Chapter23-6
「いくぞぉおおおおお!」
けたたましい叫びとともに、織葉の髪が巻き上がった。全身を包む炎の魔力は引き千切るように服の裾を焼き潰し、肌を赤く赤く熱していく。
瞳は炎の煌めきを吸い込み、獅子のように金色に輝く。
左腕にいつものように纏う魔力は、赤い魔力波となって激しく火花を散らし、パチンパチンと小さな爆発をいくつも起こしている。
刀は強く光を帯び、打ち直された鉄のように赤を越え、白く神々しくも、恐ろしく光る。
その熱が柄へと伸び、柄紐を焼き、織葉の手の内の皮膚を焼いた。
信じがたい魔力量と、それに応じて発せられる熱波が男を襲う。
魔力で保護強化してあるローブにも、点々と焦げ跡焼け跡がつき始めた。
あまりの出来事と熱さに、鍔せり合う力を緩めてしまう。
「お前、どこにそんな力を……⁉」
「だか、らぁ、辛抱で対決だって、言ったろ!」
今まで相反する力、氷の魔力で相殺していた炎の魔力は、その抑制する力を失い、術者の織葉まで容赦なく炙っていく。
皮膚は至る箇所が煤を塗られたように黒く焦げ、服も同じく焼け捲れ、髪は毛先から焼け縮れていく。
「くそっ! 落ちこぼれの魔法剣士が!」
ここにきてようやく焦りが出始めた男は、より一層の力を込めた。
すると、腕力で勝ったのか、自分の剣がぐいと織葉の刀を押し込めた。
まだまだ押せる。男は勝機を見出した。
「な⁉ こんなことが⁉」
それは、勝機を見出した、気がしただけだった。
男の剣は、織葉の真っ白にまで熱された刃で、その厚い刀身を斬り進んでいたのだ。
押し込めたの感覚はただの錯覚。自らを映したその頑丈な剣は、熱された包丁を当てられていくバターのように、徐々に溶かし斬られていく。
「くそっ!」
男は一度体を大きく引き、長く続いた鍔せり合いから身を引いた。数メートル織葉と距離を取り、一度刀身へと目をやった。
攻撃力と防御力を兼ね備えていた筈のその刀身は、刃部からもう半分ほどまで、大きな切り欠きが出来てしまっていた。
この付近に一度でも攻撃を当てられたら折れるであろうと、男は恐怖を感じた。
覆面の下に流れる汗が痒みを主張した瞬間、頬が熱波を感じた。
顔を上げると、劫火を纏う真っ白な太刀を携えた、金髪金眼の少女が床を焦がしながら迫って来ていた。
男は、恐怖と言う感情を知らなかった。
故に、この流れる汗は暑さだと確信していた。
眼前に迫る鬼とも呼んで差支えない少女の姿に、男の剣は、震えた。
「う、うわぁああ!」
初めて、恐怖が乗っ取った男の体は、剣がまるで無造作に体を引いたかのように、荒く、隙だらけの大振りな斬撃を繰り出そうとした。
胴体をがら空きにするような、両手を上げて剣を天に翳すかのような無駄な動き。
本能で動いたその仁王立ちのままの姿から、ただ振り下ろすだけの攻撃が一つ、眼前の織葉に降りかかった。
部屋に二つ、金色の残像が走る。稲妻のようなそれは、ほうき星のようにその光を溶かし消し、あるべき形へと元へ戻る。
金色に輝いていた織葉の両目が、流星の正体であった。
男の振り下ろした剣は、中ほどから真っ二つに折れ、その断面を地面に着けていた。
そして空中に一つ、石英の様な形の、反射する一枚の光。
織葉の背後を舞うそれは、切っ先を含む折れた半分だった。
剣の半身は纏った炎熱を回転しながら映し出し、部屋内に反射光をまき散らしながら、堅い石床へ吸い込まれた。
パキィン。
細々とした無数のガラス片が散らばるように切っ先が粉砕し、その終了を告げた。
跳ね上がった欠片は空気に溶けるように、その姿を消していく。
服が散り散りに焼けていく織葉は、未だ収まらぬ金髪を揺らしながら、首を背後へ向けた。
その先では、折れた剣を杖のようにして何とか体を支えたままの男が、大きく疲労している。
突如、ばきりと杖代わりの剣が折れた。
