Chapter10-7
いくら私の記憶にアクセスしても、私の声ではなかった。私のいつも発している声と同期が出来なかった。私の声は、こんなに黒くない。
それに私は、鎖に繋がれた記憶――その時聞いた声を忘れてはいなかった。
頭の中でその時の声と今発した声を合わせてみても、何処も似つかない。明らかに、他人の声。聞いたことも、発したことも無い声だ。
初めて声を発した“私”は、タケくんの首元に、杖先の刃を突きつけた。
ギラリと不気味に輝く湾曲した刃は、ぴたりとタケくんの首に密着し、死を感じさせた。今ちょっとでも“私”が手を引けばタケくんが帰らぬ人となる。それだけは絶対に、絶対に阻止しないといけない。
「武器を捨てて」
“私”は首に向けた杖をおろすことなく、そう命令をした。タケくんは何の抵抗もせず、肩に掛けていた弩と腰に装備していた一対のナイフを地面に落とし、ベルトに装備している矢筒をも地面へと置いた。
武器を捨て終えたタケくんと“私”の間には、また静寂が訪れていた。
静止した時間。動きを止められた目の前の男性。来駕タケ。両者は完全に動きを止めているが、周りの時間は刻々と過ぎていく。
砂嵐が止み、砂浜に吹き込んだ柔らかな潮風が、広場に残っている残りの砂を吹き飛ばした。
『タケっ!』
残りの砂が完全に飛び去り、完全な視界を取り戻した海沿いの広場。その広場に男の驚きを隠せない声が轟いた。
私は必死に声の主の方へと視界を向ける。そこには瞬時に槍を構え、こちらに向かってくる久くんの姿があった。
槍を力強く構え、怒りの表情を隠すことなくこちらへ突き進んでくる久くん。その彼もまた、自己犠牲の考えの持ち主なのだと一瞬で理解することができた。
「動くな!」
こちらに駆けてくる久くん目がけて、鋭い怒号が飛ぶ。その言葉は重く、大きく、どこか恐ろしいもので、猛進する久くんの足を止めるほどだ。
信じられないが、“私”の声だ。先程より強く、相手を圧迫するような高圧的な口調。やっぱり“私”は私ではない。そう何度も何度も思い直してしまう。
『それ以上近づいたら、首、落とすよ?』
まるで脅すかのような口調で、言葉を発する“私”。
『ふざけんな! タケから離れろ!』
目の前の久くんが反論する。目の前に刃を突きつけられている親友の光景があったら、誰もが取る行動だ。久くんは槍を持ち直して、構えを取る。
“私”はそんな久くんの構えや槍に恐れるどころか興味すら示さない。私は突きつけられる槍が怖かった。鋭利な刃先がこちらに向いている。それだけで十分な恐怖だった。
「冗談な訳、ないでしょう」
恐怖で涙があふれそうになる。小心者の私にはこれ以上の恐怖が耐えられない。だが、私の気持ちや心境などいざ知らず、“私”はタケくんの首に向けている杖を、ほんの少し手前へと引き始めた。
「だめっ! やめて! そんなことしたらタケくんが!」
『ぐっ……!』
私は叫んだ。心から叫んだ。動かない私の体で、“私”を制止させようとした。でも、それは間に合わなかった。
“私”が引き寄せた腕の距離分、杖先の刃がタケくんの首に食い込んだ。
「やめて……やめてよ。どうして、どうしてこんな時だけ感触が伝わってくるの⁉」
さっきまでの私なら喚き、動かない体へ怒鳴っていただろう。
でも、今回は怒鳴れなかった。怒りや悲しみよりも、「酷さ」が増している。
動かすことはおろか、感覚すら鈍っている四肢。こちらからは何も感じ取ることができないのに、“私”からの感触は確かに届いていた。
雪山での息苦しさや、海面を飛行しているときにぶつかってきた水滴の痛みなど、苦痛となる感覚だけは毎回、リアルなほどに伝わってきていた。
そして、今回も例に漏れることなく、“私”が杖を引き、その杖先の刃がタケくんの首へと沈み込んでいく感覚がダイレクトに伝わってきていた。
みちみちみちっ。
刃が首に沈み込む感覚。皮膚を越え、肉までたどり着いた刃は、たやすく血管を切り裂き、耳を覆いたくなるような音を発した。
(いやぁ……やめて、やめてよ……)
手が震える。手から感じる肉を引き裂く感覚は、今まで感じたこともない。どうせなら死んだ後も感じたくない感覚だった。
タケくんの首からは鮮血が流れ、その血が杖を伝い一滴、また一滴と溢れ出る間隔を速めながら地面に落ちていく。タケくんの服の襟首も赤く染まりつつあった。
「黒慧久……。緋桜織葉を連れて魔法学園まで来い。そこで貴様の親友の取引をしよう」
低い声。人の首に刃を突きつけていることなど気にもかけない黒い“私”。杖を引く手を止めると、目の前で動きが取れない久くんたちにそう述べた。
タケくんに向けられたままの刃。その気になればタケくんの首を一瞬で刎ねてしまえるのだろう。構えこそ崩さないが近づくことのできない久くん。そんな“私”は久くんの返答を待たなかった。
“私”は足元に転移型の魔法陣を呼び出し、ここから転移しようとしていた。普段の私が使ったこともない複雑な魔法陣がどんどん形成されていく。
「では、学園で」
“私”が初めて笑った。それは目の前の久くんすら気づけないような小さな小さな笑み。ほんの数ミリ口元を吊り上げただけのものだった。
しかし、私にはそれが鮮明に感じ取れた。私にからは、それが普通の笑みにしか見えなかった。
光を増す魔法陣。次第に消えていく“私”。数秒も経たないうちに転移魔法が作動し、“私”とタケくんは突然足元にあいた穴に落ちていく感覚に見舞われ、どこか薄暗い場所へ転移した。




