Chapter26-7
からん。と、織葉の足もとに竹が転がった。
青々とした新緑の竹が、よく見れば地面に何本か転がっている。
織葉の手には、自身の新たな刀、錫引浅実。
そして、眼前にはどこまでも広がる竹林。その竹林の最中、自分から最も近いところに生えている竹には、横から殴打したような傷がいくつもついている。
時刻は夕暮れ。織葉のいる竹林には夕陽が差し込みはじめ、青い真竹が金色に変わり始めている。
天高いところで靡く笹も、互いに葉をこすり合わせながら、時にまばゆい反射光を地面へと運んでいる。
(やっぱり、難しいな)
織葉は右手に握る浅実を立てると、その刀身へ視線を向けた。
焼きの甘い波紋が目に映り、その先の刃はすべて撫でられ潰されている。
刀身に引っかかっている、僅かな竹の欠片。
織葉はそれを用心深く取り除くと。ふうと一つ息を抜いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「織葉、ちょっとお願いしていい?」
「ん? なに?」
時刻は昼過ぎ、道場で浅実と向きあっていた織葉に、舞が訪ねてきた。
舞は手に大きな網かごを持っており、それを少し持ち上げて見せた。
「何本か筍と、竹刀を直す竹を取ってきてくれないかしら?」
舞は敷地内にある竹林へ、織葉にお使いを頼みに来たのだった。
織葉はそれを快諾すると、手持ち無沙汰にしていた久を筍狩りに誘い、家の裏口から出て隣接する私有地の竹林へと入った。
二人は作業を分担することになり、久は筍を、織葉はそれを横目に見ながら、手ごろな太さの竹を探した。
最近は父親が手入れをしていないのか、竹は大きさがまばらで、地面一帯には枯葉が広がっている。
(お、これにしよ)
手ごろな太さの竹を見つけた織葉は、家から持参した鋸へと手をかける。鋸を見ると、小さな山がいくつも連なっているかのような、特徴的な刀身が見て取れる。
「ねぇ、久くん」
「んー?」
久は持参した鍬で筍を掘り出しながら、返事をして顔を向けた。するとそこには、顔の前でまじまじと鋸を見つめる織葉の姿がある
「竹ってさ、刀で切れるもんなの?」
織葉のその質問は、久の腕を止めた。足もとには頭が半分出かけた筍が見えている。
「そりゃ切れるさ。竹がいくら丈夫だとしても、刀には敵わないよ」
久は腕で額の汗を一つ拭った。
実際の所、竹はとても硬い。一説では人骨と同等の強度があるとも言われ、単に振り降ろすだけでは切り落とせないとされる。
たが、久は「斬れる」と断言した。
「じゃあさ、この刀でも?」
と言うと、織葉は鋸を地面に置き、腰から浅実を鞘ごと抜いて久に見せた。すると久も鍬を竹に立てかけ、織葉へと近づいた。
「織葉。刀とか剣の鋭さ、切れ味って、何で決まるか知ってるか?」
久は織葉の前に立つと、手に持つ浅実に手をかけた。織葉はそのまま久へと刀を手渡した。
「切れ味? それは鉄の堅さとか質とか、研磨の良さとかじゃないの?」
「もちろんそれが占める要因もあるんだけど――」
久は不慣れであろう刀を握ると、音も立てずに鞘から引き抜いた。竹林に届く、太陽からの光。それを刀身がまぶしく反射させる。
「織葉、鞘を」
「ん」
久は鞘を織葉に持たせると、抜身の刀を握った。やはり刀は久しぶりなのか、何度か柄を握りなおしている。
「久々だ。失敗するかもしれんが――」
久の刀が、空を切った。刹那、僅かに舞い上がる、竹の木屑。
「久くん! まさか⁉」
「あー、だめだ。抜き側の薄皮が残ったな」
織葉の考えは正解だった。
なんと、久は安価な練習用の刀で、青々と力強く生えていた竹を斬った。
しかし、それは完璧ではなかった。
久の言う通り、刀の抜けた側の斬りが甘く、外側が数ミリ切れずに残った。斬られた竹は自重に負け、その身を横たわらせていき、久が僅かに斬り残した部分を折りながら地面へと倒れこんだ。
「すごい……そんなこと、どうやって?」
今一つ結果に納得できない久に対し、織葉は驚きの表情を隠せない。使い慣れない刀で、どうやってこんなことを成し遂げたのだろう。
「研ぎたてと錆刀じゃ当然違うけど、実のところ威力や切れ味なんかは、どれも似たり寄ったりなんだよ。刀も槍も剣もな」
久は織葉から鞘を受け取ると、静かにその刀身を仕舞った。
「じゃあ、刀とか槍の性能を発揮させるのは、持ち主の扱い方ひとつってこと?」
思いもよらない威力を見せ付けられた錫引浅実を、織葉は困惑した表情で見つめた。
「うーん。この答えを教えていいものなのか分からないけど、要はさ、気持ち一つだ」
