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クランクイン!  作者: 雉
“力”の意味
172/208

Chapter25-5

 ほんの僅かに織葉の初動が勝った。 


 織葉は抜群の瞬発力で踏み込み、引いた左足で跳躍すると、久の面へ向かって一閃、残像すら残さない一撃を繰り出した。

 得意の中段で構えから繰り出される面は、下段構えの状態からでは防ぎにくい。

 織葉は初手への手ごたえを間違いなく確信し、大きな気合を上げながら、一撃を繰り出した。


「やめっ!」


 有効打が決まり、炎が止める。双方は線へと戻り、構えを取り直す、


「白、黒慧久。胴打ち、有効!」

「えっ!?」


 久側の手を斜め横に下げ、炎が有効判定を出した。

 その思わぬ判定に、織葉が構えを崩してしまう。審判の炎を見つめるが、炎はそれを訂正しようともしない。

 織葉の頭が混乱する。


(今の、当たってなかった? と言うより、久くんの有効打……?)

「続けて――」


 記憶を辿ろうとした織葉に、炎が続行の掛け声を発する。

 織葉は直ぐに構えを戻し、同じく下段で構えている目の前の久へ意識を向けた。


(次は、取らせない)


 織葉は必要以上に竹刀を握った。


「始め!」


 炎の開始の合図を聞き、先程よりも早く、袴の下の利き足を捌いた。

 フライングぎりぎりを狙った抜群の反射神経で、織葉は踏み込んで久へと振りかかる。


「やめ!」

「ええっ!?」


 思わず織葉が声を上げた。

 父親の判定を疑うつもりは無かったが、これはあまりにもおかしい。


 どういうことかと訊ねようと口を開いたが、そこから出たのは時間差で響いた痛みから来る、声の無い吐息だった。


 視線の先では、久がゆっくりと腕を引き、同じく下段構えを取ろうとしていた。

 視線の先、手元に戻る薙刀の先は何と、織葉の右わき腹を突いていた。


「な、なんで……?」


 擦れた声が漏れ、織葉は思わず脇腹を抑えた。

 衝撃が肋骨に響き、じんじんと痛みが走る。


「白、黒慧久。胴打ち、有効!」


 炎は先程と同じく久側の手を下へ向ける。


(は、速い……! 何もしてないのに、もうあとが無い! 集中しろ、集中するんだ)


 織葉はここの門下生の、槍や薙刀などの長物を扱う人とも何度も対戦している。これが初めての手合せではない。薙刀への有効打も防ぎ方も、身体も頭も知っている筈だ。


(久くんの得意手はおそらく胴打ちだ。だったら次の手こそ――)

「続けて――」


 もうあとが無い織葉に、炎が続行の掛け声を掛ける。

 織葉は鋭く久へ竹刀の切っ先を向け、久の一打に集中する。


「始めぇっ!」


 織葉は掛け声と同時に半歩引き下がると、中段構えの手首を、右へ半分ほど急速に捻った。竹刀が切っ先を斜め左下へと向く。


 その刹那、想像以上の衝撃が竹刀から両腕へと伝わってきた。

 見ると竹刀には、久の繰り出した斜め薙ぎが繰り出されており、その動きを止めていた。


 腕は痺れているが、今が好機だ。

 織葉は薙刀を払うことなくまっすぐ後ろに引き抜くと、勢いを殺さず、竹刀を踏み込んで振り抜いた。

 小さな空間で俊敏に動いた織葉の竹刀が久の胴を捉えた。


(抜けるっ!)


 織葉のもう一つの得意手、逆胴。

 右から流れる竹刀が、真っ直ぐ久の左の脇腹へ一閃――


 カァアン!


 その逆胴が繰り出される、一秒をも切る僅かな僅かな世界。

 久は織葉の右足を狙って振り下ろした薙刀を、旗を立てるように垂直に持ち上げた。

 織葉の正確な逆胴は、久の立てた薙刀の持ち柄、手と手の間の柄にぶつかり、その一撃が久に届くことは無かった。


 久は超人的な反応速度で織葉の逆胴を防ぐと、真っ直ぐ突き立てたままの薙刀を自分の方へと倒し、柄尻を、床と平行に滑らせるようにして、踏み込んだ織葉の前足の踵の後ろへと回しこんだ。


