Chapter5-1
雨の診療所
「ま、待ってくれぇ!」
やや呼吸を乱し、久はゼェゼェと肩で息をしながら走る。久の前にはタケ、ハチ、ジョゼの順で並んでいる。
カルドタウンから打ち上げの費用を賭けて走り出した久たち一行。走り出した最初一瞬のみ、久が先頭だったが、その後すぐにジョゼ、ハチ、タケの順番で抜かれ、現在ビリ。
祝杯を挙げる神社まではまだ距離があるが、目的地到着までにこの状況が変わるとは少々考えにくい。自分の前で順位の変動はあっても、自分の順位は変わらないだろうと、薄々感じていた。
つまり、久は足はそこまで速くない。
戦士の久は体力には自信があり、まだまだそれは尽きることはないが、これ以上速度を上げることは出来ない。
弓使いや盗賊といった素早さを重視する職業とは違い、腕力が物を言う戦士業はそこまで俊敏に動く必要があまり無い。 久はそのことについて後悔したことは今までなかったが、今この瞬間、生まれて初めて後悔をした。
更に悪いことに、今日は持ち合わせが少なく、ハチに馬鹿騒ぎされては借金も免れない。次々とラーメンの替え玉を注文していく満面の笑みのハチが久の脳裏をよぎり、同時に財布から羽ばたいていく貨幣の映像が容易に想像できた。
頭を振ってハチの顔を消すと、久は前を見据えた。
一着になる必要は無い。せめて自分の一つ前を走るタケには追い付きたいと、久は強く地面を蹴った。
長く続く木立の道を走っていた四人に、さらっと心地よい風が吹き抜ける。木立の道を抜けた。木立の道の先には大きな川が流れ、その川に沿うように続く、河川敷の道へと繋がっていた。
走る順位に変動は無い。ジョゼが一位を譲らず、その後にハチ、タケ、久と続く。ジョゼとハチの差は大きくないが、ハチとタケの間はかなりある。一位と二位との順位変動はあっても、その下の変動はなさそうだ。今回はビリの奢りなので、タケもわざわざハチまで追いつく必要は無いと考え、自分のペースで軽やかに走っている。
打って変わって必死の久。体力は衰えないが、足の遅さはカバーできない。とりあえずは目の前を走るタケを視野から外さないようにするので精一杯だ。
「なんであんな提案をしてしまったんだ。せめて下位二人持ちにすれば良かった」などと、過去の自分の提案に後悔し、溜息をつく。
走る四人を、純白の満月が月明かりを照らした。本当に今夜は綺麗な月が昇っていた。雲一つ無い見事な空とはいかないが、それでも美しい夜空。星の煌めきと満月の月明かりが、風に揺れる草や川の水面を幻想的に照らしている。
河川敷を必死に走る久も、ついつい夜空ときらきら反射する水面に目が行く。溜息が出そうな程の景色だ。
景色に目移りしていた久だったが、タケとの差が少し開いてしまっていることに気づき、危ない危ないと、視線を前に戻した。
その時、ふと久の視界に、月明かりを受けて反射する“何か”が目に入った。
「ん?」
久の目に差し込む、光を反射しているような輝き。月明かりによって見え隠れする本当に僅かなものだったが、久の目その光を見逃さなかった。
川のすぐ横からその反射が見えたので、最初は植物が反射しているのかと思ったが、どうも違う。
植物が光る輝きでは無く、もっと鋭い光を放つ何かだった。更によく見ると、その光る物の周辺は異様なまでにとても暗い。先ほどまでは植物の反射が目立っていた河川敷だが、そこには植物の反射が見当たらない。水面の反射かとも思ったが、ゆらゆらと揺れる水面の煌めきとはまた違う。
ガラスの反射のような輝きは久の興味をそそり、走る足をとうとう止めてしまった。
「ありゃ、何だ?」
久は少し首を前に出し、目を凝らす。明らかに何かが月明かりで照らされている。それは間違いない
「どうした久? 奢りになるぞ?」
すると、前からタケが走り寄って来た。後ろを振り返ったタケは視界から完全に消えた久を不思議に思い、もと来た道を戻ってきていた。
「タケ、ちょっとあそこ、見てくれ」
久は横目でタケを確認すると、光る方へ指を差し、タケに位置を教えた。
「んん……?」
タケは久の横に並び、指差す方向へ視線を向けた。そこには依然として、月明かりに照らされ、反射している何かがある。眼鏡越しのタケの目にも、それが映った。
「何か、あるな。月明かりが反射してる……のか?」
タケも久と同様、何かが反射していると予想。そして、その光を放つものが植物や水面の光でないことも理解していた。
「なぁタケ、近くまで見に行かないか? どうにも気になる」
久がタケの方を向き、そう提案する。その久の目には、何か不安なものが見えた。
久の感じている、第六感。タケは久の目で多くのことを悟ったが、口には出さず、「オレも気になる」と軽く返し、久の提案に同意した。
タケからの返事を聞いた久は少し笑みを見せ、河川敷までの土手を一気に駆け下りた。タケもそれに続き、土手を滑るように下る。
二人が着地した場所には植物が自生し、風に揺れる葉が僅かに月明かりに照らされている。この葉も同じく月明かりに照らされ反射しているが、向こうに見えたものとまるで違う光り方をしている。葉の反射は丸みを帯びたようで柔らかだが、二人の目に入った光は、もっとエッジが効いたような、きりりとした光り方だ。
二人は一度顔を見合わせると、反射するものへと足を進めた。
ガサガサと植物を掻き分けながら二人は進んでいく。久は意外にも植物が繁茂していることに疑問を少し抱いていたが、植物について考えるのを止め、更に足を進めた。
「おあっと⁉ あだっ!」
その時、久は地面に盛り上がる土に足を取られ、綺麗なまでに顔面から倒れ込んだ。どすんと、軽く地面が揺れる。
「久⁉ どうした!?」
歩いて転ぶような年齢ではない久に驚き、タケは手を伸ばす。手を握って立ち上がる久のその姿は、泥遊びをして汚れてしまった子供のようだ。
「冗談じゃないぜ、全く」
久は服に付着した泥をパンパンと払い除け、自分を躓かせた土に恨みの視線を向けた。久の睨む先には、何処からか飛ばされて来たかの様な土の塊が転がっている。
「――?」
生い茂る草の中に、ポツリと落ちている土の塊。それはまるで、その場に取って置いたかのように、どこか不自然だ。
塊は、つい先ほど剥されたかのように、角の立ったままの型であるし、地面と塊との土質が違うのか、色も異なっている。
明らかに場違いなような気がして、久は塊を凝視する。よく見ると、塊の一部が、黒ずんでいる。それは、土とはまた違う黒さだった。
(――焦げ跡?)
土の塊の黒ずみ。それは、焦げだった。
明らかにおかしい。久はその塊を手に取り、タケへ見せようとした。その瞬間、先にタケが久へ切り出した。
「久、ここの場所はおかしい。地面は穴だらけで、草も生えてない。まるで無作為に耕したみたいだ」
タケの言葉で一瞬、ぞわっと毛が逆立つ。口調こそ変わらないが、タケから発せられた言葉には、不安を感じさせる何かがある。
久は手にしていた土の塊を放り投げ、タケの横へと並んだ。嫌な緊張感が二人を襲う。
「杞憂だったら後で笑えるんだけどな」
この肌に感じる異様な緊張感は、戦場に似ていた。
タケは背中に掛けていた弩を手に持ち、暗闇に包まれている河川敷に目を凝らす。それに続き久も槍を構えると、二人はゆっくりと光るものがあった方向へ、再び足を進め始めた。