「……え、気持ち?」
「勿論、刃の入れ、抜き、扱い方は重要さ。でも、そういう技術以上に、まずは気持ちだ」
その言葉で、織葉は頭を悩ませた。
武器に対する気持ち。接し方。
そういえば遠い昔、氷焔を触るたびに、何かを感じていた気がする。
――それがなんだったのか、なぜか思い出せない。
「え、えっと、じゃあその、斬り方のコツなんかは? そういうのはないの?」
「あるけど、織葉がそれを学ぶ必要はないぜ?」
織葉に問いに、久はにっこりとほほ笑んだ。
久も意識していなかったが、久はいつの間にか自分の片手を織葉の頭に置いていた。
ぽんぽんと、軽く叩くように、織葉の真っ赤な髪を撫でた。
「あの、えっと……それはどうして?」
織葉は胸の前で浅実を両手でぎゅっと握りしめた。恥ずかしさの度合いが自分の中で上がっていくのがわかる。
「もう、出来てるからさ。織葉が今から学ぶべき技術なんかは、もうないんだ」
織葉、君の技術レベルは最高クラスだ。久は付け加えた。
「え、でも、でもあたしは――」
「うん。今はまだまだ弱い。高い技術だけが先走りして、織葉は追いつくどころか、引きずられている」
「技とか技術に、あたしが?」
「そうだ。『技より心』。剣を始めるときに習っただろ。技術はまず心ありきってやつだ」
「そっか、そうだった……」
長い年月忘れていた、その小さな一文。
どこの道場にも修練上にも掛けられている、剣士を扱う者の掟。
毎日目に入っているであろうそれは、織葉の頭からすっかりと消えてしまっていた。
「だからさ、それをもう一度見据えて、織葉なりの気持ちさえ見つけさえすればいいんだ。難しく考える必要はないぜ」
久はここ数日、織葉が頭を悩ませているのを知っていた。
父親に言われたことをなんとか見つけ出そうとし、一人鍛錬に打ち込んでいる姿を知っていた。
久はほんの少しのヒントしか出すことが出来ない。だが、間違いなく織葉の背を押した。
ここからは、織葉自身が答えを見出すしかない。久が持つ、剣を扱う答えが、織葉にも当てはまることは無いのだ。
「ねぇ、聞いてもいい? 久くんの心構えを」
織葉は腰に鞘を指し直すと、久に最後の質問をした。
久はにっこりと笑い、口を開いた。
「繰り出す一閃に、勇気。だ」
◇ ◇ ◇ ◇
その後、織葉は久のような刀の扱い方を一人練習し始め、今に至っている。
時刻は夕刻。久が先に竹林を出てから、二時間以上は経過している。
青々としていた真竹は夕陽で金色に染まり、まるで金の延べ棒が幾重にも重なって地面から突き生えているかのようだ。
目線を一つ地面へと落すと、そこには乱雑に切り折られた竹が転がっている。
一つ手にして見たが、その断面はまだまだ荒い。竹の皮はささくれているし、切り抜いたと言うより、挽いたという表現が的を得ているだろう。
(ま、そんな簡単に出来るもんじゃないよな)
織葉は血払いするように刀を振って刀身についた竹の屑を飛ばすと、慣れた手つきで鞘へと納刀した。
なんとか竹に跳ね返される事なく切ることは出来るようになったが、どうしても刃の抜きが上手くいかない。
どれだけ上手く入刀しても、刃は竹の中心辺りでその勢いを失い、上手く引き抜くことが出来ない。
結果、繋がったまま残ってしまうか、鋸で切ったかのように、荒い仕上がりになってしまうかだ。
「気持ち、か」
頭上に輝く笹の葉をぼんやりとみつめた織葉の口が、意識せず開き、短く一文漏らした。
今まで、自分は何を心に決め、刀を手にしていたのだろう。初めて氷焔を手にしたとき、何を感じたのだろう。
(ううん。今あたしに必要なのは過去の気持ちじゃないや)
織葉は軽く頭を振り、今の考えをリセットした。
次のステップ、いや、スタートラインに立つために必要なのは過去ではないと、織葉は考えたのだ。
(あたしも一歩、踏み出さないとだな)
久の言葉、彼の心構えを思い出し、織葉は竹林を後にした。
「織葉! よかった、ちょうど竹林まで呼びにいこうとしてたんだ」
竹林を出た直後であった。
夕闇と夜闇が混じり合う空の中で、織葉は珍しく焦った久とばったりと対面していた。
「ど、どうしたの?」
半歩後ずさる織葉。
「詳しい話は後だ、ノートに次が書き込まれたんだ」
不吉にも、一筋の風が向かい合う二人の頬を撫でた。
つき抜けるやや冷たい風は頬を撫で、そのまま背後の竹林へと姿を消す。
しばらく呆然としていた織葉の紅い瞳は、瞬時に怒りに燃え上がると、地面を踏みつける勢いで踏み込んだ。
いつの間にか、武郭に厚い雲を纏った夜が迫っていた。




