Chapter26-2
汗を共にかいた二人は庭先の蛇口で顔を洗うと、二人して家へと戻った。
昨日食事をした居間へと戻ると、そこには朝食の支度をする織葉の母、舞と、その夫、炎が座卓に腰を下ろしていた。 炎は新聞を開いていたが、扉から入ってきた二人に気付くと、新聞を畳んで机に置いた。
「父さん、おはよう」
「おはよう。二人とも」
手放した新聞の代わりに炎は湯呑を手にし、熱い茶を啜った。久と織葉も座卓の前へと座った。
「父さん、聞いてよ」
「どうした?」
織葉が唐突に炎に話しかけた。
「あたし久くんに竹刀でも負けちゃった!」
もうだめだ! と言わんばかりに、織葉は座卓に額をごんとぶつけた。今回は父への謝りと言うより、完敗だと告げたように見えた。
先程の久との試合も織葉の負けだった。間違いなく昨日の道場での手合せよりかは善戦したが、結果は3-1。織葉はかろうじて一本だけ取り、惨敗した。
「それはそうだろう。黒慧さんの技術は長い年月で完成されている。主とする武器を変えたくらいで、今の織葉では歯が立たないだろう」
「うー…… やっぱ言わなきゃよかった」
朝からきついお言葉を浴びせられ、織葉が更に座卓に沈み込んだ。
「おはようございます」
するとそこに、ゆいとジョゼの二人組が部屋へとやってきた。二人は舞が用意してくれた、暗みかかった赤紫色の作務衣を着ている。二人の服は舞が洗濯をしてくれており、乾くまで衣服を借りることになった。
「出た、でかい奴らだ」
座卓にこすり付けるように顔をくるりと回した織葉は、横向きに寝ているようにも見える二人の胸元を見ると、意味深な発言を一つ零す。
「おはよう。ゆい、ノートはどうだ?」
起きて早々で申し訳ないとも思ったが、久はゆいに預けたままの台本ノートについて訊ねた。
「今のところは大丈夫。ここに来る前に確認もしたけど、どこにも新しい書き込みはなかったよ」
「そうか、ありがとう」
今はまだ、世界は平和のようだ。
しかし、間違いなく雹たちはまだ存在している。
あの塔で手下の二人の戦力を削ぐことは出来たが、残り二人は未だ健在だ。どこかで体力を回復させながら、次の手を考えているに違いない。
誰の記憶にも残らない二人は何処に居ても怪しまれるどころか、気付かれることも無い。
残った二人は追い詰められているように見えても、時間だけは十分に確保できるのだ。
「ノートに書き込まなければ行動できないのかどうかは不明ですが、今この大陸では目立った異変は報告されていません。リノリウムのヘリオも安定しているとのことです」
炎がゆいに付け足すように報告してくれた。
武郭平原のギルド支部長である炎には多くの情報が入り込んでくる。その炎の届く情報にも、目立った異常や情報は入ってきていなかった。
「みなさん、朝ご飯が出来ましたよ。えっと、緑千寺くんがまだ起きていないのかしら?」
舞が炊き立てのご飯を入れたおひつを座卓に運んできた。
見ると、ハチがまだ起床していない。舞や炎は当然知らないが、ハチは寝坊遅刻の常習犯だ。
「俺、起こしてきます」
久は座卓から立ち上がると、踵を返して入り口へと進む。
もはや慣れた緋桜邸の家の中。全員を見ながら引き戸を開き、久が前を見た瞬間。
「あだっ」
振り向いた久は引き戸目の前にあった何かに勢いよくぶつかり、部屋に戻るように尻餅をついた。
畳にどすんと落ちると部屋を揺らし、座卓の上の湯呑を僅かに動かした。
倒れ込む久を見て全員が久を凝視し、当の久は臀部と腰に走る鈍痛を変に顔を歪めて堪えた。
「いっつつ……」
「だ、大丈夫か?」
自分の目先に伸びる綺麗な手。
白く指の長いその手つきは、ハチのものではなかった。
「た、タケ!」
痛みを忘れ、久が目を開く。
そこには白い作務衣を着た、長髪の青年が立ち尽くしていたのだ。
やや前かがみに立ち、手を伸ばすタケの髪は前へと垂れ、金髪の美少女にも見える。
頬には大きなガーゼが貼られ、作務衣の胸元からは全身に巻かれた包帯の一部が顔を覗かせている。
いつもの鼻眼鏡の奥からは、派手に尻餅をついた親友を心配する表情が見えた。
「いや、それはこっちの台詞だ。大丈夫か」
思わぬ登場に頭がついて行かず、久はとりあえず眼前の目を掴んだ。
それを支えに久は立ち上がると、改めて親友の前に立った。
「タケ、体はもう大丈夫なのか?」
「まだ体中が痛むが、大丈夫だ。久、心配をかけてすまない」
タケは久に頭を下げ、自分の失態を詫びた。
「いや、いいんだ。元気になってくれて何よりだよ」
久は元気よく親指を立てて見せた。それに対しタケも珍しく親指を立て、にっこりと笑った。
座卓についていた全員もタケの復帰に安堵と大きな喜びを感じていた。
これで全員集結。チーム久、全員出席だ。
「感動の再会中申し訳ないけど、そこ、どいてくれよ。俺、入れないぜ」
いつしか目覚めていたハチがタケの背後につき、部屋に入れないとぼやいたところで、全員に大きな笑いが起きた。




