Chapter11-4
私は教え子と抱き合った後、ゆいと織葉に休むよう指示を出し、寝室を後にした。
下へと続く長い螺旋階段を降りながら、私は考えをまとめていく。かつんこつんと、階段を下りる足音だけが聞こえている。
織葉はかなりの外傷をしたが、差しあたっての心配はない。ゆっくり休めば魔法剣士特有の治癒力によって、数日中に完治するはずだ。外傷だけで済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
(ゆいは……かなり休養が必要かもしれない)
織葉よりも体を休める必要があるのは間違いなくゆいだ。
外傷は殆どないものの、多大な精神的ダメージ。そして、急激な魔芯の魔力量の減衰。杖も元の形に戻したとはいえ、完全に戻ったわけではない。幾つかの魔術が行使できなくなっているだろう。
(引き金を引いたのは……私、か)
ゆいに過去の記憶を見せるように仕向けたのは他でもない私、天凪桃姫だ。
私は、記憶の一部が抜け落ちたままで、ゆいを旅に出させたくなかった。自分に何があり、何に弱いのか。これを知らなければ、この先の旅でゆいの精神は耐えられないだろう。
危険な賭けだ。私はそれを分かっていながら、ゆいの杖を復元する際、ほんの少しだけ、シオンのクリスタル内に闇魔力を残して復元していた。
時間が経てば本来の氷魔力が打ち消すほどの僅かな闇魔力。だが、シオン自体に残っている失った記憶を見せるには十分な量。ゆいに失った過去を見せるために最低限残した闇魔力だった。
階段を下まで降り、壁に突き当たる。
この先は校長のみぞ知る場所、学園の魔力を司る部屋につながる階段がある。
自身で施した隠蔽魔術を解き、さらに下へと続く階段を出現させる。私はその階段を降り、神々しく光を放つクリスタルの部屋へと足を運んだ。
(でも、あの量でも多かった――)
私は部屋の片隅に置かれた揺り椅子にゆっくりと腰掛けた。体重に合わせてゆっくりと傾く椅子。しっかりとした造りの椅子が私を受け止めてくれる。
ゆいに記憶を見せるまでは良かったのだ。
気を失う前、私と交わした約束、「強くなりたい」あれは確かに強いもの。口先ではなく、心で結んだ約束。しかし、その約束は記憶の中で打ち砕かれてしまった。ほんの少し残した、闇魔力によって。
(あの量で、この失態……教師失格ね)
力を抜き、揺り椅子の背もたれにぐっと体重を乗せる。椅子はきしむ音ひとつ立てずに私の体重を受け止めた。
ふうと軽く息を吐き出し、肘置きに乗せていた右腕を持ち上げて、右手をゆっくりと開いた。五本の指が開ききり、手のひらが視界に入る。そこには手相が確認できないほど、酷く焼け爛れ、黒く焦げた私の手があった。
「闇魔力の相性が悪すぎる。過去を見せる、それすら制御できなくなってしまうなんて……」
本当に必要最低限しか残さなかった闇魔力。しかし、その量でもゆいには十分すぎた。
過去を見せるためだけの魔力はゆいの魔芯にいともたやすく進入し、ゆいの精神に直接、負の感情芽生えさせた。更にそこから生まれた闇魔力によって過去を見せる魔術を乗っ取り、傍観者だったはずのゆいの精神を奪い去ってしまった。
ゆいの抜け落ちた過去。それは間違いなく、自分自身が闇魔力に乗っ取られ、聖神堂で戦闘していた時の記憶。
ゆいは確かに杖の中でその記憶を見ようとした。だが、闇魔力はそれを許さなかった。闇の力はゆいと私の約束、強くなりたい。という願いを邪魔したのだ。
ゆいに戻さなければならない重要な記憶を、見せなかったのだ。ゆいは何も悪くない。だが、ゆいは自分自身の覚悟の甘さの所為で見れなかったのだと勘違いしている。これは二重の苦しみだ。
「次は私でも、防げないかもしれない」
