Chapter1-2
古い木造の静かな家に流れる、落ち着いた空気。聞こえてくるのは時計が時を刻む音と、窓の外から聞こえる小鳥のさえずりしかない。そんな落ち着いた空間に、一人の男性がいた。
軽く後頭部で括られたその髪は肩より長く、さらりと流れる金髪。開けられた窓から吹く風に身を任せてふわりと靡いていた。
男は、風と日当たりの良い場所に椅子を構え、のんびり腰かけて読書を楽しんでいた。椅子横に置かれた小さなテーブル上にはコーヒーカップが置かれ、そこからは香ばしい香りが漂っている。
穏やかな午前の時間、愛飲のコーヒーと愛読書を片手に自分の時間を楽しんでいるこの人物こそ、久の言っていた“最初に声を掛ける奴”だ。
椅子に座り、読書を楽しむ男性。名を「来駕タケ」と言う。年齢は久と同じ、十八。
皆からタケと呼ばれるこの男性は、弦使いという職業の、主に弩、ボウガンを扱う弩使いである。
超のつく近眼でありながらも、その実力は確かなもの。ちょこんとした小さなメガネを愛用しており、いつも鼻の上に乗せているのが彼のトレードマークだ。
タケは久のパートナーチームに属しており、同じく生計を立てている。
久とは幼少期からの付き合いがあり、自他共に認める親友同士だ。
これまでに何度か起きたモンスターの襲来や小さな紛争なども、二人でタッグを組んで切り抜けてきた。
近距離の敵を久の槍が防ぎ、遠距離の敵はタケがいち早く撃退する。その完璧で息の合った二人のコンビネーションは、時として噂されるほどのものだ。
久とは違い、物静かな性格のタケ。あまり口には出さないが、「背中を任せられるのは久だけ」と言うほど、久を心から信頼している。
そんな彼は今、自宅の書斎で趣味の読書を楽しんでいる。タケの家には膨大な書物があり、家の壁殆んどが本棚という有様だ。久からは「読書バカ」などと言われているが、彼は全く気にしておらず、むしろ褒め言葉として受け取っている。
そんな本の虫であるタケの静かなひと時を一人の男がぶち壊した。他でもない親友、黒慧久である。
久は、タケの家に到着するとノックも無くずかずかと家に上がりこみ、靴を蹴り飛ばすように脱いだ。いつも通りである。
久は玄関から家の中を覗き、タケを探した。玄関の先には台所と一続きになった居間があるが、そこにタケの姿は無い。
ここに居なければ書斎にしかいない。久は慣れた足取りで台所を通り過ぎていく。
勝手知ったるタケの家。廊下を進むその足取りは軽く、フンフンと鼻歌まで漏らしている。そんなご機嫌の久は程なくして書斎の扉へと辿りつくと、ドアノブに手を掛け、一気にドアをぶち開けた。
「おーっす、タケ。読書ばっかじゃなくて映画にだな!」
久はドアを開け放つと右手を大きく上げ、声を大にして部屋へと入った。勢いよく開かれたドアは書斎を揺らし、床に積まれた本の塔がいくつかを崩壊させた。
久は書斎の椅子に座り、こちらに背を向けた状態で読書中の親友を確認した。タケは慣れているのか、久の大声にも動じず読書を続けている。
「やっぱり読書かよ、ちょっと俺にいい話が――」
と、久は後ろ手で乱雑に書斎のドアを閉めた。バタン、と勢いよくドアが閉まり、入り口横の小さな本棚から何冊もの本が落ちた。
その瞬間、久は急に我に戻ったかのように、口を開いて黙り込んだ。
しまった、といった感じの表情をした刹那。
「……あ」
久はその言葉を最後に、突如上から降り注いだ大量の本に押しつぶされ、姿を消した。
久が勢いよく開け放った扉の衝撃で、扉のやや上に設置されていた本棚の書物が揺らぎ、閉めた勢いで止めを刺して崩落を招いたらしい。
「全く、お前はいつになったらノックを覚えるんだ。本は散らかすし」
あまりの騒がしさにタケは本をようやく閉じると、頭を掻いて立ち上がり、本に埋もれ、その山から足だけをだらしなく出したままの久に、やれやれと声を掛けながら近づいた。
「いやぁ」
久は山の中でばたばたと腕を動かし、ようやく本の山から上半身を起き上がらせた。辞書や百科事典などの大型本までも体に圧し掛かっていたと言うのに、無駄にさわやかスマイルである。
「ノックなぁ、ついつい忘れちゃうんだよな。面倒くさいし」
「なんでもいいから久、元通りにしておいてくれよ」
目の前で笑う久に目もくれず、やや呆れ顔で久に掃除を頼むタケ。はぁと、ため息を一つついた後、もう一度本の世界へ戻ろうとした。
「待てタケ! 今は掃除どころじゃない。今日はちゃんとした用事があって来たんだ」
掃除なんかどうでもいい。久は既に背を向けられているタケの肩へ手を伸ばし、そう大きな声で宣言する。タケは動きを止め、ゆっくりと体ごと久へと向き直った。
「ほう、そうか。あれだな、数か月前に貸した魔術書を返しに来たんだな」
タケは久の要件を言う前に、さらりと久の痛いところを突いた。久は借本の延滞常習犯でもある。やや大雑把な性格の久に本を貸すと、中々手元に戻ってこない。
「それとも――」
と、更にタケが話を切り出そうとした瞬間、軽く肩に手を乗せていただけだった久が、大きな力を加えた。引き寄せるようにタケの肩を掴み、自らの顔をタケの顔の目の前すれすれまで近づけた。
鼻息まで感じ取れそうなその距離、あまりの出来事にタケの顔は驚愕で埋め尽くされ、一方で久はキラキラと輝いている。
久はその顔を維持したまま、タケに述べた。
「出ないか?」
率直すぎる一言。親指を立てながら満面の笑みを作る久は超笑顔で、目も輝いている。顔の周りに花が咲いてもおかしくないような明るさだ。
「な、何にだ⁉ 主語はどうした! 主語は⁉」
と言うより、顔が近い! と、眼前の親友に思わず声を荒げるタケ。それもその筈、顔の距離は目と鼻の先。おまけに発言は意味不明。あまりにも訳が分からない
タケはとりあえず顔の距離を離した。久から詳しく話を聞き出そうとしたが、輝きっぱなしの久は襟首から手を離そうとはせずニコニコと笑い続け、タケの反応を待っている。
タケは溜息を一つつくと、最近増えつつある若白髪のことを気にかけた。