Chapter4-4
「お、おりは……ちゃん……?」
地面にぺたんと尻餅をついてしまっている状態のままで、ゆいは目の前に立っている織葉に問いかけた。ゆいは織葉の今の状態が理解できず、目の前に立っているのが織葉だと、確信を持てずにいた。
それが聞こえた織葉は、振りかってゆいを一瞬だけ見た。
笑顔を向け、「あたしは大丈夫」と言わんばかりの表情を見せると、直ぐにローブ男を睨み返した。
ゆいは一瞬こちらに向けてきた織葉を見て、大きな驚きを感じた。
確かに、眼前に立っているのは正真正銘の緋桜織葉だ。しかし、外見こそ大きく変わらないものの、いつも見ている織葉とは、似ても似つかない織葉が目の前に立っている。
その違いは、魔法に関して皆無の織葉から感じられる、あり得ない程の魔力量だ。漏れた魔力から生まれる先行放電と、逆立つ髪の毛。
そして、何と言ってもこちらを見てきた時の目つきの変わりように驚きを隠せなかった。普段から釣り目の織葉だが、今の状態の釣り目は何かが違う。明らかにいつもより鋭さ、そして、怒りが増している。
ゆいはその眼が自分に対して向けられているものでは無いと直ぐに悟ったが、見たことも無い容姿と目つきに、少し圧倒された。
その容姿からは、違うと分かっていても、殺気に似た何かを感じてしまう。
「固着術……。お前が使えるとは驚きだ」
ローブの男は構えを崩さず、織葉に言葉を投げる。その声は褒めているようにも聞こえるが、下に見られているようにも聞いて取れた。
「そりゃどうも」
織葉は目の前の地面に突き刺さったままの刀に手を伸ばし、刀を地面から抜き取った。織葉が握った刀にも瞬時に魔力が流れ込み、刀全体に魔力のオーラと稲妻を纏わせた。
織葉は片手で刀を握ったまま、ゆっくりと構えを取った。
その瞬間、織葉から衝撃波のようなものが発生し、辺りに突風を巻き起こした。
「つっ⁉」
熱いような冷たい様な異質な突風。ゆいはとっさに腕で顔を覆った。
突風は長く続かない。風がやんだのを確認したゆいは恐る恐る腕を退け、目を開けた。
「なっ、これは!」
そこには驚くべき光景が広がっていた。織葉から発生した魔力による衝撃波、その衝撃波は単なる風ではなかったのだ。
顔を覆った本の一瞬、その僅かな間に、織葉の右側に生えていた植物はほぼ丸焦げになってしまっているのだ。水気を帯びた河川敷の土も水分を失い、乾いて剥がれてしまっている。織葉の右側は焼け野原のような姿に成り果てていた。
反対に織葉の左側、そこには美しくも残酷に、氷付けにされた植物たちの姿があった。地面が水気を帯びているため、こちらの地面はまるで氷原。神秘的な光景で、一面ダイヤのような輝きを放っているが、ほんの少し風が吹いただけで、近くの植物は跡形も無くパリパリと崩れていく。
「これは、炎と氷の魔法⁉」
ゆいは瞬時に、炎と氷系の魔法が行使されていることに気付いた。
(すごい魔法……でもこれだけの魔力を織葉ちゃんが?)
ゆいは普段の織葉をよく知っている。魔法系は皆無に等しい織葉。基本魔術でさえも安定しない織葉が、ここまで広範囲に、強力な魔法を使うとは考えられない。
(きっとあの戦術に何かあるはず……)
考えつく先は、やはり先程の魔法陣を使った術式。
ゆいは自分の杖から魔導書を呼び出すと、数秒前に何があったのかを思い出しながら、分厚い魔導書のページを必死に捲った。しかし、織葉の叫び声で、捲る手の動きが止まる。
織葉は右手で刀を構えたまま、男に向かって走っていた。
いや、走るという表現は間違いに等しい。それとは比べ物にならない速さだ。
男もゆいも、織葉の速さを追いきれない。織葉が駆け抜けた後には焼け野原と凍らされた植物の大地が出来上がるため、織葉の位置は分かるが、その先頭に織葉の実体はない。その道の先頭に立っている筈の織葉は、ほんの少しの残像を残すのみで、常人の目では追えなかった。
やはり、いつもの織葉とは思えない魔力量だ。目を奪われる展開であるが、ゆいは無理やり魔導書に目を落とし、必死に魔法剣士のことが記されたページを探した。
(あった、魔法剣士の項! あれはええと――“魔力固着戦闘術”?)
