Chapter8-7
「ん? なっ!」
すると不思議なことに、足を踏み入れたその瞬間から、今まで感じて異様な魔力を感じなくなった。突然として、全く。
(まずい、転ぶ!)
あまりにもいきなり過ぎた魔力の消失。自分たちを押し返すような魔力の波長。
その魔力の壁が突如として消え、四人は体の支えを失った。体が軽くなってしまったような感覚に苛まれた。
「きゃっ!」
「うわっと!」
四者四様。力ない声を漏らし、聖神堂の入り口でドタドタと束になって転んでしまった。
最初に久が転び、その久に躓くようにして後ろの三人が体勢を崩してしまう。隊列は滅茶苦茶だ。
(まずっ! すぐに立て直さないと――!)
久はまだ全貌を確認しきれていないこの場所で、この状態は非常にまずいと一瞬で悟った。
今の久たちは隙だらけだ。一刻も早く抜け出さねば。しかし、久の上には織葉、ジョゼ、ハチの三人が乗りかかっている。乗りかかってこけたままの三人も今の状況を全く理解できておらず、もたついて上手く立ち上がれない。
(ここは……なんだ……?)
転んだまま、久は顔をあげて堂内を覗き込んだ。その目には、入り口の木材とは全く異なる、岩石と鉱物からなる巨大な空間が映っていた。
鍾乳洞、いう表現が正しいのだろうか。目の前に広がる巨大な空洞。洞内は外の季節を忘れさせるほど冷えており、鳥肌を立たせるほどの冷気が洞窟の奥から吹き込んでくる。
地面はある程度の整地こそされているが、剥き出しの岩石が床にあるに等しい。大きな岩や、上から滴り落ちる水滴が何百年と掛かって固まる結晶、巨大な石英などが柱のように乱立している。
そして、冷気と共に存在する、強力な魔力。その魔力が鉱物や石英を反応させ、淡い光を生み出させていた。
「一体、この場所は――」
「そこにいるのは誰だ!」
無防備に倒れ込んでいることを忘れ、洞内に目を奪されていた久。そこに、大声が浴びせられた。
間違いなく声はこの先から聞こえ、声と同時に、こちらへ向かってくる足音も近づいて来る。
マズい! と思った久だったが、久はその声に聞き覚えがあった。
正直聞き飽きているほどの声だった。しかし、その聞き飽きた声が、今回はうれしく耳に響いた。
「タケ? タケか?」
倒れ込みながら久が必死に叫ぶ。未だ上に乗りかかられており、腹に上手く力がな入らない。
「……久! 黒慧久なのか?」
その精一杯の声にすぐさま反応する、堂内の声の主。こちらへ向かってきている足音は次第に早く、大きくなってきた。
久たちもようやく立ち上がることができ、堂内へと目を凝らした。
「久!」
その堂内の奥、石英のような鉱石の柱の脇からタケが姿を現し、喜びの声を上げ、喜びの顔を久たちへと向けた。
タケの笑顔を見た久も一安心し、ゆっくりと歩を進め、タケへと近づいていく。
「タケ。よかった、無事だったか。――怪我とかないだろうな?」
「あぁ、大丈夫だ。心配かけてすまなかったな」
親友二人はお互いの手を胸の前でがっちりと握ると、顔を見て安堵の表情を互いに浮かべた。
その後タケは久の後ろに並んでいるジョゼとハチ、織葉の三人にも心配をかけてすまないと頭を下げた。
「そんな、タケさん、頭を上げてよ……あたしの不注意で連れて行かれちゃったのに……。本当にごめんなさい」
織葉はタケに頭を下げられ、慌てて自分からも頭を下げた。
何せ、タケは自分の代わりに連れ去られてしまったのだ。今こうして何の怪我もないタケと会えていることが、織葉にとっての最大の喜びと安堵だった。
「そっちこそ頭を上げてくれ。織葉のせいじゃないよ」
「でも、タケさんが私代わりに連れて行かれたのに違いはないよ。本当にごめん」
タケに許しの言葉をもらっても、頭を下げる織葉。織葉は本当にタケが無事でよかったと心から思い直した。
「いや、そうじゃないんだ織葉。あのタイミング、明らかにオレが狙われたんだよ」
タケの目から安堵と再会の喜びの色が消える。
「あのタイミング? 一体何の話を――」
声をかけた久だったが、その久の声は何の前触れもなく堂内に吹き荒れた突風によって掻き消されてしまった。
何もかもを吹き流し、消し去るような突風。その風は、五人目がけてぶつかる様に吹き、そのあと一気に堂内の上空へと吹き上がっていく。
堂内のどこから吹いたのかすら分からない突風。しかし、この異様な突風を五人は知っていた。
「この風っ!」
織葉は室内に吹く筈のない突風に激しく髪を靡かせた。
間違いない。この風圧、威力。この風は砂浜で五人を襲った時と同じ突風だ。
五人の服や髪を大きくなびかせる突風は誰の目にも、黒い疾風に見えた。
不運や恐怖。恐れ、怒り、悲しみなど、様々な要素が折り重なり、それを纏って吹き荒れる黒い疾風は、床すれすれを低空飛行し、堂内の一本の柱の下へとたどり着いた。その動きはまるで、風が意識を持っているかのようだ。
黒い風邪は柱をゆっくりと旋回しながら、上へ上へと昇っていく。
さながら蛇のような動きを取り、巻き付く様にして昇っていくそれは何かは全く分からないが、五人はそれが、自分たちに有害であると全身で感じ取っていた。肌が痺れてしまうほどの強大な魔力が、その風から波となって押し寄せてくる。
「な、なんだ? 一体、何が……?」
突如、重力が変動したかのような急激な重みが久を襲った。
いきなり押し寄せる異様な魔力の波に耐えきれず、膝が折れ、体が言うことを聞かない。体勢を崩してしまう。ほかの四人も久と同様、体から力が抜けてしまい、その場に力なく膝を付けてしまう。
「久、あそこだ! 何かが転移されてくる!」
すぐ後ろで同じように膝を折るタケが柱の頂点を必死に指さし、久に示した。
タケの言う通りだった。いつの間にか風は柱の頂点に達しており、そこで黒い魔法陣を形成していた。黒い風が柱を渦巻き、異様な魔力で何かをここへ呼び出そうとしている。
それは間違いなく、“災厄”だった。
強大な魔力波が堂内を一瞬で駆け廻り、柱の頂点に人物を出現させた。
渦巻いていた黒い風を吹き飛ばし、その人物はゆっくりと、柱の頂点に足を着けた。
それは本当に黒い服を纏った人物だった。
腰の下まで伸びる漆黒のコート。その黒色が移ってしまったかのように、髪色も靴も何もかもが黒色。闇、そのものだ。
ゆっくりと柱の頂点に足を着け、こちらに視線を向ける。
その瞳や視線までもが黒く、見つめられた五人は体の動きが止まる。止められたのではなく、その瞳と眼力に圧倒されていた。この先、久たちがどう動こうとしているのか。それさえも見透かされている様な眼差しが、五人に突き刺さる。
(間違いない、こいつは――)
久の目に映る柱の上の人物。その人物の全体の容姿を見るのは初めてだった。
だが、久はこの人物を知っていた。あの黒い瞳は間違いようが無い、砂浜でタケを襲った人物と同じ目だった。
そして、その眼は――カルドタウンで出会った魔導師の少女、霧島ゆいの瞳だった。
間違いようのない、彼女の瞳だった。




