Chapter25-6
「黒慧さん、本当に、本当に申し訳ありませんでした!」
「いえ! いいんです! 頭を上げてください!!」
炎の部屋に戻り座卓の前に座るや否や、炎は崩れるように頭を下げた。
座卓に頭を打ち付けるかの勢いで頭を振り下ろすと、部屋が僅かに揺れる。久は大きく手を振ると、すぐに炎の身を起こしてもらった。
「無理を言って織葉と手合せしていただいた上に、あんなに無様な姿をお見せしてしまって……本当にお恥ずかしい限りです」
炎は自らの失敗のように悔いて謝り、久へと何度も頭を下げる。
「ですが、本当にありがとうございました。今回の事を持って、娘も何か少しでも気付き、感じてくれるといいのですが」
「そう、ですね。織葉の強さは確かですが、その多くが、武器に頼り過ぎたものではないかとは、僕も薄々感じていました」
織葉の強さ、正確さは、チームの中ではおそらく一番久がよく知っている。何せ二人は接近戦を行い、誰よりも近くで共闘し、お互いを見た。
織葉の強さも、そして弱さも、久は身近ゆえ知っていた。
そうでしょう。と、炎が一つ悔しそうに言うと、姿勢を戻してさらに続けた
「織葉には、すぐ楽な方に行こうとする悪癖があります。根底が面倒くさがりで、それは私も随分と注意してきました。何よりも、その感情を武道に持ち込むなと言い聞かせていたのですが……どうやら一人暮らし生活の中で怠けたようです」
ここ武郭から天凪魔法学園のあるセシリスは随分な距離がある。日帰りで到底帰れる距離ではない。よって織葉はセシリスで一人暮らしをしている。
そこでなら父親が目を光らせている訳でもないし、毎日の修練を少しサボってもばれない。荒く実技科目をこなしていても、それが両親の耳に入ることも無い。
織葉は夢にまで見た快適な一人暮らしの空間で、完全に気が緩んでしまっていた。
加えて織葉は自分の刀を手にしていた。
今まで父親に預けていた、自分の刀。圧倒的な切れ味と強さを誇る刀を、好きなときに好きなだけ振れる。
勿論、その刀を振るうことが出来たのは今までの修練あってこそだが、織葉は刀の持つ力に満足してしまい、自分の力でなく、刀の能力任せな戦闘へと変わってしまった。
結果、織葉の腕と技のキレは落ち、残ったのは氷焔の持つ力のみとなってしまっていたのだ。
「黒慧さん、織葉と試合をして頂いて、どうでしたか?」
炎の問いに、久は間髪入れずに答えた。
「正直な話、想像以上に弱かったです。僕が今まで見てきた織葉とはまるで違います。格段に劣っていました」
「でしょうね。私も見ていましたが、足の軸も大きくぶれていましたし、視線も定まっていない。何度も竹刀を握り直すなど、全く集中出来ていませんでした。お恥ずかしい限りです」
「終始竹刀が気になっていたのは気付いていました。目こそこちらに向いていましたが、意識は向いていない。あれでは――折れても、仕方ないと思います」
最後の一言で、久は炎から目を逸らした。織葉からあの刀のことを聞いたということもあり、炎を直視できない。
「ええ。残念ですが、黒慧さんの仰る通りです。霧島さんのような魔法使いは杖を自分の何よりも大切なパートナーとしますし、我々剣士も剣や刀、槍などをかけがえのない物、命を預ける道具以上のものとして扱います。ですが、織葉はその感情が、「面倒」や、「楽」と言う感情に流されてしまった。結果、使い手と道具という関係に成り下がり、氷焔は自ら折れたのでしょう」
炎は床の間へと歩み寄り、壁に立てかけて置いていた織葉の元愛刀、氷焔を先程と同じように座卓の上へと置いた。
コトンと小さな音を一つ立て、刀が座卓に置かれる。その衝撃で、鞘からいくつかの焼き焦げたかすが落ちた。どれだけ見ても痛々しい程の損傷だ。
「この刀は芯鉄に、多くの魔力鉱石を含有した特殊な鋼鉄を用いています。その含有の多くを占めるのが、朱の鉱石。すなわち炎のクリスタルです。ですから、織葉の固着術程度の炎では折れるどころか、焦げ跡一つすらつかないんです。それなのにここまで傷つき、焼け焦げてしまったということは、氷焔は本当に織葉の扱いに我慢ならなかったのでしょう」
刀は何も言わない。
だが、心は通じる。その繋がりを強めることが、真の修練、真の強さと言えるだろう。
しかし織葉は刀に耳を傾けることをせず、便利な道具として扱った。
その代償は、自分の力をすべて失うという、余りにも大きいものだった。
「黒慧さん、ここまで娘と共に歩んできてくれて、本当に父として、剣士として感謝しています。ですが、私が道場で織葉に言ったことは本心です。次の旅立ちまでに、強さの意味を見つけ出せなければ、織葉はこちらで預かります」
いつしか日が斜めに刺していた。
炎の部屋の障子がオレンジ色に染まり、そのきつい西日が部屋へと差し込んで座卓の上の刀の鍔を煌めかせた。
「はい。分かりました」
久はそれを承諾した。
久は織葉を足手まといだなんて考えたことがなかったし、これからも感じることは無いと思っていた。
しかし、今の織葉に力が無いのは事実だ。手合わせして、それははっきりと分かる。そのような状態では、到底危なくて同行させることは出来ない。久は炎の条件を承諾した。
「本当に色々とご迷惑を掛けます。――それともう一つ、黒慧さんに報告しなければならないことがあります」
「僕に、報告ですか?」
久の不思議そうな視線をよそに、炎は部屋の隅に置かれていた小さな棚から、一枚の茶封筒を取り出し、その封を開いて、中から白い書類を一枚取り出した。
「例の、ギルド支部の件です」