そしてようやく、ゆいはこのめまぐるしい展開の最中、目当ての項を探し出した。
『魔力固着戦闘術。この戦法は、剣士や接近戦を得意とする職業の者が習得できる能力。主に固着術と呼ばれる。』
ゆいは魔導書の文面に必死に目を走らせた。読みなれない単語が多く、中々内容が呑み込めず、何度も理解につまずいてしまう。
『術者の手に極限まで圧縮した自己の魔力を送り込み、魔力の塊を形成させ、その圧縮魔力の塊を一気に潰して体内に取り込む戦術のこと』
第一節には少し大きな字体でそう書かれており、その横には術者と武器の図案、そして魔法陣の例図が記されていた。
『術者の魔力を一度取り出し、圧縮。それを急激に取り込み、一気に解放させることで一時的なブースト状態を引き起こし、戦闘能力を上昇させる。固着術発動時には攻撃力、防御力、瞬発力などが数倍に跳ね上がるほか、取り込んだ魔力の属性を装着して戦うことが出来る。』
取り込んだ魔力を装着した戦うことが出来る。おそらく、これが一番の特徴だ。ゆいは書を読み進めてそれを理解した。
書には固着術は自身の体に最高二つまでの魔力を装備し戦うと書かれていた。その装着した魔力により、相手の弱点属性の攻撃。自分に対しての属性耐性の付与などの効果がある。
多くの習得者は互いに対になる魔力を装備し、弱点を補いながら戦うのを主流とするようだ。
現に今回の織葉もその例に漏れず、右に炎、左に氷の相反する魔力を固着して戦っている。
書かれていた事柄で道筋を立てて理解していく。ゆいは現在の織葉の状況を理解し、織葉が最後の賭けに出ているのだと痛感した。
(織葉ちゃん、どうしてそこまで……)
固着術を発動させてから戦況は一転、固着術による脅威の瞬発力と反応速度で、一気に距離を詰める。
残像はもちろんのことながら、時に瞬間移動したかと思うほどの速さを見せる。それと同時に、織葉は凄まじい速さのダッシュやステップを駆使し、男を翻弄する。
男も負けずと、杖から次々と魔弾を放つ。先程より威力を抑え、速射力を重視した戦闘法に切り替えていた。織葉の固着術に勝るとも劣らない速度で撃ち出された魔弾は織葉を反れ、地面に着弾して大きな轟音とともに爆発し、土や草を焼き焦がした。
織葉は次から次へと放たれる魔弾をステップで回避しながらローブの男へ着実に迫っていた。押され気味の男も焦り始めたのか、距離を離しながら攻撃を出していく。
あちらこちらに着弾する魔弾を避けに避ける織葉だったが、その瞬間、体内の魔力がぐらついた感触を覚えた。
水の少なくなった霧吹きが、擦れるように水を噴き出す感覚。
織葉は、自身の固着術の使用限界が近づいていると感じた。
「くそっ、もうかよ! ならここから一気に!」
両者未だに決定打を与えられていない。織葉はなんとかして使用限界までに一撃を与えなければと考え、男の懐に飛び 込もうと、高速で移動しながら男との距離を測った。
「この距離なら、一踏みで!」
驚くべき速度で回避し続けていた織葉が、男の五メートル程前で回避運動を止めた。ぐんと足に勢いに乗ったままの体重が圧し掛かる、
第三者から見れば、いきなりその場所に織葉が瞬間移動してきたようにも見えた。織葉は左足を前に出した状態で足を開き、右手で刀を持った状態で静止した。
(この距離なら――!)
ズガァアアアン!!
その隙を見逃すまいと、男は瞬時に織葉が今立っているその場所に、広域魔法を使用した。
織葉の足元が一瞬光ったかと思うと、直後、一気に爆発し、地面を抉った。
爆発直後に、爆心地から少し離れた箇所に織葉が現れた。爆発よりほんの数秒早く反応した織葉だったが、完全に攻撃を躱すことが出来ず、スカートや制服の袖の端などが焼き焦げ、顔には煤や灰の黒い汚れが付着した。
(ちくしょう! 止まったら当てられる……!)
固着術の使用限界も近いこともあり、回避速度も落ち始めている。決定打どころか斬撃の一つすら与えられていないが、向こうからは少しずつダメージを与えられている。固着術の使用限界が来れば、自分は明らかに不利な立場に戻ってしまう。
(このままじゃ固着が無駄になる……。でも、あいつもそう簡単には近づかせてくれない……)
と、考えていたその時だった。織葉は一瞬の隙を見切られ、足元に黒い魔法陣が形成を許してしまった。
「なっ⁉ しまった!」
不覚だった。織葉の一瞬の思考の迷いは、男にとっては十分なものだった。
あまりにも突然のことだったので、固着術を使用しているとはいえ、反応出来なかった。
足元に形成された魔法陣は黒く光り、魔法陣内に六芒星の模様が現れる。その形成と同時に、織葉の体は麻痺したような感覚に苛まれ、織葉は四肢の動きを封じられてしまった。
「くそ、束縛結界かっ!」
織葉は必死に解こうと力を入れるが、そう簡単に解ける結界ではなかった。
身体が魔力強化されていても、男の束縛結界の方が一枚上手で、織葉の四肢を完全に封じた。
織葉を完全に封じた男は、呪文詠唱に入り始めた。今度は先のような簡単な魔弾ではない。詠唱を必要とする、強力な呪文。
詠唱に合わせ怪しく光る、男の杖。織葉は力で結界を解こうと必死だったが、すぐに異変に気付いた。足元に形成されていた魔法陣が赤色に色を変え、足元で大きくなり始めていたのだ。
今まで展開されていた魔法陣に魔法を付け足しているような状態だ。
「これは!」
危険だ。
男は間違いなく、この魔法陣にあの爆発魔法を付与させようとしている。それも、詠唱するほどの強力なものを。
織葉は一層力を入れたが、結界はビクともせず、体は強い磁気に吸い寄せられるかのように、少し動かせても、すぐ動きを固められる。おそらく、相手を封じることに特化した特殊なタイプの結界なのだろう。
結界に悪戦苦闘している織葉。それを見た男は、手に持っていた杖を、ついに織葉の方へ振りかざした。
その途端、織葉の下に展開されていた魔法陣に、またしても六芒星を模した形が浮かび上がった。
「マズっ――」
やばいと、全身で感じた。しかし、動くことは出来なかった。
魔法陣は今までになくカッと光り輝き、地面が割け、溶岩のようなものが一瞬、目に入ったかと思うと、魔法陣内で大きな魔力爆発が巻き起こった。
地が割れたかのような轟音とともに、魔法陣の中は凄まじく燃え盛る炎と渦巻く煙で、織葉の姿を完全に消した。
燃え盛る炎はとうとう魔法陣を破壊し、辺りに火花をまき散らしながら、黒煙の匂いを漂わせた。




