Chapter8-9
――織葉ちゃん、うるさいよ。
「織葉ちゃん」と呼んだ。織葉のことをちゃん付けで呼ぶ人はそうたくさんはいない。身近な人となると、それはたった一人だ。
(本当に、ゆいなんだな……。あたしは一体どうすればいいんだ……!)
実のところ織葉は、砂浜での襲撃の時、誰よりも早くゆいの存在に気付いていた。砂浜での数秒間の出来事。織葉がゆいを認識するには、十分すぎる時間だった。
それでも織葉は認めたくなかった。親友が悪事を働くなど、絶対に認めたくなかった。
「織葉ちゃん。織葉ちゃんは別に何もしなくてもいいよ。ただ、こっちに来てくれるだけで、私は嬉しい」
「なっ?」
何の前触れもなく織葉の心を読み、突如としていつも通りの口調で織葉に話しかけてくる。表情も話口調も、学園で見るいつものゆいだった。黒い瞳がにっこりと笑い、漆黒の髪がやさしく揺れる。
色こそ違うが、織葉に笑みを向ける黒いゆいは、確かに霧島ゆいだった。
「行こう、織葉ちゃん」
柱の上の黒いゆいが織葉に向かって手を伸ばした。何の悪意も感じられないその表情と手は、本当に普段のゆいのものだった。
やさしく微笑み、誰にでも優しく手を差し伸べるゆい。
織葉の脳裏には今、学園からの帰宅中、目の前で転んでしまった少年にしゃがみこんで手を伸ばすある日のゆいが映し出されていた。
初対面の少年に優しく伸びるゆいの手。それと同じ手が今、織葉に向けられている。
「ゆい、あたしがその手を取ると思ってるのか? ふざけんな!」
柱の上のゆいは容姿だけだった。中身はゆいではない。ゆいから遠くかけ離れた何かだ。中身が真っ黒なゆいの手など織葉が取るはずない。
織葉は形だけ似ている親友に怒りを露わにした。
あたしを甘く見るなと。
「そう。それじゃあ、交渉は――」
織葉が怒鳴った直後、ゆいの形をした黒い魔導師がゆっくりと口を開いた。声色こそゆいだが、その口調はもう、ゆいではなかった。
「決 裂 だ ね」
黒い魔導師は右腕を横にゆっくりと開き、手に魔力を集中させる。手に集まっていく魔力は次第に形を変え、鋭利な刃がついた杖を手中に構成した。
怪しく煌めく銀色の刃。その湾曲した刃部は間違いなく、砂浜でタケに突きつけられたものだった。
「それじゃあ、いくよ」
黒い魔導師は鎌を持つような手つきで杖を構え、五人を睨み付けた。柱の上にはもう、霧島ゆいの人格はなかった。
「来い! お前はあたしが――」
織葉の手にしっかりとした柄巻きの感覚が走る。体の一部のように一瞬で馴染む刀を握ると、一筋の残光を走らせながら、鞘から刀を引き抜いた。
「あたしが斬る!」
途端、その覚悟に応じたかのように、織葉の腕に走り、貼り付く電撃。
髪を荒立たせ、赤と白の雷を纏う織葉はもう、目の前の人間をゆいとは認めない。そう心に決め、織葉は握る手に力を込めた。
引き抜かれた白く輝く織葉の太刀、氷焔が一筋の光となって輝く。
その名の指す通り、氷と炎の力を持つ太刀は、ゆいの黒い魔力を敵視するかのように光り輝いた。