私はべランダにゆいを一人で残したが、ゆいの精神が杖の中に入り、意識を失ったのを確認してから、部屋でしっかりと見守っていた。闇魔力を使用したこともあり、心配は当然ながらあった。しかし、ここまでの事態にまで陥るとは考えてもいなかった。
月明かりに照らされてべランダで倒れていたゆいの体がビクンと一度跳ね、その鼓動が段々と回数を増していく。
胸を中心に跳ね上がるゆいの体。大きく跳ね上がったときは数センチ宙に浮き、直後にベランダの床に衝突した。
体の内側から大きな槌で殴られるかのように、胸を中心にして幾度となく跳ね上がっていた。
何度も何度も跳ね上がるゆいの動きは意識を失った者の動きではなかった。それなのにゆいの表情は変わらなかった。依然として、意識を失った時のままだった。
急いでベランダに倒れこむゆいに駆け寄り、その跳ねる体を抑えたが、その力は女学生のものではなかった。とても腕力だけで抑えられなかった。
私は闇の魔力の影響だとすぐに気づき、ゆいの杖、シオンのクリスタルに手を当てた。魔力の流れを読み取り、ゆいが今どうなっているのか確かめようとした。
しかし、杖はそれを拒否した。クリスタルから流れ出る魔力は私の侵入を拒んだ。
その時手に感じたのは明らかな闇魔力。私が残した量よりも遥かに増大していた。
だからといって退けない。大切な教え子を大変な目に合わせたのは他でもない、私。責任は私にある。私は自分の杖を呼び出し、自らの魔力を強め、ゆいの杖に強引に干渉した。
(あれは、ひどいものだった……)
脳裏に映像となって思い出される杖の中での出来事――
闇魔力によって洗脳されていたゆいは、聖神堂で膨大な魔力を溢れさせながら暴れ周り、織葉や久を苦しめていた。敵が施した闇魔力は、全てを破壊しかねないほどの魔力へと成長していたのだ。
私が見られたのもここまで。もともと杖に強引に干渉したため、そう長くはこの場所にはいられない。普段よりも多くの魔力を消費している。私は杖との干渉を切り、この世界へと戻ってきた。
そもそも、私はこれ以上見る必要がなかった。結論は知っているからだ。
ゆいの杖の中で見たあの光景。私が見終えたその直後に、あの部屋は白雷で包まれ、ゆいは静止する。
他の誰でもない、私の攻撃呪文によって。
「止めたのも、私……か」
非常事態だった。立ち入れないはずの聖神堂。そこで起きた生徒同士の争い。闇魔力に体を奪われた教え子。どれを取っても事態は最悪。だから私は事態を収拾するために、雷撃魔法をゆいにぶつけた。
今、思えばそれで正解だった。直撃を受けたゆいはその動きを止め、杖を向けられていた織葉も死ぬことはなかった。 だが、それは結果論だ。教師が生徒に向けて雷撃を放った。これは到底許されることではない。
闇魔力を残したのは私、それによって記憶が取り戻せなかったのも私の所為。その動きを止めるために不意打ちで雷撃を放ったのも私だ。
「戒めるべきは、私の筈なのに……!」
ゆいは約束を破ってしまったと深く悔いていた。自分の決意が足りなかったからだと。自分を強く戒めていた。
全て私の所為なのに。こんな私がどうして、教師なのだろう。どうして上級魔導師なのだろう――
(ゆゆ……私はっ!)
握る拳に力が入る。今日は悔いることが多すぎた。力を加えた指が爛れた掌に食い込んでいく。
しかし、痛みは感じなかった。教え子に攻撃をし、後悔させた。その二つの痛みが、すでに心を独占しているからだ。
私は校長室へと戻り、朝日が昇るまで自分は何をすればいいのかを考えることにした。
校長室の扉を開き、ベランダに置かれた椅子へと向かった。
大きな校長の執務机を横切ろうとしたその時、柔らかな潮風が窓から吹き込み、机の上に置いてあった台本ノートをパラパラと、綺麗な扇形を作って捲っていった。
ほんの数ページしか書かれていないノート。しかし、そのページが一枚増えているように見えた。




