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クランクイン!  作者: 雉
雨の診療所
36/208

Chapter5-6

 先陣を切って廊下を走り出した久は、「緋桜織葉」と書かれた部屋のドアを見つけると、スライド式の病室の引き戸を一気に開け放った。


「大丈夫か⁉ 緋桜!」


 ドアを開けると同時に久が声を張り上げ、室内に飛び込んだ。ジョゼも続き、その後にタケと長い廊下で状況を把握したハチが続く。

 ドアを開けた先には医療用ベッドが備え付けられた部屋があり、そのベッドの上で、至るところを包帯で巻かれた織葉が座っていた。怪我や傷口は見えないが、包帯だらけの姿も痛々しい。


「え? 久くん? 大丈夫だけど……、どうしてみんながここに?」


 織葉はいきなり開いたドアから久たちが駆け込んできたことが不思議で仕方なかった。

 それよりも、自分がどうしてこのような状況なのかもいまいち思い出せないし、理解できていなかった。


「オレたちが倒れていた緋桜を見つけて運んだんだ。かなり危ないみたいだったが、無事で何よりだ」


 タケが今までの経緯を手短に織葉に説明する。医師の見解通り、織葉は多量の出血で一時的な軽い記憶障害に陥っていた。それを見据えたタケがそう説明する。


「え……? そうだったんだ。ありがと……」


 織葉は自分の体の至るところに巻かれた包帯を見ながら、うつ向き気味に答える。こんなにぐるぐる巻きにされたことなんて初めてだ。


 何でこんなことになってしまっているのか。織葉は巻かれた包帯を見ながら、その包帯の始まりを手繰り寄せるように、記憶を呼び戻そうとした。

 しかし、包帯の先端は何処かに挟まっているのか、引けども引けども手元に近づいてこようとしない。じわじわと織葉の脳に記憶が戻ってきそうになるが、どれも分厚い擦りガラス越しに見ている映像のようで、何が映っているのかさっぱり分からない。 


「それで、緋桜」

「うん?」

「一体何があったんだ?」


 久が一歩織葉に歩み寄り、一番の疑問をぶつけた。久の後ろに立つ三人も真剣な眼差しだ。

 織葉は四人の真剣な表情に少し押され気味だが、未だに記憶を手繰り寄せ切れていない。もう少しで重要な部分が思い出せそうなのに。と織葉は少し悔しさを感じる。


「ええと、よく思い出せない……。あたし確か……」


 もう少しで辿り着く。織葉はそこまで来ていた。絶対に思い出さなくてはいけない、と。

 しかし、現実は甘くなく、どんなに強く願っても中々真相に辿り着けない。手繰り寄せているロープがどこかに絡まり、引き寄せられないような感覚。その感覚は織葉を歯痒い気持ちで一杯させた。 


 織葉の悔しい感情は表情にも表れ、目からは一筋の涙が流れた。


「織葉ちゃん……」


 見かねたジョゼが久の横に並び、力いっぱいに握り拳を作る織葉の手にそっと自分の手を重ねた。暖かいジョゼの手が織葉の強張った手を優しく包む。


「大丈夫、次第に思い出すわよ。誰にやられたとか、一つを考えるんじゃ無くて、幅広く思い出すの。例えば、襲われた理由とか、そういう遠まわしに一つずつゆっくり思い出していけばいいわ」


 ジョゼは織葉にそう告げると、にっこりと笑顔を織葉に向ける。その言葉で織葉の手からも力が次第に抜け、織葉も落ち着き始めた。


 落ち着いた織葉はジョゼの手を握り返し、笑顔を向けた。その表情に安心したジョゼはゆっくりと手を離す。

 それと同時に織葉は気を鎮め、一つではなく、複数の記憶の紐をゆっくりと辿って行く。脳裏には先ほどジョゼ言われた言葉が何度もリピートされる。


(一つにとらわれず、遠まわしに、一つずつ、ゆっくりと……。理由………理由?)


 織葉は異様に「理由」と言う言葉に引っかかりを感じた。

 何か大きな理由があった筈だ。それは何か。それは何か――


 脳裏で誰かが振り向いた。それは、自分のとても大切な人で、最愛の友人。

 星色の髪、水晶の瞳。


 ――そうだ、そうだ――!


 織葉の脳裏にその名が浮かび上がる。どうして忘れていたのだろう。どうして、一番の親友の名を忘れていたのだろう。どうしてこの場に彼女がいないのだろう。どうしてこんなに体が震えるのだろう。どうして? どうして?


 織葉の脳内が気持ち悪いほど渦巻く。動いていないのに目が回っている様な感覚に苛まれ、吐きそうになってしまう。織葉の脳内に様々な物、情報が静止画となって流れ、回転する。

 その静止画が一本のテープのように繋がり、そのテープの先端が、織葉の脳内の最深部に繋がれたその時――。


(――そうだ。ゆいが連れて行かれそうになって、あたしはそれを守って……!)


 織葉の脳裏につい数時間前のことが鮮明に浮かび上がる。白黒で曖昧だった記憶が鮮明になって行き、どんどん着色されていく。


 いきなり現れたローブ男、攻撃、吹き出す血、痛む全身、固着術、結界、爆発、逆転、突き刺さる矢、叫び声、殴られ連れて行かれるゆい、動かなくなる自分の体。

 全ての事柄が単語になり、凄い速度で頭の中を駆け巡る。全身から冷や汗が滝のように流れ出し、包帯を一瞬で湿らせる。


「おい? 大丈夫か?」


 そんな織葉を引き戻したのが久の一言だった。

 久は思い出していた織葉に突如として吹き出た異常な汗に気がつき、織葉に声を掛けた。

 その言葉で我に返る織葉、涙が溢れ、久の顔を見る。必死に告げようとするが、いきなり思い出したことによるショックで頭の整理が追いつかず、口から言葉が出ない。目からは涙が頬を伝って布団へ落ちる。


「緋桜! どうした⁉」


 久は明らかにおかしい織葉に声を投げる。織葉は久からの言葉はしっかり聞こえていたが、いまだ声を出すことが出来ない。ショックが大きすぎるのだ。 


「織葉ちゃん! 落ち着いて、深呼吸!」


 一歩下がっていたジョゼが織葉にもう一度近づき、小刻みに震える織葉の手をしっかり握った。ジョゼは織葉の今の状況や表情をから、最悪のことが起きている可能性が高いと予想しており、織葉から放たれる言葉に対して覚悟を決めていた。


 ジョゼの後ろに並ぶ久とタケも織葉とジョゼの表情からよからぬことが起きていると言うことを察し、織葉に集中する。

 ジョゼに久、タケは、これはあくまでも予想であるということを頭から離さなかった。もしかしたら自分たちの考えが杞憂に終わるかもしれないという、小さな希望にも賭けていた。


「ゅい、ゆいが――」


 織葉は高鳴る鼓動を必死に沈めながら言葉を紡いでいく。病室の全員が織葉の言葉に全神経を集中した。



「ゆいが、さらわれた……!」


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