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クランクイン!  作者: 雉
右腕と左腕
152/208

Chapter23-2

 カツン。

 石床を弾く靴音がより大きく一つ聞こえた。


 来た。

 靴と、ローブの裾が見えた。


 次第に脛が見え、腰まで見え、そして最後に、首から上を現せた。


「あっ……!」

「お、お前は⁉」


 驚きの声を上げたのは、織葉とゆいだけだった。

 何故なら、久たちは降りてきた人物とは面識がなかったからだ。


 全身をすっぽりと覆うローブ。これは間違いなく、雹やレイザルが着用していたものと同じだ。

 全てを覆い隠そうとするほどの異様なローブ。それに加え、首から上のフード下から見える顔には、額から鼻の先まで隠す黒い仮面を着用している。

 仮面は所々に赤い線が入っており、どこか威嚇しているかのようにも見えた。


 極限までに心を隠そうとしているのか、眼前の男からは何も感じ取ることが出来ない。


「また会ったな。緋桜の剣士」


 一つの口元の歪みも無しに、静かに透き通る声が届いた。


「織葉、こいつは――」

「あたしが……河川敷で戦った相手だ」


 織葉の言葉に、ゆいを除く四人が凍りついた。

 あの、あの河川敷で織葉が邂逅した相手が今、目の前にいると言うのだ。


「また、やられに来たのか?」


 織葉は半歩片足を踏み込むと、男に声を張り上げた。

 強く太い声が、室内に反響し、僅かに空気を震えさせる。


「もう一度、勝てるのか。俺に」


 男は左腕をローブの隙間から出すと、そのまま横へと服をめくった。

 そこに右手を滑り込ませ、腰から何かを抜き出した。


 両刃の剣だ。

 刀とは違う、叩き切る厚い刀身が露わになり、織葉に向けて切っ先を向けている。


「もう、お前なんかに負けてる場合じゃないんだよ」


 織葉も鞘から刀を抜いた。

 斬ることに特化した薄い刀身が、僅かな光を集めて輝きを放つ。鍔の桜も輝いて見せた。


「久くん。先に行ってて。こいつはもう一度あたしが倒す」

「そんな、危険すぎる。俺も残る」


 槍を一度振り回す久を、織葉は首を横に振った。


「ううん。時間が無いし、久くんたちは先に行って、雹を止めて。あたしもこいつを倒して、すぐに向かうから」

「……分かった」

「久⁉ それでいいのか?」


 織葉の指示を聞く久に、タケが驚きの声を上げた。


「あぁ、俺は織葉を信じる。それに、時間が無いのも事実だ。――織葉、先に上がって待ってるからな。必ず上がってこいよ」

「うん、大丈夫。すぐ追いかけるよ」


 織葉は一度も久に顔を向けることなくそう答えた。

 久たち五人も男から視線を一瞬たりとも外さず、奥の階段へと進んで行く。男は一度たりとも久たちを見ようとはしない。


 ゆいは終始、刀を構える織葉に何も発することが出来なかった。


 織葉が負けるわけがない。ゆいは誰よりも織葉の身近におり、その実力を知っている。

 それに、織葉は一度刀を交えた相手には、一本すら取らせないと言う、特技を持ち合わせていた。その規格外の強さは、学園内でも噂になる程だ。


 しかし、本当にそれでよかったのだろうか。

 もう数メートルと離れた場所に立つゆいの脳裏に、後悔が少しずつ押し寄せていた。

 

 自分のこの行動が、本当に親友のためを思う行動だったのか、どうか。

 両脚に(すが)り付いてまで残るべきだったのかもしれない。

 襟首を掴んでまで、一緒に上がらせるべきだったのかもしれない。


 これは剣道の試合でも、模擬戦闘でもない。お互いの手に握られているのは木刀でも竹刀でもなく、人を傷つけるために作られた武器だ。


 階段を一段上がる。視界が一つ高くなり、織葉が下へと下がる。

 もう一歩上がる。天井が額のすぐ上まで迫り、織葉を阻もうとする。

 さらに一歩。


 織葉の顔は隠れ、腹の前で刀を握る手から下が見えている。


 もう、一段――


「ゆい」


 もう姿の見えないゆいの親友が、階段の下から声を投げた。

 大きくは無くても、ここまで確かに聞こえる声量。


「あたしは、難しいことは分からない。だから、自分にしか出来ないことをする。ゆいも、ゆいにしか出来ないことで、皆を守ったげて」

「織葉ちゃん、私は――」


 ぐらり。


 ゆいの目から生まれかけていた一粒の涙は、大きな何かによって強引に産み落とされた。


「な、なんだ⁉」


 久が手を壁に着け、必死に辺りをうかがう。すると壁の隙間から砂がこぼれ、更に上から小石がいくつか落下した。

 一つ二つの大きな揺れが、塔を襲ったのだ。


「今の、魔力の波だ……!」


 巨大な魔力が生み出される時に起こる、魔力の共振。

 その共振が揺れとなってこの廃塔を襲い、揺るがせたのだ。


「……急ぎましょ! 上の雹たちがまた何かやらかしたのかもしれないわ!」

「そうだな、嫌な予感がするぜ!」


 呆然と立ち尽くすゆいを、颯爽と盗賊二人が抱え、一気に数段を駆け上がった。

 二人も、取りたくない手段ではあった。


 辿り着いた二階がみるみる離れ、先程と同じ、壁沿いの階段が上へと続いている。


 下へは、降りようと思えば誰でも降りられた。

 だが、誰も降りなかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ 



「別れの挨拶はあれでよかったのか?」


 仮面越しの気に食わない奴が、口を開いた。

 揺れは直ぐに収まり、この空間には静かさが戻っている。


「別れる気なんかさらさらないさ。あんたこそ、上の野郎に何か言わなくていいのか?」


 掌から溢れた汗が、愛刀の柄紐に染み込んでいくのが分かる。心を鎮めるんだ。


「俺には、上も下も無い。だから、お前に負ける道理が無い」


 挑発か、脅しか、本心か。どれかは分からないけど、背中に汗が噴き出したのは事実。

 どうしてだろう。汗は全部、掌から出ている筈なのに。


 負けるもんか。

 あたしは難しいことはよく分からない。この大陸がどうなるだとか、凄い魔法で生まれた影だとか、よく分からない。

 でも、一つだけ分かることがある。


「みんな、明日やりたいことがあるんだ。一か月先の予定があるんだよ。だから、あたしは――」


 手の甲が光っている。赤と白だ。


 (――やっぱり、魔力を上手く扱うだなんて器用な真似、あたしには出来そうにないな。)



「あたしは、お前なんかには負けない!」



 溢れた感情が、魔力の波となった。

 赤い魔力と白い魔力が手から溢れ、全身を駆け上がっていく。


 バチバチと感電にも似た痛みを感じながら、あたしはこの塔が崩れるほどの踏み込みで、一気に距離を詰めた。

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