Chapter7-2
数分後、落ち着きを取り戻した織葉。泣いてしまったので目の周りは誰が見ても分かるほど赤くなってしまい、なんとか久が目を覚ますまでに直さねばと必死だった。
どうしたものかと考えていたが、とりあえず目を乾かせば何とかなるのではと思い、ベッドの横に置いてある窓脇の椅子に座り、窓から外を眺めることにした。柔らかな朝日を浴びていればだんだんと乾いていってくれるのではないかと考え付いたのだ。
窓から外を眺めると、そこにはやはり知らない村が広がっていた。
学園のある街とも、生まれ故郷の地とも全く違う世界。大きな建物があるわけでもなく、賑やかな市場があるわけでもない。目に入るのは畑や木。せせらぐ小川や丘の上の広場を散歩する人たちなど、極めて平和なものしか見当たらない。
織葉はそれらの景色を見て、心が穏やかになっていくような気がした。
ここの村人は急ぐことも無く、時間にもとらわれず、常に平和にのんびり暮らしている。そんな風景が織葉の頭一杯に広がる。本当にいい村だ。耳を澄ませば小鳥たちの声が聞こえて――
「ぐがぁぁああ……」
――来なかった。
聞こえてきたのは取りのさえずりとはかけ離れた音。いびき。
椅子から首だけを動かし、隣の部屋で心地よく眠っている黒慧久の方へと視線を向けた
。
見ると久は、上半身までもがソファーから落下してしまっていた。よくそんな体勢で寝続けられるなぁと、織葉は感心してしまう。
(こっちのベッドはもう空いてる訳だし。よいしょっと)
織葉はこのままでは久が酷い寝違え方をしてしまうと思い、眠る久に、ベッドが空いたと伝えに行くことにした。
完全に目が覚めてしまった織葉にとって寝床は無用。久に本来の寝床を返してあげようと考えた。
それに、夜が明けたとはいえ、今はまだ朝早い時刻。ジョゼたちとの待ち合わせ時間にはまだ数時間の余裕がある。織葉はそう考え、椅子から降りた。少し勢いをつけて椅子から降りた瞬間、全身がくらりと揺れた。
(おっととと。)
眩暈か、立ちくらみか。それともいきなりのことで身体が順応しなかったのか。織葉はすぐさま部屋のタンスに片手をつき、滑っていた体を整えた。
しかし、織葉の体勢は未だにぐらついた。
「な、これは一体……⁉」
織葉は強烈な揺れに耐え切れず、その場に倒れ込んだ。
倒れ込んでもなお、まだ揺れが続き、視界がぶれる。あまりの出来事であったが、織葉はこの揺れがあまりにも急で、おかしなものだと気がついた。
(これは、眩暈じゃない……。これは――)
あたしだけが揺れてるんじゃない。これは、全てが揺れている!
「地震だ!」
織葉は自分の倒れ込んだ直ぐ横に置かれていた椅子を見て確信した。揺れているのは自分の視界や体だけではない。全ての物が揺れている。椅子も、ベッドも、タンスも。
織葉はいきなり到来したあまりにも大きな地震にどうすれば良いか一瞬迷ったが、その後、すぐさま近くのテーブルの下に潜り込んだ。
「んああ⁉ な、なんだぁ⁉」
隣の部屋で爆睡していた久も突然の大揺れで目を覚ました。更に、久は寝ていた体勢が悪いだけあって、揺れによって完全にソファーから転がり落ち、床で腰を強打してしていた。
「久くん! 地震、地震!」
織葉は机の下から隣の部屋で状況が完全に把握できていない久に向かって声を張り上げた。
「え? ぇええ⁉」
織葉の言葉で眠気が完全に吹き飛ぶ久。しかし、いきなりのことで次の行動を取ることが出来ない。
久しぶりに感じた大きな地震と言う事象に、驚くのが精一杯だった。
「久くん! 早くこっちに!」
織葉はソファーに真横でしどろもどろしている久に大声を張ると、テーブル下から手を伸ばして促した。久の身体はようやくそこで動き、織葉の言葉の意味を理解して、テーブルに向かって走り抜けた。織葉も必死に手を伸ばし、久の手を握ろうとする。