脆い氷の彫像のように、残った刀身も、鍔も、柄も、次々と砕け、切っ先部分と同じように昇華していく。支えを失う男は立つ力なく、その場に前のめりに倒れ込んだ。
堅い床が、男の頬を弾く。
「見事だ、緋桜の剣士。お前を、見余ったよ」
ローブと床に挟まれた顔から、苦しみに混ざった声が漏れている。
織葉は何も言わず、黙った。
「私の、技術不足……だな」
織葉に足を向けたまま倒れ込む男に、変化があった。
体がどんどんと薄れていく。
まるで彩度を抜かれていくかのように、透明度が上げられていくかのように、その場から消えていこうとする。
「あんたも、影と同じだったんだな」
体をも向けた織葉の先では、下半身がほぼなくなりつつある男が、消えゆく自分の右手を見つめていた。
「緋桜、お前は、影でない私を斬れたのか?」
男の投げかけた声も、消え入りそうなほどまで落ち込んでいる。
織葉はその問いを、答えることが出来なかった。
微かに柄を握る握力が上がるのを感じる。
「せいぜい、悩むがいい、お前のその刀が、何を斬り、何を、守るのか……
曖昧な考えでは、あのお方に、一太刀など、叶わないぞ」
がくりと痙攣したように、一度首だけを大きく動かすと、男は覆面の下で、満面の笑みを作り上げた。
織葉はその異様なまでの笑みに恐怖を感じたが、その顔も、長くはもたなかった。
男は織葉の脳裏にその強烈な表情を一つ残すと、その場から消えてなくなった。
最初から、何も無かったかのように。
立ち尽くす織葉は、たっぷり数秒立ち尽くした後、右手に握ったままの刀を、腰の鞘へと慣れた手つきで納刀した。
鍛鉄を終えた刀を急冷するかのように、鞘口から水蒸気を吹き上げながら、赤い刀身が仕舞われていく。
全て仕舞い、鞘と鍔が重なる鉄の音を一つ鳴らした刹那、それを合図にしたかのように、弾けるように織葉の体から炎が消えた。
◇ ◇ ◇ ◇
「はあっ、はあぁっ……!」
しゅわっと、水分が蒸発するような音を立て、織葉の髪が朱色に戻り、瞳もいつも通りの紅色への戻る。
部屋を灯していた劫火が消え、部屋は本来の暗さを取り戻していた。
織葉は瞼を閉じ、明るさに慣れた瞳をゆっくりと回復させる。
瞳が熱い。瞼の内側が、瞳の熱を吸収している。
「あつつっ…… また、ぼろぼろだ」
焼け爛れた全身の痛みが、ようやく今になって織葉の神経に辿り着き、一気に襲い掛かった。
無理やり剥された皮膚の下を、何本もの熱された針で突かれるような酷い痛みが体のあちらこちらから迫ってくる。
(服も……こりゃ半裸だな)
自分の凹凸の無い体にちらりと視線をやる。
思った以上に衣服はぼろぼろだ。
革のブーツは黒く焼け焦げ、縫い目ががたがたになってしまっている。スカートも大きく破れ、角度からすれば下着が見えているかもしれない。へそなんか丸出しだ。
首元の制服のリボンはもうどこにも見当たらず、襟首から胸にかけて、大きな焼け穴が開いている。こちらは下着が丸見えだ。
飾り気のない運動用の黒い下着も、煤けて更に真っ黒だ。
「これがゆいだったら、大参事だな……」
しょうもないことを考え、力ない笑いが歯と口の隙間から漏れ出た。
(行こう、その親友の元へ)
足裏も焼けているのか、砂利道で飛び跳ねて歩くような痛みが一歩ごとに襲い来る。
階段に足を掛けた瞬間、更に強い痛みが足裏から響いた。
(でも、止まってられない。すぐ追いかけるって、久くんと約束したし――)
痛みなんて今だけのもの。
織葉は、自分を信じてくれた久との約束を果たさねばならない。
彼の期待に応えてあげたい。そんな気持ちがふと、痛みの中に現れた刹那。
「あ、あたし、ほとんど服着てないじゃん……!」
織葉はようやく、自分の置かれている状況を理解し、頬を赤らめた。
量頬に感じる火照りは、炎の残留魔力ではなかった。




