと何かオレたちが知っておいたほうが良いことはありますか?」
「知っておいた方がいいことは幾つかあるのだけれど、それはリリオットの村長から聞くのがいいわ。ティリア・パルテーヌって人なのだけれど、私の古い友人で、長年武神の杖の研究をしているの。私の名前と事情を説明すれば杖のことを教えてくれるし、力になってくれるわ。先にこちらからもティリアに連絡を入れておくわね。
「ティリアさんですね。了解です」
天凪校長の最後の指示を聞き、しっかりと頭へしまい込む。心強い味方の天凪校長の発言は一文たりとも聞き逃せない。
「向こうが何を仕掛けてくるのか、私でもさっぱり予想できない。みんな、くれぐれも気を付けてね」
「あれ? 校長先生は付いて来てくれないんですか?」
校長の言葉を聴き、ハチが口を開いた。ハチは校長は見送りだけではなく、リリオットまで同行してくれるのだと思い込んでいた。
「私も出来ればそうしたいんだけどね。仕事もあるし、街の状況だって良いとは言えないからね」
「まぁそうですよね……。先生がいてくれたら百人力なんですが」
タケが少し残念そうな表情を浮かべる。同行にはタケも少なからず期待をしていた。
しかし、よく考えてみればそれは難しい話だ。天凪桃姫は校長でもあり、偉大な魔法使いだ。
学校での事務は勿論のことながら、今は学園の存在しているセピスが崩壊状態。住人への説明や現地での復興作業に天凪校長の存在は欠かせない筈だ。付いて来れないのも無理はない。
「さぁ、そろそろ行きなさい。無茶はしないようにね」
天凪校長が広場からと時計塔を見上げる。そろそろ日差しが本格的に強くなってくる時間だ。
校長は少しでも日差しが柔らかい時間帯に出発した方が良いと判断したのだ。
「そうだなぁ、そろそろ出発するか!」
「桃姫先生。短い間でしたが、お世話になりました」
久も時計塔へと視線を向け、出発を宣言した。その後タケが皆の代表として校長に深々と頭を下げた。五人もタケの後ろに並んで校長に頭を下げた。
「やだなぁ、照れるよ~」などとおちゃらけて見せる校長。しかし、この人が誰よりもこの旅を案じているのだろう。 校長自身、自分に一番似合わない顔は、シリアスな顔だと分かっていた。
「校長先生、ありがとうございました」
校長への挨拶を終え、久たちが荷物を抱えたりしている間、ゆいが校長の元へと駆け寄り、もう一度しっかりと頭を下げた。
杖を直してくれたことに関して、ゆいは何度頭を下げても足りないと感じていた。
「生徒を助けるのが私の仕事。気にしないで」
「はい、本当にありがとうございました」
「いえいえ。それよりも本当に気をつけて。あと、緋桜さんをよろしくね。バカやりそうなら止めてあげて」
「ふふっ、分かりました。織葉ちゃんは任せてください」
「頼むね」
校長との会話を終え、ゆいは久たちの元へと駆けていく。
ゆいを混ぜたチーム久は、街へと続く学園の煉瓦の道をゆっくりと進んで行く。
校長は広場から六人が見えなくなるまで手を振り続けた。
「私に出来るのはここまで。皆に四武神のご加護がありますように」
祈って手を振るのが、天凪校長に出来る最後のお手伝いだった。




