Chapter25-3
いくら織葉の家が古く広いと言っても、移動に何時間も掛かる訳ではない。
一分もすれば、朝訪れた炎の部屋の障子の前に辿り着いてしまった。
炎は部屋に居るのだろうか。
そういえば朝食後仕事があると言ってから、姿を見ていない。
もしかするとまだ帰宅していないのかもしれない。朝は部屋の雪見障子が少し開いていたが、今は全てぴしりと閉じられており、中の様は全く分からない。
久は部屋の中へと意識を向けたが、人がいるような、いないような、曖昧な感覚しか掴めなかった。
音だけに集中すれば、障子の先は無人に思えた。
部屋の前に立ちつくし数十秒。強く片手で刀を握りしめた織葉が、意を決して障子の引手近くを小さく叩いた。
「と、父さん。織葉だけど……いる?」
「どうした?」
部屋の中は無人ではなかった。
今朝聞いたあの凛とした声が、障子の向こうから確かに聞こえた。
「あの、えっと、父さんに話したいことがあるんだけど……」
「入りなさい。ーーそれと、黒慧さんも」
「うぇっ!?」
いきなり名を呼ばれ、久の喉は訳のわからない声を出した。何故か、久が着いて来ていると見抜かれている。
名を刺されてしまった以上、ここで一人だけ引き返すことは出来ない。
何故こうなってしまったのかとため息の一つもつきたくなったが、それすらも見透かされているのかもしれない。
久はそれを堪え、織葉と同じく覚悟を決めた。
「は、入るよ。失礼します……」
織葉は障子に手を掛け、ゆっくりと開いた。
「織葉、まだ道着のままなのか」
「あ、えっと、ごめん、なさい。着替えてきます……」
「そのままでいい。入りなさい。黒慧さんも、どうぞ」
「あ、失礼します……」
織葉に続き、久も炎の部屋へと入室した。
部屋に入ると炎は今朝と同じく、座卓の向こう側に作務衣を着こんで座っていた。
「どうぞ座ってください」
炎は久に今朝と同じ笑みを向け、手を伸ばして着席を促した。
織葉と久は二人横に並び、座卓を挟んで炎の向かいへ座った。
「織葉、それで?」
当然だが、織葉には敬語ではなかった。
炎の瞳は久の横の織葉をまっすぐと突き刺している。瞬き一つない。
「あの、あのね、父さんに、見せなきゃいけないものがあって……」
織葉は炎の目を見つめ返せなかった。
織葉は震える手で床に置いた無残な愛刀を、座卓の上へと突き出した。
「織葉、刀は両手で持て」
「は、はい! ごめんなさい……」
すぐさま織葉は左手を出し、両手で鞘を掴んで見せた。
座卓の上に突き出される織葉の刀はかくかくと震えていた。
「……」
炎は目の前に突き出された見るも無残な刀を見ても、表情一つ変えなかった。
怒りでも悲しみでもない、無に近い表情のまま、じっと刀を見つめている。
「父さん、ごめんなさい! 氷焔、折っちゃった……」
織葉は腕を突きだしたまま、座卓に頭を打ち付けるかの勢いで頭を垂れた。
それを見た炎は、織葉の手から刀を受け取り、両手で静かに引き抜いた。
露わになる、黒焦げの傷ついた刀身。炎は半分に折れてしまった刀を、何度か表裏を見比べ、そして静かに座卓の上へと置いた。
久も、抜身の刀をこれだけ間近に見たのは初めてだった。
あまりの損傷のひどさに、自分の眉間に皺が入ったのが分かる。
「織葉、どうして刀が折れたか分かるか?」
炎が静かに織葉に問いかけた。
「あたしが、無茶な使い方をしたから……」
「それは違う」
「えっ? でも――」
唐突な炎の否定に、織葉は戸惑った。
「あたしが、使ったことのない炎の固着術で焼いたんだ。だから――」
「そんなこと見れば分かる。炎術程度で、氷焔は焼け折れたりしない」
「でも、でも――」
用意していた原因を強く否定され、織葉は言葉が出なくなってしまう。
久は座卓に置かれた織葉の愛刀を見て、真の折れた意図を探ろうとした。
磨き込まれた座卓の上に置かれた、対照的な折れた刀。
その刀が、久に何かを語りかけた。
「黒慧さん」
「は、はいっ」
刀に視線を落としていた久に、炎が言葉を掛けた。
「織葉のわがままに付き合ってくれたのですね。こんなところにまでお手数をかけてしまって、本当に申し訳ありません」
頭を下げる炎に、久は必死になった。
「い、いや、そんな謝られることでは……」
「黒慧さんは、もうお分かりになられたようですね」
久は心を見抜かれ、目を真ん丸にした。
それを見た炎は、怒り笑みではない、優しい笑みを、久へと向けた。
「確証はありませんが――分かった気がします。織葉の刀が折れた訳が」
「えっ?」
久の発言に、隣の織葉が素早く顔を向けた。しかし久は織葉を見つめ返しはしなかった。
「織葉、ここに来た要件を話しなさい」
久を凝視していた織葉に、炎が問いかけた。
織葉は直ぐに前に向き直り、つぐんでいた口を開いた。
「父さん。刀を折っちゃって、ごめん……。この先の為に、あたしに、戦える刀を下さい」
今度は声を震わせることなく、織葉が真っすぐ炎へと告げた。
炎は頭を下げる織葉をしばし見つめて何か考えた後、口を開いた。
「分かった。お前に一つ、刀を用意しよう」
「ほ、ほんとに⁉」
特に厳しいお怒りもなく、新しい武器の了承が出た織葉は、顔を明るくした。
「但し、条件はつける」
「……え? 条件? それって、どんな?」
一転、父の一言に顔が曇る織葉。久はそんな提案もあるのではないかと予想しており、そこまで面喰らわずに済んでいる。
「新しい刀はこの後、道場で渡す。条件の内容もその時に説明する。今から刀を用意するから、黒慧さんと二人で道場で待っていなさい」
「う、うん。 ともかくありがとう、父さん」
織葉はやや曇った笑みを炎に向けると、会釈して立ち上がり、久の動きを待った。久もそれにすぐさま続き、立ち上がって、織葉と共に退出をした。
「失礼しました」
久は一度、部屋へと向き直り、炎に軽く会釈する。炎もそれを見て姿勢正しく頭を下げると、優しいながらも、真剣な視線を久へと送った。
久は織葉が障子を閉めるまでの僅かな間、炎と目で会話をしていた。




