Chapter28-8
その後、タケはポーチから一本の蝋燭を取りだした。奇跡的に折れずに残っていた、新品の鉛筆ほどの大きさの蝋燭だ。
マッチを擦ってそれを灯すと、過去に使われていたのであろう、石壁に取り付けられていた燭台に立てた。
蝋の受け皿には何年前のものか分からない、埃をたっぷりと吸い込んだ灰色の蝋が溜まっている。
「この蝋燭が消えたら出発しよう。それまでに各自、しっかりと準備を整えてくれ。この蝋燭の寿命は、だいたい二十分ほどだと思う」
時計が使えず時刻の分からない今、何分後に出発という準備方法を取ることが出来ない。
秒数をずっと数える訳にもいかないので、タケは蝋燭が消えた時間、約二十分後を出発の時間と定めた。
「ゆい、すまない、一つ頼まれてくれないか」
「ん? どうしたの?」
杖から素子魔法を解き、魔導書を手にしていたゆいが、タケへと顔を向ける。
「久と織葉にこのことを知らせてきてくれないか。久だけならオレが行くんだが」
あーなるほどと、ゆいは少し笑うと、立ちあがって少し離れた奥の小部屋へと進んでいく。扉の開く軋む音がした後、ゆいの音は消えた。
「二人とも、大丈夫かしら?」
手裏剣の枚数を取りだして確認しながら、ジョゼが不安そうな声を出した。
ジョゼは気を失った久を見たのなんて、もうはるか昔のことだった。
「あんな敵、みたことないもんな。俺たちがここに飛ばされたあと、何があったのかも聞けずじまいだもんな。ーー正直、俺も怖いぜ」
同じく石床に手裏剣を並べながら数えるハチがつぶやく。
最後の一文はきっと、ハチすら無意識に放った言葉であったのであろう。
恐れ知らず、怖いものなしの緑千寺八朔がふと呟いたその言葉を聞くと、一瞬、部屋の気温が下がった気がした。
「あ、ジョゼ、これやるよ」
何も分かっていない当の本人が、ジョゼに一枚の手裏剣を手渡した。
それはクナイの様な形をしており、銀色に輝いている。
「あんたこれ、雷じゃないの。高価なんだから自分で持っていたら?」
ハチがジョゼに手渡したのは、ジョゼがオーディション会場で使用したあの魔力手裏剣、雷の手裏剣だ。
魔力手裏剣は一様にみな高価だ。属性によって価格の変動はあるものの、魔力手裏剣一枚の代金があれば、通常の手裏剣を三十枚は買えてしまう。
最も高価なものであれば、百枚ほど買えるものも存在するくらいだ。
そのような高価なものを、ケチで有名なハチがただでくれるのだと言う。ジョゼは高価云々ではなく、そのハチの意外な行動に驚いていた。
「俺が持ってても上手く扱えないしな。ジョゼにやる。売りに出すってんなら返してもらうぜ」
ハチはカーブやスローなど、トリッキーな投擲を好む。しかし、雷の手裏剣はその形状上、直線速度には秀でるが、変化のある投擲法には向いておらず、ハチの戦闘法とは相性が良くないのだ。
ハチは言葉の最後にいつも通りのお約束を付け足すと、手裏剣を握った手をジョゼに突き出した。
そうまでされると断ることもできず、ジョゼはハチの手から手裏剣を受け取った。
「ありがと。どケチなあんたがくれたものだから、最後の最後に使わせてもらうわ」
「よせよ気持ち悪い。戦闘が始まったらさっさと投げちまえ」
ジョゼの冗談にいつも通り俊敏に対応したハチは、床に並べていた手裏剣を、刃先を欠けさせないように、重ねてポーチへと仕舞い込んだ。
ジョゼもハチからもらった手裏剣を一枚手数に加え、もう一度枚数確認をしたあと、ポーチへと仕舞い込んだ。
二人とも口には出さなかったが、手裏剣の枚数は余裕があるとはとても言えなかった。
手裏剣使いは力でなく、手数で圧倒する戦闘法を取る。
だが、今の枚数でいつも通りの戦い方をすれば、間違いなく途中で手裏剣切れが起きてしまうだろう。
戦い慣れた敵や現生種であれば、節制した戦闘法も取れた筈だが、今回はそうではない。
