Chapter6-6
ゆいはもう抗うことを止め、事実を受け止めた。赤く染まったその瞳に、未だ笑みを零す雹の顔が映る。ゆいのその目は雹を敵として認識できなくなっていた。
もう、目と、その神経、精神までもが闇に堕ちていた。
――私はもう、何も出来ないんだ。
杖を奪われ、激痛を幾度と無く与えられ、挙句の果てに魔芯を弄繰り回された。
心も闇に堕ち、親友の織葉を憎らしく感じた。その直後、誰かの言葉で我を取り戻したと言え、それも一時的なもの。体力的にも精神的にも本当に限界。次に目が覚めたときには死んでいてもおかしくは無いと思い始める。
もう、ゆいは全てを諦め、赤く染まり行く自分の目を閉じた。
「さようなら、私……」
ゆいは呟き、目を閉じた。
(ごめんね、織葉ちゃん。私、織葉ちゃんとの約束守れなかったよ。だから……もう一度会えたら――――)
ゆいの意識はここでぷっつりと切れた。切れた途端、一気に押し寄せる波のように、自分の心と体が黒く染まるのを実感した。
パァン!
ゆいの両手、両足首を拘束していた鎖がはじけ飛ぶ。鎖がガラスのような音を立てて跡形も無く粉砕した。
ゆいはそのまま床へ落ち、ぴくりともしない。うつ伏せに倒れ込むような体勢で顔は見えないが、おそらく気絶しているのだろう。
冷たい床に全身を打ち付け倒れ込んだゆいに、雹とレイザルが歩を進めた。
「立て、霧島ゆい」
雹は倒れ込むゆいにそう言葉を投げつけた。雹は今日一番の笑みをしている。
雹のすぐ足元に倒れ込むゆいの体が一瞬ピクッと痙攣した次の瞬間、ゆいは体を重そうに動かし、雹の前に立ち上がった。
それを見てさらに強く笑みを露にする雹。最高だ。今日は最高の日だ。
ゆいが雹の前に立ち上がる。そこに今までのゆいの姿は無かった。体つきや破かれた服装は変わっていないものの、表情の変化が著しい。ゆいが自慢にしていた星のように輝く銀髪は、漆黒に染まり、所々を怪しく銀色に反射させている。
おだやかな優しい目、水晶のように透き通っていたゆいの瞳。その二つも変化し、少し釣り目気味で、どこを見ているのかわからない。
眸はぼんやりとした光を放ち、今までの優しさが一切感じられず、水晶の用だった瞳はその瑞々しさ、清らかさを失い、怒りを具現化したような荒々しい赤へと染まっていた。
口元からも「喜」や「楽」と言ったものが一切感じ取れない。今、ゆいにあるのは「怒」と「無」だけだった。
「……素晴らしい」
思わず開く雹の口。感情的に滅多にならない雹の口から感嘆の言葉が漏れた。
仕上がりは予想以上で、失敗もなく完成した。今まで試したことのない手法であったため、実のところ、成功の保証どころか命の保証もなかった。
死ねばそれで問題なし。生きていてもそれはそれで問題なし。雹はこれからの計画を頭に思い浮かべてニタニタと笑うと、手に収まっていた黒い杖をゆいに差し出した。
杖を突き出されたゆいは何も言わずそれを受け取り、今まで扱っていた物かのように共鳴する。
杖を手にし、魔力を送り込んだ途端、杖がそれに呼応し、魔力によって引き裂かれたゆいの制服が修復されていく。
「行け、霧島ゆい。ここへ黒慧久を連れて来い」
治りゆく服を見ながら、雹は命令を出す。その口調はあらゆるものを凍らしてしまうように冷たく、鋭い口調だった。
「――はい」
短く答えるゆい。必要最低限しか話すことをしない。しかし、雹の命令には忠実だ。
雹から指令を受けたゆいは軽く雹へ会釈をする。先ほどまでは憎らしくて堪らなかったあの雹へ自ら頭を下げている。
雹はその姿がたまらなかった。所詮、堕ちてしまえば人間などただの人形。ただの飾り。その人形が自分のために自ら動こうとするさまを見るのが、雹の持つ歪んだ趣向。最高の楽しみだった。
頭を上げたゆいは、受け取った杖を部屋の石壁に向かって勢い良く突き立てた。小さな魔方陣が壁にできたかと思うと、その瞬間、石の壁はガラガラと轟音を立てて崩れ落ちた。崩落によって生まれた砂場埃は、壁に開いた穴から吹き込んだ吹雪により、一瞬でその姿を天高く消した。
ゆいはその穴から数秒外を見たのち、無表情のまま、何の上着も羽織らず、その穴から黒髪を靡かせながら飛び出した。
雹とレイザルもその穴に近づき、飛び出していったゆいを見送る。しかし、もうそこにゆいはおらず、眼前には激しく吹き荒れる吹雪と一面雪に覆われる景色しか存在していなかった。
雹とレイザルは何処までも続く白い氷原を眺めながら、寒さをもろともせずに笑い出した。