「あ、あぁ!」
タケが目覚めない不安や織葉のこともあり、久の脳裏からその件がさっぱりと消えてしまっていた。
久は一つ手を打つと、座卓へと身を乗り出した。
「本部に取り合ってみたところ、設立に非常に前向きです。もとより、あの周辺には支部が少ないと言う問題もあったらしく、適地に設けようとしていたそうです」
確かに思えば、久たちの住むセシリス周辺にはギルド支部が無い。
それほど治安も良く、穏やかであるということだろうが、いざと言うときの対処対応が出来ないのは事実だ。
今も支部の無いセシリスでは、あの地割れの復興作業が難航している事だろう。
「それに、やはり黒慧さんたちが大きく評価されています。チームとしての成績、経歴、依頼実績は優秀で、問題やトラブルは皆無。形ばかりにはなりますが、今回のこの大きな一件へのお詫びとして、設立を許可しても良いのではないかと、そのような方向へと話が進んでいます」
「本当ですか! やった!」
思わず久はガッツポーズを取る。
夢にまでみた地元のギルド支部設立が叶うのだ。喜ばずにはいられない。
「……お喜びのところすみません。ただ、一つだけ困ったことがありまして」
舞い上がりかけた久に、炎が申し訳なさそうに声を掛けた。
久はぽかんと口を開けてしまったが、それを直ぐに閉じ、また座り直った。
「何か、まずいことでも?」
「いえ、危惧するようなことではないんです。ただ……」
「ただ……?」
炎は手にしていた書類を座卓へ置き、久が見やすいように半回転させて座卓の上を滑らせた。
久はその書類に視線を落とす。その書類は、「ギルド支部設立のための調査用紙」と書かれてある。
様々な項目があり、そこには所属人数が規定より少なくないか、財源は足りているかなど、多岐に渡ったチェック欄が設けられている。
上から見る限りどこにも問題は無かったが、一番下の設問欄のみ、赤い筆記具でその調査内容がまとめられていた。
「あぁ……なるほどな……言われてみればその問題にぶち当たるな……」
久は至極当然なその調査内容を見て、片手を額へに着けた。久を悩ませた赤字は、調査書類にこう記述されていた。
『支部建立に必要最低限の土地、見当たらず。』
要は、セシリスにギルド支部を立てるだけの土地が無い。
いくら本部が前向きで、その人員が優れていても、支部を立てる場所が無ければ元も子もない。
「ストラグは、ストラグはどうなのですか?」
「そう訊かれると思いました。ストラグも同じく、支部を設けるだけの場所が確保できないとの判断結果が出されました」
目の前まで持ってこられた新しいおもちゃを取り上げられたかの如く、久は消沈した。
こればかりは自分たちにはどうしようもない。どこか土地を買ったり借りたりするほどの財力はないし、そこまで2つの村に空き地があるようにも思えない。
「こればかりは、どうしようもないですね」
「えぇ……ともかく、設立について問題はないそうですから、ともかく、一度皆さんにご報告なさってください。私も何かいい方法が無いか、色々と探ってみます」
炎は書類を自分の方へ引き寄せると、元通りに折りたたんで同じく仕舞いこんだ。
「お時間を取らせてしまいすみませんでした。また何かあれば、いつでもいらしてください」
頭を下げた炎に釣られ、久も頭を下げる。
久はもう一度軽く会釈をすると、炎の部屋を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
まだここへ来て半日ほどだが、久の頭にはこの家の地図がほぼ出来上がっていた。もう迷うことなく、自分が寝ていた場所まで戻ることが出来ていた。
久は特にやることも無くぼんやりと床に座り込み、開け放った障子から赤く染まりゆく庭園を見ていた。
タケはまだ、起きていなかった。
部屋に行く前にタケの部屋を覗いたが、目覚めた形跡は無く、朝食を食べた終えたあとに見たままの姿で眠りについていた。
久は部屋の隅に畳んでおいたままの布団にもたれこむように倒れると、大きく息を吐いた。
肺の空気を全て吐き出すかのような、長い吐息が空中に吹き出される。
ジョゼとゆいは風呂に出たと聞いたが、今は何処にいるのだろう。
ハチについては朝食以来顔を合わせていないが、何をしているのだろう。
織葉は――
(織葉は今、何を考えているんだろう)
四人のそれぞれの顔が、脳内で煙のように浮かび上がっては消えを繰り返す。
ぐるぐると入れ替わる四人の顔を追いかけていた久は、次第に訪れた睡魔に身を委ね、その瞼を閉じた。
どこか遠くで、自分が立ち尽くしている。
自分の姿だとは分かるのに、顔は見えない。何故なら、こちらへ背を向けているからだ。
おしゃれの欠片も無いぼさぼさの銀髪に、いつもの上着。
手には槍が握られている。あの装いは間違いなく、黒慧久だ。
(俺を見ている“今の俺”は、誰なんだ)
夢ではよくある光景に、久は一つの疑問を抱いた。
自分という存在は、一体何なのか。
何のために生き、何のために消えゆくのか。
次第に目の前の自分に、何処からか現れた黒い霞がかかる。
古さびた映像にノイズが入り、所々が欠けるように、眼前の自分が荒れた。
(忘れるな、黒慧久。まだ、何も、始まっていない)
広い室内に反響するような声が頭に響く。
その声は前からも、後ろからも、左右からも掛けられている様な気がした。
(お前に、終わらせる力は無い。夜と、闇を、連れるのはーー)
「夜と、闇……?」
この言葉、一体どこで――
気付けば自分の頬に、朝日が差し掛かっていた。




