Chapter5-2
二人が数歩前に進んだ頃だろうか、不意に反射しているものがキラリと瞬いた。それに二人は思わず足を止めてしまったが、月に雲がかかって、一時的に反射しなくなっただけだったと分かる。
だがそれは、二人にとってあまり嬉しいことではなかった。
「雨が降る――」
久が空を見上げ、呟く。先ほどまで見事な夜空を演出していた雲。その雲がいつの間にか姿を変え、厚い雲へと変化し、空を覆い始めている。この厚さの雲はかなり降る。久は確信した。
雲が月に掛かり、月明かりを遮る。光が完全に遮られてしまうと、場所の特定が難しくなる。厄介だ。
久とタケは再び足を動かし、近づいていく。距離はまだあるようで、加えて足場が悪く、思っている以上に進みが悪い。
昼間ならまだしも、夜の歩き慣れない河川敷は二人の動きを想像以上に阻む。
その間にも雲の進行は進み、月明かりを奪っていく。二人は歩を速めた。
靴や服、ズボンに泥や汚れがたくさん付着してきているが、そんなことには気もかけず、二人はどんどん進む。何としてでも二人は月明かりが消える前に到達したかった。
二人の上着とズボンは土で汚れ、何度か足を取られ転びそうにもなったが、努力の甲斐あってか、ようやく二人は反射していた物の前に到達した。
泥まみれの二人はやっとの思いで辿り着いたその先にあったもの。それは、明らかに場違いであり、意外なものだった。
「刀……だよな?」
二人は地面に突き刺さる刀を発見していた。月明かりによって反射されていた物は、地面に突き刺さる刀の刀身だったらしい。
「なんでまた、こんなところに?」
久は地面から刀を抜いた。柄は川の水で濡れたのか、水気を帯びている。久は僅かに残っている月明かりに刀身を反射して見せた。
「結構綺麗じゃないか」
煌めく刀身を見て、タケが少し驚く。
引き抜かれた刀は新しく、古い物では無い。刃毀れもしておらず、大きな汚れも無い。つい最近捨てられてしまった様な感じだ。
「こいつ、見かけより重いな…」
久は掲げていた刀を下ろした。特に変わったところのない、どこにでもある刀に見えるが、見た目に反してかなり重い。両腕に掛かる刀とは思えないしっかりとしたその重さは、腕力に自身のある戦士の久の腕を下ろさせるほどだ。
久の手の中の刀を見つめるタケ。何処にでも存在する刀と何ら変わりは無いように思える。見かけより重いと言うだけで、あとは普通の刀。厳密には何か違うのかもしれないが、今の月明かりの下では少なくとも、普通の刀に見えた。
特におかしな箇所はない。そう判断したタケは刀に近づけ気味だった顔を戻そうとし、やや前に出していた首を引っ込めようとした。
その時、一瞬だけ雲に切れ目が入り、さっきまでの明るさが戻った。その月明かりが刀の鍔を一瞬照らし、鍔の反射光がタケの目を刺した。
両目にいきなり届く、鋭い光。タケは顔を反射的に動かし光から目を離した。強く瞼を閉じると、瞼の裏が赤み掛かり、目を刺した光が白い影となって現れた。
瞼の裏に浮かぶ、白い残像と月明かりで一瞬見えた鍔飾り。その残像と視界の記憶が脳内で引っ付いた刹那、タケは目を見開いた。
(この鍔の形は……まさか……!)
桜の紋様――
タケの表情が強張った。間違いなくこの刀を何処かで見た。
そうだ。オーディション会場の控室だ。自分が説明したのだ。
ジョゼに説明した刀。と、いうことは――。
最悪なケースが頭の中をよぎる。「久!」と顔を上げ声を荒げるが、その言葉は久の驚愕の声で遮られた。
「タケっ! こ、こいつはぁっ……!!」
「血か⁉ まだ新しいっ!?」
久はタケに向かって刀を握っていた手を広げた。久の手は赤く滲んでいる。手に感じた柄の湿り気は、川の水なんかではなかった。
刀の柄の部分を僅かな月明かりで照らすと、柄紐が赤く染みている。
触れると指先に擦れて残る血液。まだ新しい。乾燥しきっていないところを見るに、少なくとも一時間も経過していないものだ。
タケの頭をよぎった最悪なケースが予想から確定に移された。二人は瞬時に顔を見合わせ、視線で会話をした。
全てをタケの瞳から悟った久は大きく頷くと、後ろへ体を反転し、走り出した。タケも体を回転させて向きを変え、駆け出した。
「緋桜ー! どこだ! 返事しろ!!」
「緋桜ぁあ!」
久とタケは即座に散開し、二手に分かれて織葉を捜し始めた。もしかしたら一刻を争う事態かもしれない。久とタケは緊張感を体全体で感じ、必死に織葉の名を呼び続けながら探し回った。
月は殆んどが雲に隠され、月明かりは消失している。更に悪いことに、雨がポツリポツリと降り始めた。予想通りだった。
二人は降り始めた雨で一層危機感を感じ、必死に走り回る。雨脚は次第に強くなり、雨量を増す。二人の両肩にばちばちと降りかかって、頬へと跳ね返させた。
降り始めた空の涙は数分後には大雨へと変わり、地面と二人を濡らした。穴だらけの地面にはいくつもの水溜りが出来、歩くたびに水が跳ね、二人の服を更に汚した。
「何処だ、緋桜!」
久は草を掻き分け、必死に走って織葉を捜した。
バシャンと、走っていた右足が水溜りにはまり、大きく水を跳ねさせる。跳ねた水が久の顔にまで届き、久は思わず顔を反らした。
久は手で顔にまで跳ねた水を払い除けたが、顔には水ではなく、水より粘り気のある液体が付着した。久は慌てて手を広げる。
「……血!」
久は未だ右足が嵌ったままの水溜りを見た。
その視線の先、足元の水溜りは雨水ではなく、血液だった。久は驚いて右足を後ろへ引くと、足を地に戻した。
足を上げた勢いで血が周りへ跳ねる。久は血まみれになった自分のブーツと血溜りを見た。
(この出血量、危険だ!)
久の顔が青ざめる。成人男性でも、この出血量は致命傷だ。もしこれが織葉のものならば、間違いなく一刻を争う状態だ。早く見つけなければならない。
そう感じた刹那、久は自分の前方から、何か嫌な気配を感じた。
目の前には水辺の植物特有の、背の高い植物が繁茂している。その植物の先、そこから生ぬるいような、気持ち悪い感覚が悶々と漂っており、久を包み込もうとする。
久はしっかり槍を構え直すと、繁茂する植物の奥へ一点に集中し、ゆっくりと足を進めた。しっかりと踏み出した一歩を確かめるように足を出し、壁の様な植物に一歩近づく。
植物が眼前まで迫り、久は手で植物をかきわけた。
「……っ!!」
カーテンのように捲られた植物の先で、久は見つけた。
最初はそれが何か分からなったが、視覚に頼らずとも久はそれが何か理解した。辺りには鉄分の臭いが充満しており、痛いほど久の嗅覚を刺激してくる。
「緋桜っ!!」
植物をかきわけた先、そこには血の池さながらの場所が出来上がっており、その中心に織葉がうつ伏せに横たわっていた。全身を巨大な爪で引っ掻き回されたかのような織葉は、体の各所から血を溢れさせ、鼻を突き刺す臭いをばら撒いている。
目を大きく見開く久は、槍を投げ出し、織葉へ駆け寄った。




