Chapter1-3
「つまり、だ」
タケは久を何とか落ち着かせ、椅子に座らせていた。タケは二人分のコーヒーを用意しながら、久から聞いた話をまとめ始める。
「映画のオーディションに出たいって訳だな。で、なんでオレなんだ?」
タケは久にホットコーヒーを用意し、自分のコーヒーを持ちながら椅子に腰掛けた。
タケの問いは最もだ。タケは久の様な明るさ爆発、のような性格ではないし、映画への出演願望も無い。観るのは好きでも出演なんて思いもしないような人種だ。
「映画に出るのが子供の頃からの夢だったの、知ってるだろ? またとないチャンスだろうし……。それに、タケなら来てくれるだろ?」
久はタケが出したほかほかと湯気の立つカップを見つめながら答えた。
「と言うかタケ、俺、熱いものは苦手だっていつも……」
久はカップを人差し指で突きながらタケに文句をこぼした。久はねこ舌だ。タケは勿論そのことを知っている。床にぶちまけ、結局自分が片付ける羽目になった本の掃除の仕返しだろうか。
そんな久の文句も華麗にスルーしたタケはコーヒーを一口含みながら、昔のことを思い出していた。
子供の頃から、久とタケは常に一緒にいて、遊んでいた。子供の頃はごっこ遊びで遊んでいたこともよくあった。
その中でも圧倒的に久が好きで、のめり込んでいたのが「はいゆうごっこ」だった。
俳優といってもテレビで見る映画のワンシーンを真似するくらいのことなのだが、久はその時、俳優業に憧れており、誰よりも真剣に「はいゆうごっこ」を楽しみ、演じていた。
今、タケの脳裏には久との過去のその思い出が鮮明に思い出されていた。
(ずっと出たいって言ってたな。子供の頃には俳優になるって言い張ってたし。)
タケは一度目を閉じ、僅かに口元を緩ませる。
「久」
目を開き親友の名を呼んだタケは、静かにカップをテーブルに置いた。
「ん?」
久は渡されたコーヒーをどう対処しようかと迷っていた最中だったが、カップをテーブルに置き、タケの方を見返した。
「オーディション会場はどこなんだ?」
久が自分に視線を向けてくれたのを確認したタケは、短くそう言い、椅子から立ち上がって背後の小さな机で二杯目のコーヒーを作り始めた。コーヒーを作るタケの背中は、なぜか楽しそうだった。
それを聞いた途端、久の顔は、ぱぁっと明るくなり、またしても花が咲いた。口角が緩み、笑顔が表情を支配している。
「いいのか、タケ!」
久は即座に返答し、興奮気味にタケに聞き返した。
「いいのかって、挑戦したいんだろ?」
「お、おう……ものすごく出たい」
久は少々焦り気味に返答した。冷静なタケに当てられ、なんだか興奮している自分が恥ずかしくなってしまう。
「まぁ、お前の突然にも慣れっこだしな」
タケははぁあっと長い息を漏らす。タケのまわりには、どんよりとした、疲れのオーラが目視できるようだった。
「あー。う……スマン……」
さすがの久もタケの纏うオーラを感じたのか、手を頭にまわしながら謝った。
「まぁ、いいさ」
タケは完成した二杯目のコーヒーが入っているカップを持ちながら、くるりと机の方を向き、久にニヤリと笑顔を向けた。久ほどではないが、同じような笑い方だ。
「子供の頃からの夢なんだろ? 付き合うぜ」
そんなタケを見た久の目には涙が浮かんでいた。
「うぅっ……タケ、お前って奴はぁーっ!」
久は思わず立ち上がると、両手を広げながらタケに近づいた。泣きながら笑っている。微妙に怖い。そのままの勢いで久はタケに抱きつくと、両手をタケの後ろに回して力いっぱい抱きしめた。
「だ、抱きつくな! 腰が痛い!」
いきなり腰を押さえつけられ、激痛が走る。しかし、久は力を抑えることなく更にきつく抱き寄せようとする。タケはなんとか逃げ出そうとしたが、さすがは戦士の久、腕力はハンパではない。
これ以上痛めつけられるのは避けたい。だが、腕力では久を振り切れそうにない。タケは腰が更に悲鳴を上げる前に、足で久の足をひょいと払った。
久の足は簡単にすくわれ、久の腕が緩む。ここまではタケの予想通りだったのだが、あろうことか久が、タケの方にバランスを崩した。自分よりも体重のある久はタケへと倒れ込むが、それを支えられる状態ではない。タケは全身で久を受け止めてしまい、そのまま二人は床にドスンと鈍い音を立てて倒れこんだ。
「あ……」
タケはゆっくりと目を開けた。床に倒れ込み体の上には久が乗りかかったままの状態。その、全く身動きの取れないタケの目に、ゆっくりと傾いていくテーブルの姿が映った。そして、その机上にはコーヒーカップ。
タケはもう、その倒れ行くテーブルを見て、この後しなくてはならないであろう、床掃除を覚悟した。
◇ ◇ ◇ ◇
「それで、だ」
タケと久は床にぶちまけたコーヒーを一通り拭き終えた後、再びコーヒーを飲みながら話を始めていた。幸い、落ちたカップは割れずに無事だった。
「オーディションはいつからなんだ?」
タケがそう訊ねると、久は飲んでいたアイスコーヒーを机に置き、話を始めようとする。冷たい飲み物をもらった久は何やらご機嫌だ。
「任せろ、そのあたり抜かりない」
自信満々の久。すっと立ち上がると、上着の右ポケットに手を突っ込み、ごそごそと漁り始めた。漁るたびに小さなごみが落ち、床にぱらぱらと降りかかって行く。
それを見たタケは思わず手で顔を覆う。さっき掃除したところだと言わんばかりだ。
「タケ、これだ」
そんなタケの気持ちも露知らず、久はポケットの奥底から折られてもいない皺だらけの紙を引っ張りだした。
「珍しくしっかりしてるじゃないか。それで、いつからだ?」
メモを取るという、久らしくない行動を見て、タケは今回の久は本気だと感じた。タケはコーヒーを一口含み、久の話を聞く姿勢を取る。
「ええとだな、オーディションは明日からだ」
「っ⁉ ぶふっ!」
タケは思わず吹いた。吹き出した。口に含んでいたコーヒーを吹き出した。予告なしのいきなりのボケに反応しきれなかったのだ。
そして、タケの正面には久。タケの吹き出したコーヒーは久の顔面に見事ヒットし、久は先ほどの床のように、熱々のコーヒーを顔面で受け止めて見せた。
「ははっ……オレとしたことが吹き出しちまった……。久のことだからこうなることも予想出来たと言うのに……」
タケは片手で顔半分を覆い、頭を左右にやれやれと振った。自分の吹き出したコーヒーが久の顔面にかかったことについては何も感じていないようであったし、顔面がコーヒーでボタボタの久も、何も言い出せないようだった。