Chapter5-3
「緋桜っ! おい、どうした! 緋桜! 返事をしろ!」
久は織葉をうつ伏せから仰向けに返し、織葉へ必死に声を掛けた。呼吸と心拍を確認したが、どれも非常に微弱だ。
織葉の姿は、見るに堪えなかった。
まるでボロ布だ。弱っていたにもかかわらず、何度も叩きつけられ、痛めつけられた跡が色濃く残っている。
制服は破れ、引き裂かれ、焦げてしまっている。織葉の特徴的な朱色の長髪も、黒く煤けてしまっており、光沢と元気さが完全に失われている。
肌からもみずみずしさが消失し、今や痛々しい傷が織葉の肌の全てを占拠している。特に胸部、右腕からの出血が酷く、非常に危険な状態だ。
「久! 緋桜か⁉ これは、ひどい……!」
タケが織葉を呼ぶ久の声に気付き、直ぐに走り寄って久の横へ並んだ。織葉の容態を瞬時に理解したタケは、ポケットからハンカチを引き抜き、噛んで細く千切り裂いた。
「タケ、まずい状況だ。呼吸も心拍もかなり弱い。このままだったら……!」
久の説明で多くを理解するタケ。久の腕の中で抱えられる織葉を見ると、その惨状はあまりにもひどい。
全身を真っ赤に染める織葉は、明らかに一方的な攻撃を受けていた。それは、必要以上、いや、殺す勢いの痛めつけ方だ。
瀕死の状態に陥った織葉を見て、大きな怒りがこみ上げる。
「一体誰が、こんなことを……!」
タケは歯を噛み締め、必死に怒りを抑えながら、右腕を裂いたハンカチできつく縛り、止血した。
「ぅ……ぐ……」
「⁉ 緋桜、どうした! しっかりしろ!」
その時、織葉の意識が戻った。目をぼんやりと開き、必死に前を見ようとする織葉。
しかし、焦点が定まらず、眼前の人物が誰だか分からない。
「……………くろ、え……くん?」
織葉が目の前にいる人物を久だと理解するのには、たっぷり五秒ほど時間を要した。織葉はどこか嬉しそうな顔をすると、今にも切れそうな声を紡いだ。
声を発したと同時に口から血が流れ、久の服を一瞬で赤く染めた。
「おい、緋桜!」
久は声を張り上げ、織葉に声を投げつける。大量に出血すると耳が遠くなる。久は出せるだけの大声で織葉に話しかけた。
「…………くろえ……くん………、ぐぷっ……」
織葉は小さく、虚ろな目で何度も久の名を呼んだ。
擦れた唇が、何とかして言葉を紡ぎ出そうとする。だが、そうすればするほど口内の血が逆流して気管へ流れ込み、織葉を窒息させようとした。織葉は生気の無い瞳のまま、何度もむせて吐血した。
見かねた久は織葉の口を優しく手で覆い、首を横へ振って喋ってはいけないと織葉に促した。口を覆う久の手にべっとりち血が付着し、真っ赤に染めた。
「今は喋るな。助けるから待ってろ!」
久は織葉を抱えて立ち上がった。小柄な織葉は久の腕の中にすっぽりと納まった。
「俺は緋桜を病院まで連れて行く。ここからだとセシリスの診療所が一番近いから、そこへ行く!」
久はタケにそう告げ、一気に駆け出した。
「分かった! オレは二人を呼び戻してもう少しここを捜索する! 病院で落ち合おう! 緋桜を頼んだ!」
タケは走り去る久の背中に声を投げた。久は一度振り向き、力強く頷いて見せた後、前を向き直り、走り去った。
その後ろ姿を見たタケも体を翻し、雨の降る河川敷での捜索を開始した。
久は河川敷を走り抜け、土手を一気に駆け上がり、セシリス目指して川沿いの道を必死に走った。
足を前へ出す度に水が跳ね、ズボンを濡らす。靴の中はすぐに水でぐちゃぐちゃになってしまい、その水が久の体温をつま先から抜いていく。
更には降りかかる雨も容赦なく体温を奪い、体内の熱を見る見るうちに下げていく。
同時に、抱えている織葉も冷たくなっていく。
「………も、……だめ……」
織葉はもう痛みを感じ取ることすら出来ず、ただただ重く、ただただ冷たくなっていく感覚だけを感じていた。
それでも血は流れ続け、久の服を上下とも深紅に染めた。
久の腕に、抱える織葉の心拍が伝わってくる。非常に微弱だ。本当に危ない。
「ちくしょう! 死ぬな、緋桜!」
久は必死に織葉を励ましながら、雨が降り続ける道を走り抜けていく。
それほど遠くは無い筈のセシリスの診療所。しかし、久はその道のりを、とても長く、とても遠く感じた。
無慈悲に打ちつけられる雨が、いつもより冷たい。




