Chapter32-1
春空のセシリスにて
人の死とは、実感が湧かないものだった。
突如、亡くなったと聞かされても、その事象が、非日常すぎて、頭にすんなりと入って来ない。
この世に生を受けた以上、全てが迎える終焉は同じであると言うのに、それが理解できないというのは、何とも滑稽な話のように思える。
あのオーディションから既に、季節は八つも過ぎていた。
死の瞬間に立ち会わなかった久たち四人は尚の事、ゆいの死亡が未だに信じられない。
悲しみが込み上げることもあるが、突如としてなくなった、「霧島ゆい」という大きな穴があまりにも大きすぎて、埋めることも出来ずにいた。
麗らかな午前の優しい日差し。セシリスには今日も、優しい風が吹いている。
タケは羽ペンを走らせていた書類にペーパーウェイトを置き、羽ペンを筆立てに差すと、事務机の横の窓から吹きこんできた暖かな風に目をやった。
どこまでも透き通る春の空に、桜が舞っている。
家の外の道路には商人や馬車が行き交い、時折、真新しい弦使いの防具を身に纏った、期待に胸を躍らせる冒険者やパートナーチームが地を踏んでいく。
「よいしょっと。あら、新人さんかしらね」
ふと、部屋に現れたジョゼが事務机に木箱を置くと、タケと同じ方向に視線を向けた。
「だろうな。弓の性能も随分とよくなったと聞くよ。あの程度のものが手頃に買えるだなんてなぁ」
タケは首を曲げると、壁に掛けている愛弩、アスロット・シャミルと、祖父の弓、アルテミスを見た。新品の弓を見てからだと、どちらも非常に年季が入っている。
「タケも買い替えればいいじゃない。重いんでしょ?」
ジョゼは木箱に詰めて運んできた幾つかの鉱石を見比べながら言う。
「分かっていることを聞くなよ。それならジョゼも篭手を買い替えたらどうだ」
それもそうね。と、ジョゼが舌を出して笑う。
お互い答えと返しは分かっていた。
二人とも、二年前から装備を変えていなかった。
「おーいジョゼ、ちょっといいか。盗賊の人からの相談でさ」
すると、部屋の後ろの入り口、黄緑の暖簾の隙間から、ハチが首だけをにょきっと出した。
「オッケー。今行くわ」
ジョゼは木箱を適当な場所に置くと、駆け足でハチの元へと駆け寄る。
そこは、かつてタケの家の玄関に当たる部分。
今ではカウンターの様なテーブルが外に向かって取り付けられ、その背後には黒板や小さな棚がいくつか並んでいる。
「ええと、これはですね――」
ジョゼの対応している声を聞き、タケも書類整理へと戻った。
ここは、来駕タケの邸宅。
そして今は、セシリスのギルド支部だ。




