Chapter7-7
数分後。織葉が完全な落ち着きを取り戻し、五人には再び穏やかな空気が流れているのかと思いきや、そうではなかった。むしろ、テレビの時よりも心中穏やかではなかった。
五人は再び居間の机を囲むように座り、机の中心を見つめていた。その五人の顔は、酷く険しい表情だった。
――台本。
五人が囲む机の上。皆の視線が集まる先には、一冊の何処にでもあるノートに『台本』と、マジックペンで殴り書きされたノートが置かれていた。
この『台本』と書かれたノートは、久家のポストに投函されていた。
先程、家先から何かの気配を久は感じ、家を出たところ、ポストからはみ出るようにしてこれが入っていたらしい。
送り主の名や住所など書かれておらず、封筒にも入っていなかった。ノートそのものだけがポストに投げ込まれた状態だった。
ポストからノートを手に帰ってきて、すぐに一ページ目を開いた五人。
五人は開かれた先、書かれてあった内容を見てから口数が激減。次のページを開くこともできず、今に至っていた。
『――姫はさらわれ、騎士は倒れる。騎士は瀕死の傷を負い、弓の地が滅び行く』
ノートの最初のページにはそう書かれていた。たったこれだけ。だが、五人はすぐにこの意味を理解した。理解せざるを得なかった。
ゆいはさらわれ、織葉は倒れる。織葉は助かるが、セシリスが滅び行く
文章の翻訳が、先程から全員の頭の中を幾度と無く駆け巡る。
誰も、言葉を発しようとしない。発することが出来ない。
ただ、その一文が全員の心を強く締め付けていたのだ。
「…………」
静まり返る久家の居間。皆が険しい表情を浮かべ、誰も動こうとしない。
その時、ふわりとどこからか隙間風が吹きこんだ。部屋の中で柔らかく舞うそれは、色々な物を撫で去って行き、最後に机の上、台本ノートを撫でて消えた。
ぱらりと、1ページ捲られるノート。たった一文しか書かれていない次のページが露わになる。
そこは、白紙だった。
ノートをポストから見つけ出した直後、全員は既にノートの全てのページを確認していた。だが、中身は先頭の1ページ以外、何処にも何も書かれていなかった。
ペンの跡、擦れ一つとして見当たらない、新品同様の文房具。末尾まで空白のページが広がっていた。
またしても微かに部屋内に風が吹きこんだ。黒慧家も地割れの影響か、家壁や窓枠に隙間が生まれたのかもしれない。 織葉はまたしても捲れあがりそうになる次のページを見て、そっと表紙を掴んでノートを畳もうと手を伸ばした。
その刹那。織葉は注視していた閉じ往くページの中に、蠢く物を見た。
「――⁉」
息を呑む織葉の反応を見逃す人はいなかった。四人は机に身を乗り出し、ノートを注視した。
どこにも汚れの無かったノートに浮かぶ、黒い染み。ノートがまるで内出血をしたかのように、紙の裏側、いや、内側からインクを溢れさせてくる。
「な、なんだよこれ……!」
あまりの気持ち悪さと不快感に、織葉は手を引き下げて嫌悪感を露わにした。腕の毛が逆立ったのか、織葉はしきりに両腕を擦った。
五人の視線の先、台本ノートは、中心から何かが滲み出てきている。
紙の内側からインクが押し出されているような滲み方で、その滲みはノートに縦の線を作り、じわじわとその線を文字へと変えていった。それはまるで、滲みが意思を持っているように紙の上で動き回り、細胞分裂のように形を他のものへと形成しているように見えた。
ずるずると気味悪く紙の上、いや、紙の中を動き回るインク。そのインクが幾つもに分かれ、紙の上に一列に並んでいく。
文字を作り出そうとしている。
五人はそれがはっきりと分かった。この、黒いぐちゃっとした点一つ一つがおそらく、文字へと姿を変えるのだろう。と。
位置を決めたインクの滲みは次第に動きを止め、まるで文字当て問題のように単なる滲みを文字へと変えていこうとする。一文字、また一文字と。
だんだんと認識できる形へと、文字へと変わりゆく滲み。それは焦らすようなゆっくりとした動きで、一文をようやく生成した。
『青き海、空、白き街並み。海辺のセピスに別れを告げよ』
新しいページに書き込まれた一文。それは二行にも満たないもので、ノートの中心部を贅沢に使って現れた。
「な! そ、そんな……!」
「次はセピスだって⁉」
浮き出された文字を読み、愕然とする織葉と、驚きの声を上げるタケ。他の三人も、非常に苦い顔をした。
文中の“セピス”。それは、ユーミリアスの海岸部に位置する。白く美しい街の名だった。
青い海と美しい砂浜。そして、白い石材を主に使い作られた家々が並ぶ、美しい景観の海辺街。台本ノートは、ここに別れを告げろと、確かにそう明記されていた。
「なんで……! よりによってセピスなんだよ……!」
織葉は歯を剥き出しにして怒りを爆発させると、台本ノートごと机をぶん殴った。
海辺の街、セピス。そこには、織葉とゆいの通う学園、天凪魔法学園が存在しているのだった。
もう、明確だ。
昨晩、帰宅中の織葉とゆいを襲い、今朝、織葉が一時的に滞在しているセシリスを崩壊させ、次には織葉たちの通う学園のある街を破壊させる。そう告げてきた。
間違えようの無い、敵の狙い、目的。それは、ここに居る一人の女生徒。腕の立つ魔法剣士の学生に他ならない。
「行こう! みんなに知らせないと!」
織葉が声を上げ、全員に出発を促す。このふざけた台本を信じるつもりは無いが、もし、台本どおりだとしたら。もし、台本に書かれたとおりにことが運んでしまうなら、一刻を争う事態だ。
「えぇ。これ以上の破壊行為は許せないわ」
セピスは織葉の学園でもあり、タケが昔、そこの校長から魔術の手ほどきを受けた場所でもある。
そのような非常に自分たちと縁のある場所に、別れを告げろと言っている。おそらく、セシリスの二の舞にする気だ。あの美しい海沿いの白い街を、長く歴史のある大切な学園を崩す気でいる。全員は怒りを感じた。
敵の思い通り、みすみす崩させはしない。この村のような悲しみがもう一度、あってたまるか。
「あぁ。急ぎセピスに発とう。――二十分後に出発する。それまでに各自準備を済ませてくれ。タケ、学園への連絡を頼む」
「分かった。久、電話を借りるぞ」
チームリーダーである、久からの的確な指示。四人は強く頷くと、残り僅かな時間で旅立ちの準備に取り掛かって行った。