この大陸で、誰も戦ったことのない、未確認の敵と戦わなければならない。
そのような相手に節制は出来ない。そんなことをしていると、自分の身が危ない。
だが、いつもの調子で戦えば、間違いなく途中で戦力外となる――
盗賊二人は今までに感じたことのない緊張感に見舞われながら、戦わねばならなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
灯した蝋燭が残り半分ほどに差し掛かったころ、ギィと、部屋の端で戸の開く音が鳴った。
既に部屋に戻っていたゆいを含めた四人が音の先を凝視する。壁の奥から、靴が床を擦る音に加え、カツカツと、何やら石床を叩く音が聞こえてくる
「みんなすまない。遅れてしまった」
姿を現したのは愛槍を杖代わりにしながら、ぎこちない歩き方で現れた久だった。その表情は、無理に作った笑顔であると、誰が見てもすぐに分かる。
「久、お前――大丈夫か」
明らかな満身創痍に、タケが駆け寄った。
「大丈夫――と言ったらウソになるかな。今回ばかりは体中ぼろぼろだぜ」
図体ががっしりとした耐久力のある久ではあるが、今回ばかりはそのキャパオーバーらしく、体中のそこかしこが痛んでいる。
体力には自信のあるあの久が槍の補助なしで歩けないほど、体力は摩耗し、未だ回復しきれていないようだ。
「よかった。久くん、治癒魔法かけるね」
タケとハチの肩を借りて適当な石材に腰かけた久に、次いでゆいが近づいた。ゆいは杖を両手で真横に持つと、目を閉じ言葉を小さく放つ。
流暢につぶやかれるゆいの詠唱に合わせ、足元には魔法陣が形成され、ゆいの杖、シオンがやさしく光る。
杖先から光の粒子のようなものが流れ始め、その細かな粒子一つ一つが、目の前の久に降りかかり、体の中へ溶け込んでいく。
目を閉じて動かない久の体は全身が仄かにやさしく青く光り輝き、風のないこの部屋で髪を揺らした。
「よし、これで大丈夫かな」
ゆいが杖を下ろすと、その数秒後、久を纏う光が吸収されるように消えた。
完全に光が消え、全ての魔力が全身に行きわたったのを感じた後、久は大きく伸びた。
「ふあぁ、最高だ。ずいぶんと体が軽くなったよ。ゆい、ありがとう」
ゆいのこの地の治癒魔法はてきめんだった。
久はほんの数秒で、体の軽さと体力を取り戻していた。
「大きな外傷とか内臓の破損とかがなくて良かったよ。絶好の状態とまではいかないだろうけど、普通に動く分には問題ない、と思う」
久は立ち上がると何度かその場で小さくとび跳ねたり、腕を回したりして自身の体を確かめた。
多少の動き辛さや痛みはあるが、起きた時よか格段に良くなっているのは確かだった。
久はもう一度ゆいに頭を下げた。
蝋燭の残りが二センチほどになり、もう消える寸前となったころ、ようやく織葉がその姿を現した。
こんな時でもぐっすりと眠れた織葉はまさに健康そのもので、ゆいからの追加治癒も必要なかった。持ち前の治癒速度が遺憾なく発揮されているようで、先に起きていた全員が安堵した。
六人は無事に全員そろったことを喜びあうと、今の状況を確認した。
この場に居る全員、万全の状態には程遠い。残弾が不足気味であったり、体調が万全でなかったりと、様々であるが、これ以上ここ、塔の一階に留まっていても仕方がない。
自分たちは確かに、自分の意思で緋桜家のある武郭を後にした。
それは物見遊山でも力試しでもない。雹を止め、大陸を守りたいというただ一心で。
蝋燭の炎が、音もなく消えた。
黒い煙をすっと一瞬だけ宙に舞わせ、その煙は微かな壁の隙間から銀世界へと吸い込まれ消える。
僅かに、焼けた蝋の甘い匂いと、煤の香りが部屋内に残った。
「それじゃ、行こうか」
六人はいつも通りの久の掛け声で、この階層の最奥、塔の上へと続く階段の踊り場へと足を進め、武神の塔へと、足を掛けた。