 刹那、織葉の視界が急速に回転した。踵の後ろへ回しこんだ薙刀の柄を、久は手前へ刈るように引きこんだのだ。


 織葉の足は前へと滑り、片足で支えきれなくなった織葉の自重は、そのまま大きく背面へと引っ張られ、背中から床へ落ちるように転倒した。


「そこまで!」


 回転する世界の中、織葉の耳に試合終了を告げた父親の声が響く。

 頭を軽く振って焦点を合わせると、眉間の先には薙刀の刃先が突きつけられていた。


「勝者、白、黒慧久!」


 久は一度薙刀を回すと、織葉と炎に頭を下げ、そして神棚へと一礼した。

 織葉はぽかんと口を開けたまま、床に倒れ込んだまま、動けなかった。


「つ、強い……」


 あの廃塔で決着をつけた剣の覆面男なんかとは勝負にならない程、久の強さは圧倒的だった。

 織葉は一打すら入れられなかったことに、悲しみよりも驚きを感じていた。力なく床へと倒れ込む織葉には、天井しか映らない。


「大丈夫か?」


 するとそこに久が歩み寄り、視界へ入ってきた。

 天井に着けられた灯りのせいで逆光気味だ。


 久は織葉に片手を伸ばすと、それを織葉が掴んで立ち上がる。

 いつの間にか床に転がっていた竹刀を拾い上げると、織葉は道着の乱れを直して久に向き直った。


「凄いよ久くん。めちゃくちゃ強いんだね……そんな慣れない薙刀で、どうやってそんなに戦うの?」


 真摯な瞳の織葉の質問に、久は逡巡、回答に悩む。


「どうやってって……いつも通り扱っただけなんだけど」


 それは久にとって至極当然のことだった。なんと言えばいいのか分からなかった。


「そんな、いつも通りって」


 思わぬ答えに織葉は言葉を失う。

 そんな二人の元へ、ゆっくりと炎が歩み寄ってきた。


「織葉、“強さ”とは、何だ?」


 炎の右手には、用意した刀が握られている。


「それは、相手に勝つことだよ」


 織葉はその問いに瞬時に答えた。織葉は自分の答えを持っていた。


「その強さは今、織葉のどこに宿っている?」

「あたしの強さは……」


 答えるに困る織葉。父の問いも、その真意も分からない。

 当然、強さがどこかとか、何かとか聞かれても、全く意味が分からなかった。


 そして、答えられない織葉を見て、炎が静かに言葉を発した。


「織葉、父さんは今の試合を見て、心底がっかりした」

「え? ど、どうして!?」


 思わぬ父親の発言に、織葉は慌てた。


「織葉、お前は学園に入学する前の方が、間違いなく強かった。今とは比べ様がないほどだ」

「そ、そんな……で、でも、あたしは!」

「でも、何だ?」


 穏やかな口調を維持しながらも、先程までとは明らかに違う、声の裏にある感情。

 その突然の転調に、織葉は肩をびくりと震わせ、久も静かな恐怖に胸がすくんた。


「織葉、よく聞け。今のお前は弱い。強さの欠片も無い。特技も無い。お前が強さと思いこんでいたのは、氷焔の力に過ぎない。お前は刀の力に溺れていただけだ。道具の使いやすさに甘えていただけだ。あたしの竹刀じゃない? 甘えたこと言うな。だったらお前は使い慣れた竹刀ならば、黒慧さんに勝てたのか、一打決めれたのか?」

「それは、やってみなきゃ――」

「決められた道具でしか一打も入れられないとは、学園で何をしている。何を学んでいる。もしや、刀の力を自らの強さと思い込み、思い上がっていた訳では無いだろうな」

「そ、そんなこと……」

「ないと強く言い切れるのか? 言い切れるのなら、父さんの目を見ろ」


 少ししゃがんで織葉と視線を合わせた炎だが、織葉はその顔すら直視出来なかった。


「……約束だ。織葉、これがお前の新しい刀だ」


 炎は姿勢を元に戻すと、手にしていた黒い刀を、織葉へと手渡した。


「か、軽っ」


 手渡された刀は、異常に軽かった。まるで持った気がしない。

 織葉はその受け取った刀の柄に手を掛けると、ゆっくりと刀を引き抜いた。


「と、父さん、これ、本気なの……?」

「そうだ。これがお前の刀だ」


 抜身の刀を見て、織葉が急にぼとぼとと涙を零した。

 久は何事かと思って刀を凝視したが、特に変わった所はないように見えた。


「だって父さん、これは、この刀は――錫引浅実(すずひきあさみね)じゃない!」


 織葉の悲痛な叫び声を聞き、久も驚きの表情を隠せなかった。


 錫引浅実(すずひきあさみね)

 その刀の銘は、広く知れ渡っていた。


 その銘は、剣士を志す者が最初に手にする一振り。量産された、練習用の刀を指す名だった。


「そんな、父さん、ひどいよ……これであたしに戦えっていうの?」

「そうだ。練習刀と言え、浅実は刀だ。刃もある。武器に変わりない」

「だって、だって……!」

「織葉、お前は本当の力を忘れている。黒慧さんのように本当の強さがあるなら、浅実であっても板切れであっても十分に戦える。だが、お前は刀の力に飲まれ、自らの成長を殺した。だからお前の刀は――」



 主を見捨てたんだ。



 冷たく言い放たれた炎の言葉に、溢れていた織葉の涙がぴたりと止まった。


「織葉、お前は浅実と共に、本当の力は何か、強さとは何か、もう一度考え直しなさい。それを見出せなければ、黒慧さんたちに着いては行かせない」

「な、なんでっ⁉」

「そんな曖昧な力ではかえって迷惑だ。お前が足を引っ張って、黒慧さんたちを危険に晒したいなら話は別だ」


 織葉はもう反論出来なかった。

 織葉は浅実を手にしたまま道場の床に膝から崩れ落ち、わんわんと大声で泣いた。


「黒慧さん、本当にお手数をおかけしました。――黒慧さんにもお話ししたいことがいくつかあります。私と来ていただけませんか?」

「……分かりました」


 久は炎に連れられ、後ろ髪を引かれる思いで更衣室の方へと進んだ。

 背後からは、大きな泣き声が聞こえていた。

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