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クランクイン!  作者: 雉
雨の診療所
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Chapter5-7

 織葉の全身に何かが凄い速度で駆け巡り、意識を一瞬ではっきりとさせた。脳内の混乱も解け、恐怖で震えていた口もしっかりと動くようになった。

 しかし、同時に織葉は、ゆいが誘拐されたときの状況をもより鮮明に思い出してしまい、目からは更に涙が溢れた。 


「何だって⁉」


 久は織葉からの発言にある程度の覚悟は持っていたが、それがまさか、ゆいのことだとは考えてすらいなかった。

 その一方で、タケは頭をわしゃわしゃと毟った。

 タケはこのような結果が返ってくるという可能性があるとも考えていた。しかし、その見解は極めて低いものだと願っていた。


 だが、現実は冷酷だった。実際に告げられると焦りを隠せない。おそらく、タケは仲間内では誰よりもゆいと会話した時間が長い。あのおっとりとした性格の魔導師のことを思い返すと、おそらくは抵抗も皆無に等しく誘拐されたのだろう。見てもいないのにその光景が脳裏に浮かび上がってくる。


「そんな……」


 織葉の手を握っていたジョゼが、がっくりと肩を落した。


「それで、あたしはゆいを守ろうとして戦ったんだけど……駄目、だった……」


 織葉は俯き気味に、涙を流しながら答える。

 その時のことを思い出すと涙が止まらない。全てを思い出すや否や、最後に気絶させられた時のゆいの表情が頭の中心部を独占し、離れない。


「やっぱり複数人の襲撃だったのか……」


 『背後からやられた』と言う織葉の発言を聞いて、久がそう言葉を漏らす。タケたちの見解通り、織葉たちはやはり多勢に無勢な襲撃を受けていた。


「それで、霧島は……」


 タケはベッドの横にいるジョゼの横に並び、織葉にゆっくりと訊ねた。今はそっとして置いた方がいいのかもしれないと考えたが、もしも本当に誘拐となると悠長な場合ではない。タケはその時の状況を少しでも織葉から聞き出すのが大事だと考えた。


「わからない。 男に連れて行かれて……」


 織葉はタケの質問に袖で目尻を擦りながら答える。涙はある程度止まったものの、心が痛みは止まない。織葉は、ゆいの居ない悲しさと、自分の非力さを同時に感じ、嘆いていた。


「誘拐……にしては派手すぎるな。久、どう思う?」


 織葉からの発言を聞いたタケが自分の後ろに立つ久の方をふり返って訊ねる。久は腕を組み、頭脳を高速回転させ、様々な可能性を出せるだけ出そうとした。

 唸り、悩む久。様々な仮説が久の脳内を駆け巡ったが、どれも今一つ現実味に欠け、皆が納得しそうにない。久は頭に浮かぶ全ての仮説を吹き飛ばし、「何か裏がありそうだな」と答えた。


 久のその一言はおおまかで、いい加減な発言だったが、今のタケにはそれで十分だった。確かに、今の状態では裏で何かが起きているとは断定できない。そんなことは久も分かっている筈だ。しかし、タケは普段中々見せない真剣な久の表情を見て、その可能性は否定できない。十分ありうる。と確信した。

 勿論、久のその発言だけで確信したわけではない。タケは盗賊二人と河川敷を捜索中の時から、これは意図的に仕組まれたものなのではないかと、疑問を抱いていた。


 河川敷に残っていた多数の足跡は勿論のこと、不自然に焼き焦げた植物や土、いくつもの強力な何かが叩きつけられて出来たような地形など、捜査していた三人は不審に思うところをいくつか見つけていたのだ。

 特に、魔法攻撃で出来たと思われる地面の爆破痕は、並の人間では残せないレベルの物だと言うことがはっきりと見て取れた。


 そして何より、それだけの派手な暴れ方をしたと言うのに、誰一人としてそれに気付いていないということが不自然だった。自分たち以外の目撃者がいなかったのだ。夜の河川敷と言え、人通りが全くのゼロと言うのはすこしおかしい。


 そこまで街や村から離れている場所でもない。細く小さな川とその側道でもない。それに、地面にあそこまでのダメージを与えるとなると、爆音も鳴り響く筈だ。それなのに自分たち以外の誰も河川敷に近づかず、異変に気づかないのはあまりにも出来すぎている。


 タケは自分で見つけていたものと、久の発言を重ね合わせることにより、まだ憶測の域から出ていなかった推測に確信が持てた。しかし、その確信は決して持ちたいものでは無かった。


「何にせよ、あたしは、ゆいを助けに行かないと」


 落ち着きを取り戻した織葉が服の袖でもう一度目尻を擦り、水気を完全に吹き取ると、腕に刺さっていた点滴の針を自ら引き抜いた。抜かれた針先からは、行き場を失った薬液が垂れて流れ出た。

 織葉は半身に覆いかぶさっていた布団を退けようとするが、服下の包帯が邪魔で上手く手が動かない。乱雑に布団を退かした織葉は足をベッドから下したが、踵が地に着いた瞬間、その小さな体がふらついた。


「お、おい、無茶するなって」


 動きを見たタケが慌てて止めに入る。織葉の随所にはまだ包帯が巻かれているし、何より胸部の傷が心配だ。

 タケはぎこちない動きで立ち上がろうとする織葉を制止させ、もう一度ベッドに腰を下ろさせた。


「平気だよ。――それに、あたしの怪我はどうでもいいんだ」


 何よりも、何よりも早くゆいを助けてあげないと。

 織葉は包帯の巻かれている胸部を服の上から押さえた。胸に残る痛みと熱っぽさは、受けた傷の残滓だけではない。


「ギルドに、ギルドに行かなくちゃ。そこで、ゆいが居なくなったって、報告しないと……」


 織葉は肩に乗せられたタケの手を振り払おうとし、手首を掴んだ。しかし、タケの手を握る織葉の手には、まるで握力がなかった。


「落ち着くんだ。焦る気持ちも分かる。動きたくなる気持ちも分かる。だが、今は行かせられない。そんな状態で一体何が出来るんだ」


 タケは一層力を込め、織葉をベッドへ沈み込ませた。

 タケは、織葉の気持ちが痛いほど分かった。

 仮にこれが自分に起きたことだとして、久が連れ去られていたら、タケも冷静さを欠き、このような行動をとるのだろう。だからこそタケは、端的に厳しく織葉を制止させた。


「緋桜、タケの言う通りだぜ。今のお前じゃまともに動けないのが目に見えてる。そんな力じゃ刀なんて握れないだろ」


 呆れた口調でハチも織葉を叱る。普通に歩いたりする分には問題ないのかもしれない。

 だが、ベッドの上の挙動やタケの腕を握る手を見る限りでは、捜索や戦闘はまず不可能だ。またしてもやられてしまうのが火を見るより明らかだ。


「あぁ、歯痒いと思うが今は回復に専念して、せめて朝まで待ってくれ。俺たちも捜索、手伝うから」

「……えっ?」


 俯き涙していた織葉が、久の言った最後の一言で顔を上げた。

 真っ赤に腫れた瞼を開き、目の前でややしゃがんだ久を、涙をいっぱい溜めた瞳で見つめた。


 久は優しい笑みを作っていた。それは、織葉が驚きの表情を見せても変わることが無い。

 自分もゆいを探すのを手伝うと断言した久の言葉は、一気に織葉のすさんだ心を、一挙に優しく包み込んだ。

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