Chapter10-4
体が重い。視界が暗い。世界から音が消えた。
そうだ。私、目を閉じて、耳を塞いでいるんだ。
「あれ……? 光? それに音も?」
私、今も目を閉じているよね? 耳を塞いでいるよね? それなのにどうして音が? 光が?
無理やり何かを見せられ、何かを聞かされているような、そんな感じ。
頭に流れ込む光と音。それがだんだんと鮮明になってくる。無理やりにでも見せるつもりなのかもしれない。
「やめて! 私はもう見たくない!」
私はもう、真実を受け入れたくない。
約束を交わしここまできたが、約束を守るどころか、怯え、破いた。私はとんだ臆病者だ。
「どうせ私は怖がりだから! いつもいつも、誰かに守ってもらってたんだから!」
その瞬間――。私の視界が目も開けられないほどの光を放ちだした。真っ白の世界に引き込まれていく。
「くっ?」
余りの眩しさに目がくらむ。
強く目を閉じるが、抑えきれない。まるで目の内部、瞼の内側が光っているみたい。
「一体、何……!」
抗えない光。無理にでも受け入れさせる気なのだろうか。
眩しくて耐えられない。目が焼けてしまいそう。刺すように照らしつける光が痛い。
(もう……、耐えられない!)
私は、脱力するように目を開き、その光に飲み込まれてしまった。
目を開くと閉じているときより光を弱く感じた。抵抗するからこそ、眩しく、鋭く刺していたのだろうか。
「ここは……、雪山?」
光は映像へと進化しており、両目に雪山を映し出していた。それも、自分が猛スピードで雪山を下っていく映像だった。
一面、白銀の世界。氷点下の世界を、私は猛スピードで駆け降りていた。
見渡す限り何も無く、あるのは寒さを必死に耐える針葉樹のみ。
その木の近くを通り過ぎる際、そのスピードで大きく木を揺らし、葉の上に積もった雪をドサッと落とした。
(一体、これは誰の……?)
この雪山駆け下りる視点は一体誰のものなのか。ゆいは視線を下へと落とし、視点の主が誰なのかを確認した。
そこあるのは、赤いラインの装飾を施した、白地の生地のシャツのような服装――
(学園の、制服…… まさか、この視点って!)
「私……?」
まるで、自分を第三者が見ているようだった。雪山を凄まじいスピードで駆け降り、移動するのは紛れもなく私、霧島ゆい。
自慢の銀髪がなぜか黒く染まり、制服の上から黒いコートを羽織っている。一面純白の世界を駆け巡る黒い疾風。
(これが私だっていうの!?)
手には先ほど男が持っていた杖が握られていた。
こんな醜い形に変貌させられた杖を平然と握っている自分が許せない。
杖を握る右手の力を緩めた。一刻も早く、
この杖から離れたい。
(えっ? あ、あれ?)
離れない。
杖が手から離れない。
どれだけ手から力を抜いても、杖を握る手は緩まらない。少し冷静になって握る手に力を加えたりもしてみたが、杖を握る感覚が強くなった感じはしなかった。
「どうして? どうして動かないの?」
ばたばたと腕を振った。
しかし、どれだけ必死に腕を振り回しても、“私”の腕が動くことは無い。
「止まって! 止まってよ! どこに行くの?」
今度は強引に足に力を入れる。何とか踏ん張ってこの足を止めたい。自分の体が自分の命令を完全に無視して動いている。
そんなことあってはいけない。
(この体も、心も、杖も、全部私の物なのに!)
渾身の力を込めて足を踏ん張り、停止させようとする。
「うあっ! い、痛い!」
ずきん、と、両足のふくらはぎに激痛が走る。
神経を直に刺激されたかのような鋭い痛み。体の内部から来る痛みだ。
「私を拒んでるの? どうして――どうして!」
体から力が抜け、その場にへたり込みそうになる。しかし、それさえも叶わなかった。
雪山を移動する私。その体勢のまま、動けなかった。
まるで自分と同じ形、身動きが完全に取れない大きさの棺に入れられているようだ。
自分の意思はしっかりとあるのに、どうやっても体が動かない。楽な姿勢など取れるわけない。
もう一人の私の動く動作と同じように動いている。動かされているだけだった。
身動き一つ取れない。力を入れようが抜こうが、四肢を含めた全身はピクリとも動かない。
それなのに“私”はどんどん雪山を下っていく。どこに向かっているかなんて、見当もつかない。
「はあっ……はあっ……。 空気が……薄い…………」
スピードのせいか、寒さのせいか。それとも山の高度のせいなのだろうか。肺に全く空気が入って来ない。内胸一面、ざらざらした感覚が走る。
時々空気を感じることがあるが、体内に入ってくるのは氷点下の凍りつくような冷気。深く吸い込めば、
口から肺にかけて凍りついてしまうかもしれない。そんな気温。
一度止まって息を整えたい。このままでは失神してしまう。体を縮めて保温したい。このままでは凍りついてしまう。
でも、私の動きは止まらない。“私”は寒さや空気の薄さを微塵も感じていないのかもしれない。速度を落とすことなく、平然と雪山を移動している。
私のことなど気にかけていない。いや、私の存在に気付いていない。
意識が朦朧とする。酸素が足りない。視界もぼやけ始めた。間違いなく、数秒後、私は気を失う。
忘れた記憶の中だというのに、現実の寒さと酸欠を感じる。動かない筈なのに、手先は寒さで麻痺し、感覚が無かった。
(私、ばかだ……。逃げないって、決めたのに……。 これが……逃げた……罰、か……な…………)
きっとこれは罰なんだ。天凪校長の目の前で約束をした。でも、それを破った。
糸を結ぶのは時間がかかる。でも、ほどくのは一瞬。
自らの糸をほどいた私は、寒く暗い感覚に全身を浸食され、意識を失った。




