Chapter30-5
その言葉を聞いて初めて、織葉は自分の頭を掴んでいるゆいの手が、氷のように冷たいことに気がついた。
ゆいの手は、いつも柔らかく、温かかった。
だが、今ここにあるゆいの手は、固く、氷の様だった。
(嘘……。嘘だ)
織葉の脳裏に浮かぶ「嘘」の一文字。
だが、そんな自分の反発とは裏腹に、抱きかかえるゆいの感覚が、今まで全く違うことに無理やり気付かせた。
ゆいは、ただただ冷たかった。
そして、軽かった。
これもう、人としての体温でも、重量でもない。
触った瞬間に分かる、生と死というものを、織葉は初めて知った。親友で知った。
「嘘だと言ってくれ! ゆい! なんで、なんで――!」
「ごめんね。私に刺さってた槍は、本物だったみたい。あれに魔力、全部食べられちゃった……」
ゆいの腹部に刺さった複数の黒槍。あれは、幻惑魔法で造られたものではなかった。
闇魔力を練り込み、鋭く織り込んだ闇の槍は、ゆいの腹部を貫いて致命傷としただけでなく、ゆいの闇魔力に弱い魔芯を、一瞬にして食い荒らしていた。
「そんな! そんなのって!」
織葉はゆいを引きはがすと、強引にも襟首を掴んだ。
織葉の腕力にかなうわけもなく、ゆいはそれを甘んじて受けた。
「なんで、なんでゆいが、ゆいだけがこんな目に合わなくちゃいけないんだ!」
織葉は脱力し、うなだれると、力なく襟首から手をほどいた。
「普通に学園に通って、普通に生徒として生活してーー普通に女の子として暮らしてただけじゃないか。そんな、そんなゆいが、なんで死ぬ必要があるんだよ。訳わかんないよ……」
織葉の赤い瞳から、大粒の涙がぼとりぼとりと落ちる。
制服に落ちたそれは、ゆいの流血した血と混ざり、じんわりと広がった。
「まだゆいと、写真も撮ってない。出掛けたいとこも、やりたいこともいっぱいあるのに、もう、もう叶わないのか……?」
号泣し懇願する織葉に、ゆいは沈黙をもって答え、そして小さく言った。
「ごめんね。一緒に学園に帰ろうって約束したのに。私、織葉ちゃんとの約束、破っちゃった」
その刹那、地震のような大きな揺れが、二人を襲った。
床が一気に抜けたかのような、一発ずつ来る大きな揺れが、二人を襲う。
「もう、塔が持たないみたい」
「そ、それって――!」
ゆいがふわりと、織葉の手をすりぬけ宙へと浮いた。
「嫌だ! 嫌だよ! こんな形であたし、ゆいと別れたくない!」
織葉は立ち上がり、ゆいを掴んだ。
だが、手は空を切った。
「織葉ちゃん、よく聞いて」
「嫌だ! 聞いてほしかったら降りてこい!」
織葉は号泣し、激怒した。
紅の髪を振り回し、掴んでいる筈のゆいの腕を何度も掴もうとする。
「ここにいたらみんな危ない。だから、今からみんなを、安全なところまで転移させるから」
気付けば、塔の床は幾つもの場所が崩落し始めており、大きな揺れが織葉を襲っていた。
後ろを振り向くと、少し離れた場所に久たち四人が力なく横たわっている。
織葉と同じく外傷は全て癒えているようだが、四人とも石床に貼りつくように気を失っている。
そこに迫るように、床を走るひびが四人に近づいているのだ。
「そんなことしたら、ゆいとここでお別れじゃないか! 嫌だ! あたしはここに残る! 久くん達だけを転移させろ!」
崩れゆく世界の中、織葉は叫んだ。
だが、ゆいは首を横に振った。
「ここで消えるのは、この世に落とされた雹たちと、私だけ。織葉ちゃんは元気に、今まで通り、自分の道を進んでほしい」
織葉の近くの床が、数メートル四方、一気に落ちた。
下には何処までも、闇が続いているように見えた。
「断る! 転移なんかしたら、もう本当にゆいのこと――」
刹那、ふわりと織葉の体が浮かび上がった。
ゆいの魔力が、織葉を包みこんだのだ。同様に背後の四人も、同じように光に包まれている。
「そんな! そんな! ゆい、嫌だぁああっ!」
「織葉ちゃん、今までこんな私と友達でいてくれて、本当にありがとう」
「お願い、お願いだ! ゆい! それ以上言わないでくれ!!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で、織葉が絶叫した。
ゆいはいつも通り、優しくにっこりと笑うと、織葉に少し、頭を下げて見せた。
「私ずっと。ずっと、自分に勇気がほしかった。一歩を踏み出す勇気がほしかった。それを教えてくれて本当に、本当に――」
ありがとう。
織葉の体を包み込んだ光が、一層輝いた。
目も開けられないような光の最中、織葉は、天へと上がり、晴天の中心、光の門の様な所へと登って行く親友の姿を確かに見た。
凄まじい速度で晴天の空を掛け抜けている。
そこまでも続く青い空、そして、空を飾る雲と、その二つを更に高い所から優しく見守り続ける太陽。
三つの最高神が織りなす神聖な世界の下に、美しい女神が作り上げた、美しい大陸が広がっている。
緑多きその大陸は、全ての人々を受け止め、良いも悪いも全てを抱きしめている。
大陸の中心に聳える大麗樹の祝福は、皆に等しく、常にやさしい。
天を駆ける二つの心。
赤の彗星は皆を元気づけるために大陸へと降り注ぎ、白の彗星は大陸への祝福を強く胸に抱きながら、天高く旅立っていった。