僅か二部屋。揺れ続けるその僅かな距離を必死に走りぬけた久は、こちらへ伸びる小さな手を掴んだ。
その瞬間、織葉は力任せに久を引き寄せ、テーブルの下へ久を一気に引きこんだ。
直後、テーブルから一つの写真立てが落下し、床に勢いよくぶつかった。幸い破損はせず、久は落ちた写真立てをすぐさま回収した。もう一歩遅ければ久の頭の上に降りかかっていたことだろう。久は織葉の瞬時の判断力と、自分を引き寄せた腕力で今回は助かったと感じた。
「にしても凄い揺れだ。ここまでの規模は初めてかもしれん……」
「あたしも。ここまで大きいの初めて。……いつになったら収まるのかな」
揺れはまだ続き、部屋のそこかしこでは物が落ちていく。頭上では他の写真立てや小物がガタガタと揺れ、音を立てている。
「地震と言うより、地殻変動みたいな感じか? まぁ遭遇したことないから分からんのだけど……」
久は今の揺れを感じると、今までの地震の記憶と照らし合わせた。どうにも、地面が揺れている。と言うより、地面が移動しているような感覚を強く覚える。
地層が滑っている。という表現が一番しっくりくるだろうか。
久はこの土地に住んで結構になるが、いまだかつて地殻変動には見舞われたことが無かった。地震ですらあまり遭遇したことがない。
「何にせよ、最悪な目覚めだよ」
揺れで強制的に叩き起こされた久がぼやきながら、右手で首の付け根をさする。どうやら本当に寝違えてしまっているらしい。あの寝相なら仕方ない。
その時、揺れがすっと収まった。室内はこれまでに無いほどの静寂を迎える。久と織葉が感じる揺れは無くなり、家具の動きも収まっている。二人は一度顔を見合わせると、恐る恐る机の下から這い出た。
「織葉、立てるか?」
机の下から先に出た久。這い出て立ち上がろうとする織葉に手を伸ばした。
「あ、ありがと」
織葉は差し伸べられた久の手に掴まり、机の下から出、久の横に立つ。
「こりゃあひどいな……」
久は織葉を机の下から引っ張り出すと、部屋全体をぐるりと見回す。幸いタンス等といった大きな家具は倒れずに住んだが、椅子やテーブルといった小さな家具や、壁にかけてあった時計や写真などは落下してしまっている。
タケは、こちらに向かっている盗賊二人は大丈夫だろうか。
惨状を見て、久の脳裏に仲間の顔が浮かぶ。久家も大半の物が倒れている状況だ。中には倒壊している住居があるのではないだろうか。久は自分の家より古い家に住んでいるタケの身を案じた。
「あ、あの、久くん……ちょっと、痛い……」
いきなり久の横で織葉が声を出す。見ると、久は織葉の手を取っていることを忘れ、握る手に力を込めてしまっていた。
久の手の中で小さな織葉の手がきゅぅと締まっている。
「あ、あぁ! すまん!」
久はすぐさま力を抜き、織葉の手を離した。痛めつけるほど握っていたわけではなさそうだが、それでも痛かった筈だ。
久が見た先には、少し顔を赤くする織葉がいた。怒ったような、恥ずかしがっているような、それでいて困っているような表情を浮かべている。
「ご、ごめんね。あたし、手を握られるのとか、ちょっと苦手で……」
こんなときに何言ってんだあたし。と、握られていた手で後頭部を擦ると、織葉は少し照れた顔で笑って見せた。
「それより久くん、外に出てみないと。この家は大丈夫そうだけど、他がどうなってるか分からないし」
織葉は表情を戻すと、真剣な面持ちで話題を変えた。すると久も表情を戻し、強く頷いた。
「そうだな。外に出てみよう。村の様子を確認しないと」
自宅は大丈夫そうだが、他の家や村の状況は把握できていない。久は頭に残る揺れを吹き飛ばし、織葉の方を向き直る。
「うん。タケさんも気になるし」
頷く二人は玄関へと足を進めた。その後ろに織葉が続く。
二人揃って玄関でそれぞれの靴を履くと、玄関の扉を恐る恐る開いた。




