Chapter4-6
その大きな叫び声で、ゆいの意識ははっと覚醒する。一瞬で頭に新鮮な血が上り、全神経を瞬時に再起動させる。頭と四肢の糸も瞬時に繋がり、腕が、足が、今まで通りに動く。
いつの間にか、ゆいは地面に放り出されていた。もう首は掴まれてはおらず、地面に横たわるような体勢だった。
ゆいは体を起こし、状況を確認しようとする。つい先ほどまで首をがっちりと掴まれていたので、咳が止まらない。酸欠 状態が眩暈を招き、視界の焦点も上手く合わない。
揺れる視界。未だ色のはっきりしない、定まらない焦点。そのゆいの目が、綺麗な朱色の何かを捉えた。ゆいはそこへ必死に焦点を合わせる。
ゆいが横たわるすぐ眼前、そこには金色がかった朱の髪の毛を靡かせる誰が立っていた。
(そんな、まさか――)
目覚めたかのように、ゆいの視界が瞬時にクリアになる。ゆいは自分の目の前に仁王立ちで構える人を凝視し、叫んだ。
「織葉ちゃん!」
ゆいはしゃがれた声でその名を呼んだ。そう、ゆいの前に仁王立ちするのは、体の至るところを負傷し、血を流しながら刀を構える緋桜織葉だった。
力強く仁王立ちで構える織葉だが、その姿は酷い。制服の至るところが破れ、焦げ、血が付着している。織葉の自慢の綺麗な朱色の髪も、焦げてしまって所々が茶色く汚れている。
顔や腕、足などには数え切れないほどの生傷と、黒く焦げた火傷があり、痛々しく皮膚を裂傷させて流血している。特に右腕の傷が深いらしく、すぐにでも手当てをしないと危ない状況だった。
「織葉ちゃん! もういいよ! ここから逃げよう!」
ゆいも喉が回復してきたのか、段々と声が出るようにはなってきていた。少しでも大きな声を発そうとする。
「嫌だよ」
しかし、ゆいの精一杯の声は小さく、短い発言で止められてしまった。
ゆいの位置からは織葉の背中しか見えないので、織葉の表情は分からない。
だが、織葉が何を見ているのかはすぐに分かった。
「あたしは逃げない。あたしはこいつを許さない。あたしはどうでもいいけど、ゆいをこんな酷い目に遭わせるなんて……。絶対に許さない!」
眼前の十メートルほど前に立つ、ローブの男。自分の攻撃しやすい距離を存分に取り、余裕すら感じるその佇まいに、織葉は刀を強く握り締め、男に向かって踏み込んだ。その瞬間、腕に力が入ったのか、傷口から多量の血が吹き出た。
逆流し、溢れる血液、しかし、織葉は構わず突っ込んだ。
固着術も効力が切れており、全力には程遠い。それでも、今出せる全ての力を振り絞って男へ向かって大きく足を踏み込む。
(……無駄なことを)
織葉が格段に弱体化しているとは言えど、簡単に接近を許すわけにはいかない。
男は全力で突っ込んで来る織葉に向かって杖を向け、魔弾を放った。放たれた魔弾は非常に小さく、空間を全て食い尽くす、虫の大群のように織葉に襲い掛かった。
大量に連射された魔弾。その数は、十発や二十発ではない。織葉を倒すためではなく、接近させないようにするための攻撃だった。雨のように撃ち出される大量の魔弾が織葉めがけて飛んでいく。
(思った通り、大量の魔弾!)
織葉は、この行動を読んでいた。自身目がけて大量の魔弾が飛んでくるだろうと、相手の行動を予測していた。
直ぐに避けることは出来る。だが、織葉はそれをしなかった。
すぐに避ければ、それを追うかのように弾道も変えられてしまう。最後の最後、間弾との距離を紙一重まで接近させ、対応しきれないまさかの瞬間を狙い、攻撃を仕掛けるつもりでいた。
そのため、まるで防御をせず、突っ込んで来るような演技と踏み込み速度を維持していたのだ。
織葉へと一直線に空を斬る無数の魔弾。そして、その魔弾の雨の中に突撃していく織葉。両者の距離は一瞬で数メートルまで狭まる。
「ここだぁっ!」
織葉の眼前、ほんの一メートル。
その距離まで魔弾との距離が詰まった刹那、織葉は走るその足のつま先を上に向け、かかとの部分で急制動を掛けた。 立ったままスライディングをするような体勢で一気に減速する織葉。膝を曲げ、慣性力に負けないように絶妙のバランスを保つ。
迫りくる大量の魔弾。この数を喰らえば、ただでは済まない。おそらく、体に無数の穴が貫通するだろう。
地面には織葉のかかとが引っ掻いて作った跡が残り、地面に溝を掘りあげて、織葉の動きが完全に止めた。その瞬間、魔弾はもう眼前まで迫っていた。
(今だあっ!)
目と鼻の先。その言葉が何よりも相応しかった。
距離にすればほんの数十センチ。完全に制動した織葉は、クッションの役割を担っていた膝を一気に伸ばし切り、出せる限りの力を脚力に変え、その場で思いっきり飛び上がった。
織葉の小さな体が、全力を込めた二脚が上空へと跳ね上げた。バネのように飛び上がった織葉の足の真下、靴を僅かにかすめ、魔弾が空振りに終わる。
「うぉりゃああああああ!」
織葉はその跳躍力で、地上から数メートル程の高さまで、自らの体を持ち上げた。
右足を曲げ、左足は大きく伸ばす。織葉は瞬時に空中から男の位置を確認すると、空中で刀を構え直し、引力に身を任せて落下した。空中で構え直された反りのある太刀の刀身に月明かりが反射し、三日月のような神秘的な光を放つ。
(このまま落下しながら斬りかかるつもりか)
さすがの男も、織葉の力に、重力を加えた威力には反応を示す。
男は大きく、頑丈で複雑な防御結界を一瞬で自分の頭上に展開させた。巨大な傘をさしているかのように、男の頭上に正円の魔法陣が広がる。
(は、速すぎる……! ありえない!)
ゆいは男の結界の展開速度を見て唖然とした。
あれだけ複雑で強固な防御結界は見たことが無かった。それに、あれを行使するにしても、あのような短時間で展開するなど、見たことも聞いたことも無い。
(やっぱり結界を張った! 思った通りっ!)
だが、空中を舞う織葉は、男が必ず結界を張ると確信していた。更にそれが、強固な結界であろうことも確信していた。
(だったら、だったらあたしは――!)
織葉は男が結界を展開し終えたのを確認すると、刀を握る左手を離し、刀の鞘をくくり付けてあるベルトに手を伸ばした。
織葉は手探りでベルトに仕組まれた二本の試験管を瞬時にするりと抜き出すと、それを二本同時に握りつぶした。
「その結界ごと、ぶち破ってやる!!」
薄いガラスで出来た試験管は、織葉の握力でいとも簡単に弾けた。織葉の手からはガラスの細かな破片と、試験管の中に入っていたであろう、赤と白の液体が飛び散った。ガラス破片は引力の法則に従い落下するが、二色の液体はその法則に逆らい、織葉に吸い寄せられるかのように、腕を伝って行った。
腕から伝った液体は織葉の体を覆うように流れ込み、その液体が頭のてっぺんから、足の先まで伝わりきった瞬間、織葉の体がもう一度、二色の光を放ち出した。その輝きは、先程と同じ――
「固着術⁉ まさか、織葉ちゃん――!」




